第102話 聖女様は喧嘩を売られます
大陸会議の初めの数日は何事もなく過ぎた。
さすがに上層部の権力争いに(あんまり)関係ない地方の管区長クラスの前では控えたのか、報告会では特に衝突も起きなかった。
「いささか拍子抜けだな」
裏に引っ込んでからココが感想を言ったら、やたらと茶に砂糖をぶち込んで掻き回していたウォーレスが肩を竦めた。
「この辺りはまだ前哨戦でもありません。レポートにいちいちケチをつけていたら進みませんからね」
「そういうものなのか?」
「ええ」
よほどに疲れが溜まっているのか、茶の匂いの付いた砂糖水をがぶ飲みしている教皇秘書が頷いた。
「ぶつかり始めるのは反省会からです。集まった報告から懸念事項を洗い出し、何派の指導が悪いからだ! ってケチをつけるんです。問題点をピックアップしてどれだけ早く、よその失点を見つけるかがミソです」
「おまえらエリートってさ……なんで才能を他人の足を引っ張るのに全振りするの?」
「それが出世するのに一番手っ取り早いからですかねえ」
ウォーレスが言ったとおり、第一週の後半から各派の調子が出て来はじめた。
教会に来る信徒の数から喜捨の目標設定、教化活動の動員数まで、ココにしてみればイチャモンとしか思えないようなことを探し出しては他派の責任をあげつらう。
それを見ているだけのココに言わせれば、“バカみたい”としかコメントのしようがない問題点ばかり。
「よく気がついたな……」って小さな事案しかないし、そんなことになぜ大騒ぎするのかとも思う。
そしてしばらく観察していると、(ああ、尻馬に乗ってるあの辺りの司教たちはあそこの派閥なのか……)みたいなことが見えてくる。そういう目で見ていると、糾弾する発言者に声援を送っているのは自派だけだ。皆が共感するような話が何にも出てこない。
正直な話をすれば、すでに会議の中身が無いようにしか見えない。
最初の一週間が終わる頃には、ココはすっかり飽きていた。
「なあジジイ……毎日私、暇なんだけど。慰問に言って来て良い?」
「ダメじゃ。教団幹部は必ずこの会議には出る決まりなんじゃ」
「私は座っているだけじゃないか。何にもやらないなら一緒だろ?」
座っているだけで何もしないなら、ココの座っているところに
ココがさらに言おうとしたところへ、ウォーレスが口を挟んできた。
「聖女様、この手の会議は引き算です」
「……引き算?」
「今やっているのは相手が隙を見せたところを攻撃して、発言力を削っていくのが狙いです。立場として聖女様は教団でもトップクラスですから、そんな人間が出席しないというだけでもゴートランド派の失態になるんですよ」
「めんどくさいな……」
そもそもココはどこの派閥に入っているという気も無かったのだが。
(こいつら、一つの宗派である意味あるのかな……)
まだ会議が始まったばかりなのに、ココはもうウンザリしてきた。
「……そう言えば」
一つ大事なことを思い出した。
教団幹部が全員出るのなら、ブレマートンとスカーレットの大司教もいるはず。よその派閥のトップって、どんな奴なのだろう。
「なあウォーレス。大司教二人も来てるんだよな」
「もちろん出てますよ。……えっ? 聖女様分かってませんでした?」
意外そうに
「紹介もされずにどれが誰だか分かるか! 前に会ったのって、私が檻に入って大聖堂に到着した時だろ? 神官たちの判別なんか付くわけないだろ!」
初対面じゃないのは確からしいが、あの時だって紹介なんかされてない。
「あ、そうか」
「おまえ今、本当に起きてるか? 頭の中が寝てないか?」
ゴートランド派の影の司令塔がこのありさまで、今回の会議は大丈夫なのかとココは心配になった。
一方、ココが最重要人物を覚えていないというのでゴキゲンなのが一人。
「ワハハハハ、全然分からなかったじゃろ? あやつら、まるで指導者の
そんなことで子供みたいに喜ぶあたり、どうやら確執も相当な物らしい。
ココの物言いに教皇が一人でウケているが……。
「威厳なんて言ったら、おまえにもないぞジジイ。豪華な法衣に感謝しろ。そいつのおかげで教皇だって分かるんだからな?」
聖女にピシッと言われて一転してうなだれた
「で、どんなヤツラなの?」
「ああ、それは明日分かりますよ」
「明日?」
教皇秘書は手元の進行表をココに見せた。
「明日は最初の一週間の最終日ですから、参加者全員で晩餐会があります。で、聖女様は当然上から五指に入りますので……教皇聖下と大司教猊下二人の、計四人で一緒のテーブルです」
このときのココの顔は実に味わい深いしかめっつらだったと、教皇秘書はのちに語った。
◆
ジジイ三人衆と卓を囲んだココは思った。
(この席、シスター・ベロニカに譲りたい……)
あの
そう思うぐらい、黙って座っているだけで食卓がギスギスした空気に包まれている。
他の机の険悪さを緩和するために、トップ三人を一か所に集めたんじゃないかと思ってしまう。
(せめて、ウォーレスぐらい責任とって一緒に座れよな……)
八つ当たりではあるけど、ココはそれぐらい要求してもバチは当たらない気がした。
スカーレット大聖堂のゲオルグ・ヴァルケン大司教は、神経質を絵に描いたような痩せぎすの男だった。元々険しい顔をしているみたいで、眉間に皺が深く刻み込まれている。
会議の時はスカーレット派幹部の中心で、最前列の席にムッツリ黙って座っていた。発言はしなかったが周囲の側近たちが常に様子を伺っていたので、指示は出していたのだろう。事前の打ち合わせで一体に動くあたり、スカーレット派は
一方ブレマートン大聖堂のアンソン・モンターノ大司教は、デブのカエルを思わせるしまりのない顔と体形をしていた。さすが超世俗派、栄養摂取も過剰らしい。
こちらは会議中は後ろの席に座り、自派の者たちが活発に発言(妨害)をしているのをニコニコ笑って眺めていた。こちらはこちらで、事前に決めたラインに沿ってあれこれやるのを見守る主義のようだ。
いかにもな禁欲主義者と見るからに快楽主義者。それぞれの派閥の性格をそのままに、両極端な風体の二人だった。
ただ、両方に通じる共通点が一つある。
「トニオ。初日も思ったのだが、貴公のスピーチはどうにも品が無いな。在り来たりな話し言葉に頼り、聖句の引用が少ないのではないか? これは聖職者の集まりだぞ? 場にふさわしい内容というものがあるだろう。仮にも主宰者が皆の前で勉強不足を露呈するのは……我と並ぶ地位にある男がそれでは、如何なものかな」
ヴァルケン大司教が今更な苦言を呈すれば。
「まあまあゲオルグ、トニオも何しろ忙しい身だからねえ。毎日些事にかまけているので、不足する教養を補っている暇がないのだよ。こういう時に人生で蓄積したものが見えてしまうものだが……ははは、私がわざわざ言うまでもないよねえ」
モンターノ大司教が仲裁する振りをしてこき下ろす。
連携が取れているというより、上げ足取りに慣れている。
そして二人とも、教皇を名前で呼ぶ。
(上役と認めていないってことかあ……ほんと、年寄りのいがみ合いってのは……)
教皇も負けじと嫌みの応酬に加わっているのをジト目で眺めながら、ココは黙ってナイフとフォークを使っているけれど……正直、食べてる物の味がしない。
(なんて言うか、せっかくの会食メニューが無駄だな)
貧乏性のココとしては美味しく食べてやりたいけど、こいつらと一緒じゃ諦めるほかない。
(こういう時こそ、孤児院で出てくるうっすい麦粥で良いよな……)
どうせ何でもマズくなるのなら、初めからああいう物で良い気がする。
フォークを咥えながら年甲斐もなくいがみ合う老人たちを眺め、ココはとにかく時間が早く過ぎることを願った。
無駄なごちそうに哀れみを覚えながら、黙々とココが手を動かしていたら。
不意にヴァルケン老人の視線がココに向いた。
「ところでトニオ。この聖女、もう少しまともに育てられなかったのかね? こんなのでもビネージュ王国の宮廷には出入りしているのだろう? 我がゴートランド教が恥をかくどころの話では無いぞ」
ジジイ戦争がいきなりココに飛び火してきた。
(おいおいおいおい! 今度は私か!?)
慌てて口の中の物を飲み下している間にも、スカーレット派のトップはココの礼儀がなっていないだの、最高の場所で教育を受けているわりに全然身についていないのじゃないかなどと好き放題言ってくれている。
素行に関するお小言はシスター・ベロニカにも言われているけど、会食で延々相手の悪口を並べ立てているようなジジイにだけは言われたくはない。
(このジジイ……気に食わない……!)
なんというか……知能先行で人間性が最悪な気がする。
(飯をマズくしてくれた上に、
コイツは敵だ。
ココはそう断定した。
そこへブレマートン派のトップも介入してきた。
「ははは。ゲオルグ、無理を言っちゃいけないよ」
見た目は柔和なモンターノ氏は、柔らかい口調で辛辣な毒を吐く。
「素材が悪いうえに、トニオが育てているんだぞ? 外ヅラを取り繕えるだけでも大したものじゃないか。品格や教養まで求めちゃいけないよ」
こちらも教皇だけでなく、ココの事も馬鹿にしているみたいだ。
(どうしよう……)
ココは派閥抗争に巻き込まれ、途方に暮れてしまった。
教皇が虐められているだけなら笑って見ていたんだけど……もう他人事ではなくなってしまった。
こういう時、何が困るって……。
手加減する理由が見つからない。
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