第108話 聖女様はやる気を無くします

「これはしたり!」

 ダマラムと名乗る肉体派の神官は、間違いを指摘されて呵々大笑した。

「このダマラム、うっかり間違えておったとは! 失敬失敬!」

 なんでもいいけど、この男の声がデカすぎてココは耳が痛い。袖に入れてるチリ紙を丸めて耳栓を作ろうか、などと思ってしまったくらいだ。


 ダマラムはまだ硬直しているナタリアを指して頭を掻く。

「聖女殿は綺麗な女性と聞いておったので、てっきりこちらの方かと! いや、女は女でも、童なら童とはっきり伝えてくれないと困りますな! ワッハッハッハ!」

 なんでもいいけど、この男デリカシーが無さ過ぎてココは胸が痛い。それ以前に非常にむかつくので、“聖なるすりこぎ”を出そうか、などと思ってしまったくらいだ。


 彼らを知っているらしいウォーレスにココは聞いてみた。

「おまえの友達?」

「あれと友達になるぐらいなら、シスター・ベロニカに交際を申し込みます」

「そんなにヒドイのか!?」

 人生を投げてもいいとは……ココは思わず喉を鳴らした。




 こんな連中に食い下がられて、いつまでも教皇執務室の前を占拠していると苦情が来る。

 とりあえず開けたところに向かいながら、ココは横を歩くウォーレスから僧兵団なるものの説明を受けた。

「彼らはまあ、古くからある修道士団体の一つでして。かつて組織力が無かった頃のゴートランド教が、他の宗教組織とかに襲われた時に戦う自警団でもありました」

「ふーん……聖堂騎士団と何が違うんだ?」

「聖堂騎士団は信心に篤い者を集めるようにはしていますが、彼らは信徒である以前に騎士です。僧兵団は修道士が本分で、修行の一環として身体を鍛え抜いているのです」

「そうかあ……なんでゴートランド大聖堂には僧兵団は無いの?」

「警備兵力ではないので、聖堂騎士団を持てるようになった今は各大聖堂に配置する必要が無いのです。あくまで彼らは修道士の団体ですからね」

 そこで一回言葉を切ったウォーレスの声が二段ほど小さくなった。

「それに」

 ウォーレスが意気揚々とついてくる大男たちをちらりと見る。

「彼らを荒事の主戦力とたのむには、欠点もあるんです」



   ◆



 だだっ広いだけの石畳の中庭で僧兵団がウォーミングアップをするのを見ながら、ナタリアがココに尋ねた。

「結局、彼らの欠点って何ですか?」

 前を歩いていたナタリアは、ココとウォーレスの小声の会話を聞いていない。

「なんでも、二つあるそうでな」

 ココも軽くストレッチはしておく。以前急に動いたらこむら返りでひどい目に遭ったのだ。あの時は転げまわるほど痛かった。

「拳闘がメインで、武器を使ってもあくまで格闘技の範疇だそうだ。剣や槍を並べるような戦場では使えないんだと」

「あー、武装集団相手だと……」

 矢なんか射かけられたらどうしようもないと。


 ココは手首をプラプラさせると両手を上げ、敵に備えた構えをしてみせた。

 ……自分としては構えているつもりなんだけど、なぜか周囲からは「オオアリクイみたいでかわいい!」と言われる不本意なファイティングポーズだ。

「それと、こっちの方が問題らしいんだが……」

 ココが声を潜めた。ナタリアも釣られて声が小さくなる。

(なんです?)

(いや、それがな。ヤツら修行を全部、身体を鍛えることに費やしているので……見事に脳筋バカの集団なんだそうだ)

 一回黙って、二人で後ろを振り返る。


 ハゲ頭のオッチャンが、何が楽しいのかバカ笑いをしている。

「うおおお、燃え上がれ我が闘志! ハハハ、全身の筋肉が強敵ともとの対戦に浮かれておるわ!」 

 あの団長を見るだけでも……偏見はいけないが……物を考えてそうな気がしない。


(思ったことがそのまま口から出てますね……ていうか、思ったことがアレなんですか……)

(食った栄養を全部筋肉育てるのに使っちゃって、思考能力がニワトリ並みらしい。そんな連中じゃ、そりゃ使いどころも無くなる筈だ)

(まさか、数百年間ずっとそんな団体だったんですか……?)

 ちょっと黙ったナタリアが囁いた。

(それじゃ、このタイミングでココ様のところに来たのって……)

(もちろん、親分に唆されてだろ? 単純な嫌がらせだろうなぁ。おそらく戦果も期待されてないぞ)


 未だに名前も覚えられないが、あのスカーレット派の陰険大司教が考えそうなことだ。

(めんどくさいなあ……)

 ココとしては、物事はもっと単純に割り切るのが好きなのだ。

 まだ何か仕掛けてくるつもりなら、いっそ三派入り乱れて雪合戦でもやったらどうだろう。雪の時期じゃないけど。


 そんなことを考えていたら、向こうから声をかけられた。

「聖女殿、こちらは準備できましたぞ!」

「あーはいはい、今行きますよって……」

 ココは振り返った姿勢で固まった。




 僧兵団は荒行を繰り返し、一心に体を鍛えることで心身を高みに上らせることを理想とする。

 無心に筋肉を育てれば、己を責め立てる欲望も煩悩も吹き飛んでいく。そう、筋肉は正義だ。難しく考えることなど何もない。

 それが彼ら、僧兵団の正義ジャスティス


 を、押し付けるのはどうかと思う。

 少なくともココは、人間相手に戦う時にこれほど困惑したのは初めてだった。

(……どうしよっかなー。どうしたらいいのかなー……)

 あいつら、同じゴートランド教団の神官だったはずだが。

 どうしよう。

 言葉が通じる気がしない。


 肌色だ。


 視界が肌色に占拠されている。

 

 法衣の上からでも筋肉盛り盛りだったのは分かっていたけど、まさか敢えて見せて来るとは思わなかった。




 僧兵団はダマラム団長をはじめ、全員が……法衣を脱いでパンツ一丁になっていた。

 何やらこだわりがあるらしく、裸になった途端に皆で筋肉の品評会をやっている。

「フゥー、凄い上腕二頭筋だな! 鎧を脱いでないのかい!?」

「ハハハハハ、俺の僧帽筋を見てくれ!」

 仲間の筋肉なんか見慣れているだろうに……。

「アイツら、人生楽しそうだな……」

 なにやらココには分からない世界のようだ。

(私、もう帰ってもいいかな)

 そんなことを考えてしまうココだった。




「さあ、聖女殿! 実戦のつもりでかかって参られよ!」

 ダマラム氏は非常に上機嫌で拳を打ち鳴らしているが……ココの方は戦意が非常に下がっている。


 誰が好き好んで筋肉ムキムキのオッサンの裸に突進しようと思うだろうか。

 こちとら(なぜかみんなに無視されるけど)十四歳の花も恥じらう乙女なのだ。


 正直、真正面から見るのもきついし、通行人の視線も痛いし、茫然とした観衆から仲間に見られるのも勘弁して欲しい。

(あー、もうアレかあ……オークと同じだと思えばいいのか……)

 アイツらも一応腰巻をつける程度の知能はある(個体もいる)ワケだしな……。


 ココがそんなことを考えて目の前の光景から逃げていると、横で何かが倒れる音がした。

「?」

 見れば、ナタリアがばったり倒れている。

「ナッツ!?」

 ウォーレスと一緒に慌てて助け起こせば、お付きの修道女は無意識に何やら呟いている。

「うーん……男の人が……男の人が裸……裸でもっこりパンツ……」


 ……ナッツ、貴族イイとこのお嬢様だものな。


 下町の庶民と違って、ナタリアの育った環境では多分日常生活の身だしなみドレスコードがうるさいのだろう。家の前でオヤジが水浴びをしたり、職人が上半身裸で作業してたりとか無かったに違いない。

 僧兵団の連中も人が倒れたので心配して駆けつけてきた。

「どうされた? 貧血か?」

「それは筋肉が足りぬからだな。軽いところで毎日スクワットを二百回とかやったらどうか?」

 せっかくくれたアドバイスだが、やっぱり言葉が通じてる気がしない。


 周りの連中はさておき。

 ココはナタリアの頭を膝に乗せ、頬をペシペシ叩いてみた。

「おいナッツ、しっかりしろ」

「う、うーん……ココ、さまぁ……」

 さいわい、お付きはすぐに目を覚ましたが……。

 目を覚ましたナタリアがココにすがりついてきた。

「うぅ、ココ様……酷い夢を見ました……。やたらと筋肉質な人たちがほとんど裸で、なぜか笑顔で力こぶを見せ合いながら踊っているんです……」

「そうか……」

「うっ、何を言ってるんだか分からないかも知れませんが、ホントにそんな夢を見たんですよう……なんでそんな夢を見たんだろう。お父様やお兄様の裸も見たことないのに……」

「シスター・ナタリア。気をしっかり持ってください」

 ココの胸に縋りついて泣きじゃくるナタリアに、ウォーレスがそっと声をかけた。

「ウォーレスさん……」

「いいですか、シスター・ナタリア。心を強く持って聞いて下さい」

「は、はい?」

「あなたの見た悪夢は現実のものです。そして……」

 ウォーレスの後ろで、倒れているナタリアを取り囲んだパンツ軍団が口々に話している。

「どうも悪夢を見て倒れたようだ」

「それはいかんな。悪夢は情緒不安定な証である」

「綺麗なモノを見て、心を落ち着かせるのが良いぞ」

「だとすると、やはり筋肉だな。躍動する筋肉ほど美しいものは無い」

「よし、全員大胸筋を躍らせるのだ!」

「おうっ!」

 満面の笑顔でサイド・チェストを決めながら胸板をピクピクさせる男たちを背に、教皇秘書は沈痛な表情でピュアな修道女に真実を告げた。

「……あなたの悪夢はまだ続いているのです」


 ウォーレスの顔から、その周りに視線を動かした淑女は。

「……うーん」

 再び唸って、意識を失った。 

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