第100話 聖女様は準備の大変さを思い知ります
なんだか大聖堂が騒がしい。
廊下を歩いていて気がついた妙な空気に、ココは形の良い柳眉を歪めた。
浮ついていると言えば浮ついているのだけど、お祭りのような雰囲気ではない。
どちらかというと、厄介な客が来る前に慌てて家中を片付けているような……。
「……まさか」
ダッシュで逃げ出そうとしたココにナタリアが抱き着いてストップをかけた。
「違います! 王子が来たんじゃないですから!」
「わ、私は何も言ってないぞ!?」
「何も聞かずに逃走するのはもっとダメです!」
「いいからナッツ、手を離せ。大丈夫、逃げない。逃げないから、ちょっとだけ手を……なっ?」
「本当に逃げない人はそういう言い方をしないんですよ! 今日のは王子が来たんじゃなくて、大陸会議の準備です!」
「ほえ? なんだ、早く言え」
「聞かずに逃げようとしましたよね……!?」
◆
大陸会議。
正確にはゴートランド教団・全司教座連絡会議。
大陸全土から教義布教の要である司教・大司教が集まり、現状の教勢の報告や今までの方針に関する反省、今後の六か年の計画を策定する重要な会議になる。
三か所の大聖堂の幹部級のほか、各布教区の管区長にあたる司教が一堂に会するその様は圧巻の一言。約一か月の期間にはそれぞれの従者も一緒に来訪するため、ビネージュ王都も外国人が多くなりどこか浮き立った雰囲気になる。
とはいえ。
あまりに立場の違う人間多数に平等に発言権があると、たった一か月で全ての議題が終わるわけもなく。
基本的に最初の一週間は、全員参加で現状報告と反省会。
次の二週間は三大聖堂の宣教部幹部たちで、総括と次期計画の策定。
最後の一週間で、再び全員参加で計画案の質疑応答と採択。
中間の二週間は中央の幹部以外ははっきり言えば休暇みたいなもので、その間は司教たちは自由行動になっている。
大聖堂は開放されているので修行に励んでもいいし、膨大な収蔵数を誇る資料庫で研究を深めてもいい。興味があれば、発言はできないがオブザーバーで次年度計画の討議を聴講してもいい……ということになっているけど、圧倒的多数は
会議の一番重要な今後の方針決定については、ほぼ三大聖堂の幹部たちが激論を交わしてまとめていく。
つまり、派閥間の外交? 交渉で決まるのである。
◆
「そんな大事な会議の前に、おまえ大丈夫なのか? それで」
ココが呆れて思わず口に出してしまうぐらい、ウォーレスの目の下のクマが酷い。
「ハ、ハハ……大陸会議の前はいろいろやることが多すぎて、ですね……」
ウォーレスだけでなく、彼の部下たちも同様な顔をしている。
「会議の性質上、どうしてもゴートランド大聖堂がホストになりますからね。会議の出席者だけで二百五十人、従者も含めると千五百から二千人を収容するのが難事でして」
「……そんな数、王都の旅館を全部借り切ったって入らないんじゃないのか?」
どんな田舎の教区だって、司教が一人でやってくるわけじゃない。
最低でも秘書役の神官と身の回りの事をする使用人、最低でも一人は護衛もついてくる。
羽振りがいいところはこれが倍の数になったりする。治安が悪ければ護衛が多い。そして大司教と
主宰者ともなれば、それだけの大人数の宿と食事の面倒を一手に見ることになるのだろう。
ゴートランド大聖堂、つまり教皇庁が全部その予約をするのか……ココはその準備を考えると気が遠くなりそうだ。宿が足りない場合はどうするのか、想像もできない。
だがウォーレスは、キョトンとして手をプラプラ横に振った。
「いえ、旅館なんか借りませんよ。そんなことをしては利用できなくなった一般人から恨まれますし、王都が混乱してビネージュ王国から苦情が入るでしょう」
「……いや、待った。旅館に……泊めない?」
ココは余計にわからなくなった。
会議の出席者、この王都で野宿させるの?
薄汚れた神官たちが市場の壁際に一列に座り込み、焦点の合わない目で虚空を眺めているのをココは想像し……。
「どうしよう、なんか顔も知らない司教どもに親近感湧いて来た。ヤツらが来たら私が直々にピロシキの狙いかたを伝授してやろうかな」
「なぜ彼らが失業している姿が前提なんですか!? 違いますよ!」
ウォーレスが会議卓の上を指し示した。
「出席者はこの大聖堂に泊まるんですよ」
事務方のシンプルな机の上に、大聖堂の間取り図と思われる図面が広げてある。
「元々大聖堂は魔王軍が攻めて来た時に立て籠もれるよう、巨大に作ってありますからね。日常の聖務に使わない区画は大量にあるんです。大陸会議や大きな式典の時は、出席者や巡礼団が宿舎として泊まれるように手入れしてあります」
「はー……相場より安くすれば、宿屋をやれるかな?」
「民業を圧迫するので、そういうサイドビジネスで一儲けしないでください」
寝泊まりする場所がちゃんとあるのは分かったが。
「あれ? だとすると何が問題なんだ?」
炊き出しだってやっているのだから、ベッドの用意に比べたら食事なんて簡単なはずだ。
だったらもう何も問題は無い筈……。
問題を思い出したらしく、ウォーレスの顔色が一段と悪くなった。
「それがですね……宿舎があるならあるで、組み合わせが……」
ゴートランド教団という超国家組織と言えど、ローカルなレベルではやはり内部でも地政学的な問題は付きまとうわけで。
地域や所属国家の仲が悪い。
隣接教区で所属信徒同士が何らかの揉め事で対立している。
同じ国の田舎と都会で諍いがある。
単純に司教同士が犬猿の仲。
「こちらが招待した形ですので、それらに注意して、かつ文化の違いで新しい軋轢を生まないように近い地域同士を集める形に配置して……」
「ちょい待ち。近いと利害があって対立しやすいんじゃないのか?」
「そうなんですよねえ」
そういう理由で教皇庁の事務方は、本会議が始まる前から調整で神経をすり減らしていると。
他人事なココから見ても、ちょっとコレはまずいんじゃないかというぐらいに
「そんなことで大丈夫なのか? 会議じゃ他の派閥とやりあうんだろ?」
「ハハハ……まあ、他の派閥はこちらに着くまでの旅で疲労が溜まっているというハンデもありますから……」
「全員で病んでて会議なんか成立するのかな……」
これは早く会議が始まってくれないとダメかもしれない。
教団人事のマル秘記録を見ながら、ああでも無いこうでも無いと組み合わせを試しているスタッフたち。
「こいつらも会議が始まるまで休めないのか」
「いえ、その後も別の問題が」
思わずウォーレスを見たココを、ウォーレスも見返す。
「……心の準備ができたから言ってみろ」
「司教座の置かれている教会は、各国の中でもだいたい地方都市にあります」
「そりゃそうだ。大陸に国の数は三十かそこらなんだからな」
司教は布教区を統括する者だ。都に教会が複数あってもおかしくはないが、管区長が何人も同じ街にいるのはおかしい。
「一方ビネージュの王都は大陸有数の都会です。なので大陸会議でやってきて、間に二週間の休みをもらった司教たちは見物に繰り出します」
「ふむ」
「そして羽目を外して迷子になったり財布を落としたり泥酔して街路で寝たり、娼館で乱痴気騒ぎをしたり
「ほっとけ、そんなの!?」
思わず叫んだココに、虚無の表情でウォーレスたちが首を振る。
「個人的には同感ですが、彼らが起こした事件が世間に広まってしまうのは教団的にダメージが大きいのです。ですので、期間中はそれを揉み消して回る仕事があります」
「なんというか……ご苦労様と言うしかないな……」
普段なら馬鹿らしいという感想しか出て来ないけど、このウォーレスたちの消耗ぶりを見ると慰めの一つも言いたくなる。
珍しく優しい気持ちになったココだった。
そんなココを見て、ウォーレスが首をかしげた。
「何を他人事みたいに言ってるんですか」
「……なんだと?」
不穏な言葉に慄然としているココに、ウォーレスが当たり前みたいな気軽さで先を続けた。
「聖女様も、もう十四歳ですからね。今回の大陸会議、絶対出席を求められますよ」
「……なんだとぉぉぉぉっ!?」
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