第99話 聖女様は善なる者に怒りを覚えます
ウォーレスは手元のメモを確認しながらココに説明する。
「問題のマコーミックという業者、王国の役人にも手伝ってもらって納品に向かうところを取り押さえました。相手の目利き具合に依って品質を変えていたみたいで、アンゲル教会の納品物は最低の部類だったようです」
「うむ」
「教皇庁の通達基準をまるで無視しており、納品された物は請求の半分以下で買えるレベルでした。購入予算の半額以上を着服していたようです」
「そうだろうな」
あれはゴミ箱漁りのプロだったココから見ても酷かった。
「それと、シスター・エイラは質の悪さを見逃す代わりに賄賂を取っていたみたいですね。入れあげた芝居俳優につぎ込むためだったようです」
「なるほど」
聖職者がみんな宗教的使命感を持っているなんて、ココもそんな幻想は持ってない。なにしろマルグレードの在籍者が、ココをはじめとして“仕方なく”な修道女ばっかりだ。そんなヤツが末端の教会にいてもおかしくない。
ウォーレスが話を総括した。
「マコーミックはもう単純に、王国法の“詐欺”、“横領”、“神聖なるものへの冒涜”の条項を犯しているとして捕縛されました。シスター・エイラは“横領”と“背任”で。教団としては情状酌量の請願は行いません」
“行わない予定”ではなく“行いません”。
今の段階で断言するあたり、ウォーレスはじめ教皇庁でも危機感は持ったらしい。
「うむ」
そこで二人は黙り込んだ。
ココは何も言わない。
ウォーレスも何も言わない。
しばらく二人はそのまま無言を続け……先に降参したのはウォーレスだった。
「すみません、聖女様……修道院長のシスター・シュビアは罪に問えません」
「……」
修道院長の罪。
それは、気づけなかったことだ。
納品業者が悪質なちょろまかしをしていたことも。
部下がバックマージンを取って不正を見逃していたことも。
その結果として予算の無駄遣いが酷くなり、教会の経営が危機的であったことも。
根っからの善人であったシスター・シュビアは周囲の人間に悪意があった事に気付かず、ただ苦しい運営状況に頭を悩ませ神に祈りを捧げていた。
「……教会の前提として、善人であることを罪とはできません。確かに管理不行き届きではあるのですが……怠惰ではない以上、それを理由にした処分は……」
絞り出すように弁解するウォーレスの言葉に。
「ふざけるなっ!」
ココはローテーブルを蹴り飛ばした。
「ああいうのは善人ではなくてお人好しというんだ! おまけに目端も利かない、勉強もしない! 街へ出たことが無いとは言わせないぞ!? 商店を関心を持って眺めていれば、世間で流通している品質や値段がどんなものかは分かったはずだ! あの歳だぞ? まともな物を食ってた時だってあったはずだ!」
仁王立ちで怒鳴るココに、ウォーレスは頭を上げることもできない。
「挙句に自分の手元に無駄があるかどうかのチェックもせず、予算が足りないから苦しいだのなんだのと言いやがって……女神に祈るだけで現世の資金不足が解消するわけあるか、バカが! あのおっちょこちょい、どうせ悪人二人の逮捕を聞いて減刑の請願でも出して寄越したんじゃないのか? 違うか、ウォーレス!?」
ウォーレスは黙っているが、その様子からココの言葉を肯定しているのは明らかだった。
怒りに顔が歪んだココが地団駄を踏む。
「自分が当事者だって意識が無いのか、あのバカは! 誰のせいで小悪党が増長したと思っているんだ! あの手の小ずるいだけのヤツらは、きちんと監視がされていれば手を出さないんだぞ!?」
「あの、聖女様……その辺りで……」
激怒するココを止めようとしたウォーレスに、聖女は怒鳴り返す。
「おまえももっと真剣に怒れ! おまえや
滅多に無い本気のココの怒声に首を竦めたウォーレスは、待ち合わせ場所が教皇の執務室で良かったと思った。
大聖堂で一番防音がしっかりしているこの部屋でないと、周囲から人が集まってきかねなかった。それぐらいの音量だった。
……そして自分が怒鳴る結果になるだろうと予測してこの部屋を指定してきた聖女の聡明さに、ウォーレスは背中を冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。
言葉を切ってまた座り込んだ聖女に、落ち着いたとみてウォーレスの方から話しかける。
「シスター・シュビアは早急に、異動の形で無害な部署に動かします。どうか……どうか、それでご勘弁ください」
「……わかった」
小さく頷いたココの姿に、ウォーレスは感じる恐ろしさがむしろ倍増したような気がした。
怒るほどに理性的になる人間は、怒鳴っている時の方がまだ怒りが浅いのだ。
ココが前を向いたままぽつりと呟いた。
「いいか、ウォーレス」
「はい」
「善人は気軽に人を殺す」
「……」
「人を疑わないのは個人レベルの美徳だ。自分の正しさを疑わないのは反省が無いことの裏返しだ。そんなヤツは裏の事情なんか存在にも気がつかない。判断が誤っていたかなんて考えもしない」
ウォーレスは黙ったまま聞いている。
「罪を犯さない人間なんかいるか。やらかすから何がまずいのかを学ぶんだ。それでも自分は罪を犯さないとかほざいてるヤツは、罪の重さを知る機会もない。
ココはポケットを探って一枚の銅貨を取り出した。
これこそがココの原点。
「金に無頓着だとか、底抜けの善人とか、そいつ一人の話なら美談かもしれない。だけどな、そういうヤツは管理職をやっちゃいけない。船の船長とか、軍隊の隊長とか、孤児院の院長とか。後ろに付いてく連中は、長の決めた進路から誰も勝手に降りることができない。何十人もの命を預かっているって自覚があったら、自分の進む先を疑わないなんて無責任なことができるか」
ココが銅貨を親指ではじいた。
くるくると空中で回転して、落下してきてまた手の上に戻る。
「あいつは熱心に女神に祈って、結果助けが無くて死んでも『これも女神の思し召し』で満足かもしれない。だけどそんなヤツに付き合わさせられて死んだら、子供たちはたまったもんじゃないぞ」
ココがひときわ強く硬貨をはじいた。
大きく弧を描いて飛んだ銅貨は、あやまたずウォーレスの目の前に飛んでくる。司祭は思わずキャッチした。
ウォーレスが受け取ったのを見て、ココは勢いをつけて立ち上がった。
「事件を処理した駄賃にくれてやる。おやつなんかに使うなよ? それは今日の後味の悪さを思い出す心の棘だ。折に触れて思い出して、嫌な気分をかみしめろ」
「聖女様、それってご褒美と言わないのでは?」
ウォーレスの不満そうな返事にココは薄く笑った。
「本当はシスター・シュビアの額に、説教しながらめり込ませてやりたいんだけどな。ヤツの何にも分かってない顔を見たら、“聖なるすりこぎ”で殴り倒してしまいそうだ。だから、ああいうヤツらを監督するおまえに渡しとく」
「完全にとばっちりじゃないですか」
「ちょっと理不尽な目にあった方が、人間成長するぞ? シスター・ベロニカに八つ当たりされるたびにそう思う……てか、そう思わないとやってられない」
「いや、
カラカラ笑ったココは、言いたいことを吐き出して少しはサッパリした風に見えた。
「ま、あんなのに限って死んだら天国に行けるんだろうさ。どうせ私は地獄行きだから、おまえが死んだら天国でヤツに渡してやれよ。『テメエのせいでとばっちりを受けたんだ』って」
わずか十四歳にそう言われた三十五歳は、諦観のにじんだ苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「死んだ後までお気楽な連中の尻ぬぐいに追われるぐらいなら、私も天国行きは御免こうむりますね」
「そうか」
「そうです」
どちらからともなく、ココとウォーレスは笑い始め……ひとしきり笑ったところで、ココが書棚の秘密のロックをはずしてスパンと横に表面をずらした。
厚みのわりに奥が浅かった書棚の後ろから、隠し棚が姿を現す。ココちゃん、この手のカラクリを見破るのは得意なのだ。
そこに隠してあった並んでいる酒の中から、ココはいかにも良さそうな一本を手に取った。
「どうせだから確実に地獄に行けるように罪を重ねようぜ。ジジイのコレクション、また増えてやがる」
「これに気づいてたんですか……どれ、お相伴にあずかりましょう」
ワイングラスなどと言わず、二人は大ぶりなタンブラーになみなみと注ぎ込む。
「乾杯!」
◆
二時間後。
「こやつらは何を呑気に……こっちは日夜難しい調整で走り回っておるというのに! ワシ、もうバカらしくて泣いてしまいそう……」
自分の執務室で聖女と側近が秘蔵の酒を空けて寝こけているのを発見した教皇ケイオス七世は、顔を押さえてため息をついた。
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