第103話 聖女様は誤った認識を正されます

 食事会はそろそろお開きのようで、饗宴会場にはどことなく弛緩した空気が感じられる。


 残った料理に手を出す人間もほぼいなくなった。あとはウォーレス辺りが「宴もたけなわでございますが……」とか言い始めれば、列席者は席を立ち始めるだろう。

 大聖堂の宴会料理には甘い物は出ないようで、ちょっと期待していたココは肩透かしを食らった気分だ。

 これが王宮の宴セシルのところなら果物か甘いお菓子も一緒に並んでいて、頼めば最後にお茶も出してくれるのだけど……ゴートランド教の晩餐会は、その辺りにまだ改善の余地がある。

(仕方ない。修道院に帰ったら、アデルにもらったビスキュイを出してお茶を淹れよう)

 本当はナタリアナッツが淹れてくれると美味しいんだけど、もうこの時間だとナタリアも自分の部屋に引き上げている頃だろう。ココは自分は定時で帰るくせに部下には超過勤務を押し付けるような真似はしないのだ。


 それにしても。

 チラッとジジイどもを見る。

(結局コイツら最後まで、ずっと口げんかしてたなあ)

 食事の時ぐらい仕事を忘れたいココとしては、わざわざ飯をマズくして食べたがる彼らに呆れてしまう。

 とりあえず、そろそろ頃合いも良さそうなのでココも始めることにした。




「さて」

 ココは席を立つと、同じく立ち上がり始めたジジイ三人衆の前に立った。

「あー、少しいいかな?」

「む?」

「うん?」

「なんじゃ?」

 何の用だ、と言いたげに三者三様の顔を向けてくる教皇と大司教たちに、ココはにっこり笑って目の前の床を指し示した。

「飯も終わったところで、ちょっと話がある……そこに座れ」


 付近一帯の人間が一瞬で凍り付いたように動かなくなった。あのウォーレスでさえ、一歩踏み出したポーズで固まっている。

 それはそうだろう。ゴートランド教団の上から三人に、年端も行かない少女がいきなり床に座れと命令したのだ。

 人々は今見て聞いたことが現実と思えず、フリーズしてしまっていた。


 でもそれは夢じゃない。

 ココはもう一度繰り返した。

「聞こえなかったのか? そこに座れ」

「お、おい聖女……おぬしはいきなり何を……」

「は、や、く!」

 戸惑った教皇の質問を全部聞かずに切り捨てる。

「な……おい、トニオ! おまえの所はこの小娘をどれだけ増長させておるの……」

「もう耳が遠いのか、ジジイども!」

 金切り声で怒鳴り始めたスカーレット派のヴァルケン大司教をより大きな声で黙らせ、ココはニタア……もしくはニチャアと笑った。

「私の御機嫌が完全に損なわれる前に、言われたとおりにした方が身の為だぞ?」

 口元を何か言いたそうにアヒル口に歪め、ニィッと目元が笑っているけど肝心の瞳が全く笑っていない。

 満面の笑みの中に狂気が浮かぶその顔の迫力に、三人の老人はいつの間にか床に正座させられていた。




 自分より視線が低くなったお偉方を前に、ココは愉快そうに……見た目の表情だけ愉快そうに、ニコニコ笑いながら口を開いた。 

「あー、諸君。私も楽しい楽しい食事会で、こんなお小言を言いたくはないのだが……キミたちは食事中に騒ぐなと躾けられなかったのかね?」

 怒っていると示したココだが、口調はあくまで丁寧だ。

「ましてや、食卓で喧嘩するなど言語道断だぞ? 三百人近い人間が一緒に飯を食っているのに、一番上座に座っている人間がそれでは、示しが付かないんじゃないかな? んん?」

 ココの教師が生徒を諭すような、逆に言ったら全く年長者に向けた言葉じゃない説教に、一旦黙ったヴォルケン大司教がまた怒鳴り始めた。

「き、貴様! 誰に向かって無礼な口を……!?」


「おまえこそ、誰に向かってモノを言ってるんだ。おい」


 底冷えのするドスの効いたココの一言に、大司教の罵声は再び小さくなって立ち消えた。

 周囲も含めて誰も口を利かない空間で、ココの声だけが響く。

「こちとらやりたくてやってるわけじゃないけど、一応は聖女様だぞ? 地上における女神様の代理人だ。いちいち敬語で物申せなんて言うつもりはないけど、さっきみたいに当てこすりで馬鹿にされる筋合いはないや。その辺り勘違いすんなよ?」

 今度はブレマートンのモンターノ大司教が血相を変えて怒鳴り始めた。

「おまえこそ! 誰のおかげで浮浪児が聖女様になれたと思っ……!」

 かつて立場からしてみれば、聖女の権威をかさに着たココの振る舞いは“反乱を起こされた”気分なのだろう。

 その騒ぎ出したスライム頭モンターノにココは靴を乗せ、床に踏みつけた。

「ギャアッ!?」

「だから、勘違いするなって言ってんだろうが。おまえら、何をもとに私を探した? 神託だろ? 私を聖女に任命したのは女神様だ。私の上司は女神様であっておまえらじゃないからな?」

 そう言いながら残り二人の顔をわざとらしく覗き込んでやるが、返事はない。ココに言われてその辺りの上下関係を思い出したようだ。

「そんでおまえら、さ……教皇だか大司教だか知らないけど、ゴートランド教団でトップなんだろ? 大陸最大の宗教組織のアタマから三人なんだろ? それがみんなが見ている中でみっともない事をしているって、どうなの? バカなの?」

 

 ココに慣れている教皇は憮然とした顔をしているけど、スカーレット大司教ヴァルケン君の方は怒りを抑えきれなくてぶるぶる震えている。

(そりゃ、そうだろうなあ。一番上まで上り詰めたのに、みんなが見ている前で小娘にバカにされるんだものね)

 ココも彼の胸の内は理解できるけど、だからと言って自重しない。

 先に喧嘩を売って来たのはあちらなのだから。

 



「……だとしても聖女よ。それはそれとして、年長者にはそれなりに敬意を払うべきではないのか? 我らにも大司教という重責に伴う体面というものが……」

 ヴァルケンがまた寝言を言い出した。

(ふむ。めっちゃ頭に来てるけど、それでも理屈を認めて別の論法に切り替えて来たか……コイツ、小賢しさは大したものだな)

 ココはこの陰険男をちょっと見直した。

 ほんのちょっと。

 そしてやっぱり踏みつぶす。

「大司教の体面を守らなくちゃならないなら、まずは自分が恥ずかしい事をするな。年長者だから敬意を払えというのなら、まずは敬意を払われるだけの年の功を見せてみろ」

 もう顔面が引きつっている大司教に言いながらチラッと教皇を見てみるけど、こちらは四の五のぬかす大司教と違って何も言わない。ココに慣れているだけあって、分が悪いときには余計なことを言わないつもりらしい。

 消極的だけど、それが正解かもしれない。




(延々やっていても良くないな)

 あまり長い時間かけると、恥をかかされた老害が逆ギレしだすかもしれない。

 向こうも言い争う気はないようだし、ココはもうこれで良しにしてやることにした。

「上までの登り切っちゃうと周りが指摘してくれないだろうから、私が今回は敢えて言ってやった。これに懲りたら、以後肝に銘じるように。では、解散!」

 慣れちゃって反省の色も見えない教皇はともかく、大司教二人は相当に身に染みただろうとココは見た。

 ……まあ、それ以上に衆人環視の中で恥をかかされて、逆恨みしているかもしれないが。


 言いたいことはひととおり言ったココは気分サッパリ。

 唖然としている晩餐会の列席者たちをそのままに、スタスタと部屋を出て行った。



   ◆



 廊下に出たところで頭を抱えたウォーレスがいたので、声をかけてやる。

「どうだ、ウォーレス。こんなもので?」

 一発かましてやったぞと胸を張るココに、ウォーレスの方は今にも卒倒しそうだった。

「聖女様……たぶん何か、しっぺ返しが来ますよ?」

「ふむ」

 そうじゃないかなーと思っていたけど、教皇秘書も同じ意見らしい。

「それをやった後に言われてもな」

「そうですけどね!? そうなんですけど、やらかす前に相談してくださいよ!?」

「今の見てたろ? そんな時間があるかい」


 まあ、なんだ。


「なるようになるさ」

「よくおちついてられますね……」

「いざとなったら会議が終わるまでマルグレードに立て籠もるわ」

「あっ!? ずっるー……」


 


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