第81話 王子様は殴り込みます

 ゲインズ男爵がはっと気がついた時、すでに王太子と聖女は姿を消していた。

 慌てて男爵が起き上がれば、連れて来た騎士たちは全員床に転がっている。

 手足を縛るなど、拘束はされていない。おそらく王子たちは、縄などを探すよりも逃走を優先したのだろう。

 公爵側は全員気絶していて、王子たちの姿はどこにもない。

 つまり。


 逃げられた。




 今どういう状況に置かれているか、はっきり認識した男爵は青くなった。

 せっかく捕まえた王太子と聖女が脱出に成功し、奴らが逆襲に転じれば……。

 権力争いは暗闘で、という暗黙の了解はある。

 あるが、こちらが王宮内で堂々事を起こした以上……崖の淵まで追い詰められた王子たちは、表沙汰にする事を躊躇いはしないだろう。

「なんという事だ……おい、起きろ!」

 呑気にのびている騎士たちを蹴り起こし、男爵がヒステリックに叫ぶ。

「ぐずぐずするな! 直ちに殿下たちを探しに行け!」

「えっ!? ……ああっ! 二人がいない!?」

 騎士たちも、現状を把握して驚愕する。

「そうだ! 寝ている場合か!」

 理解の遅い手下どもに男爵が悲鳴を上げると、騎士たちが愕然とした顔で振り返った。

「男爵、逃がしちゃったんですか!? 不手際ですぞ!」

「おまえらがな!」

 男爵は聖女に殴られて真っ先に気絶したので、その後の逃走を取り逃がした件については責任はない(と思う)。


 騎士たちを怒鳴りつけて捜索に出したが、この状況でいまさら簡単に捕捉できると思えない……。

 男爵は急ぎ公爵へ一報入れるため、走り出した。



   ◆



 男爵がともかく報告をと公爵の元へ駆けつけると、公爵は警護の者たちと談笑しているところだった。すでに勝者の余裕が見える。


 男爵が声をかける前に、公爵の方が入室してきた部下に気がついた。

「ん? おお男爵、やつらの始末は終わったか?」

「はっ、それなのですが……!」

「ん?」

 怪訝そうな公爵へ、男爵はもっともあってはいけない緊急報告を上げた。

「間抜けどもが王子たちを取り逃がしました!」

 慌てていても、さりげなく責任転嫁を混ぜるゲインズ男爵。政界を泳ぐ弱小貴族たるもの、これぐらいの腹芸はとっさにできなければ生きていけない。


「なんだと!?」

 驚いた公爵が立ち上がる所へ、男爵は平身低頭する。

「申し訳ございません。わたくしが横に付いておりながら……」

 すまなさそうな口調で、男爵はさりげなく“自分はオブザーバー”を強調した。

 だが公爵はそんな小細工どころじゃない。

「なんたる……なんたる失態だ! セシルめが政庁で騒げば、事は公式に表立った騒ぎになるぞ!?」

「ははっ」

 男爵的にはもう一つ二つ念を入れてアピールしたかったのだけど、公爵上司がそれどころじゃなさそうなので口をつぐんだ。


 公爵はうろうろ歩き回り、考えをまとめようとする。

「今日の当直警備の指揮官は我が部下を配置してあるが……それにしても何も知らぬ兵士や役人の手前、王子が言い出せば頭から無視もできん」

 一旦黙り込んだ公爵だが、とても平静に静まるどころではない。焦燥感に駆られて剣を鞘ごと執務机に叩きつけた。 

「セシルめは政庁へ逃げようとするはずだ。南城郭を全て同心する者で封鎖しろ! どうせ今、南の宮殿や苑池にいるのは我が息がかかった者ばかりだ。発見次第その場で確実に仕留めてしまえ!」

「承知致しました!」

 今のこの場で責任追及はなさそうだ。

 その点に男爵がホッとしながら、請け負って駆け戻ろうとするが……。


「殿下、聞きました? 今の公爵様の、お・こ・と・ば?」


 男ばかりのこの場で、何故か可愛らしい少女の声が響いた。

 ぎょっとして動きを止めた一同の耳に、相槌を打つ若い男の声が。


「ああ、間違いなく聞いた。公爵本人が“確実に仕留めろ”と言ったな」


 ハッとした一同の視線が集まった扉が、ゆっくりと開く。


 男爵がきちんと閉めるのを忘れた扉の外に……セシルとココが立っていた。



   ◆


 

 騎士たちに少し遅れて、貴族のオッサンが青い顔で出て行った。

「あの様子なら親分のところへ直行するだろ」

「ああ。パニックになっているから送り狼尾行されているなんて考えもしないだろうな」

 少し離れた物陰から監視していたココとセシルは、周囲に警戒しながら男爵の後をつけ始めた。


 奴らはさんざん公爵の指示だと目の前でしゃべってくれたけど、公爵が否定すればそれまでだ。だから二人は言逃れできない現場を押さえるべく、男爵たちが公爵の元へ駆け込むように敢えて縛っておかなかったのだ。


 二人とも、そのまま逃走する気はさらさらなかった。

 男爵を道案内に使って、公爵の身柄を押さえる。

 鉄を打つなら熱いうちに。

 腐った物を取り除くなら、腐臭がするうちに探し出すのだ。




 周囲を警戒しながら進みつつ、ココはセシルに意見を尋ねた。

「あのオッサン、私を殺した後の処理はペラペラしゃべったのにセシルを殺した後のことは曖昧に濁したな。秘密というよりも何か上手い考えがあって、もったいつけたような言い方だった」

「ああ。そっちは前々から計画があったって感じだな」


 公爵たちが今日のパーティで実力行使に出るのは想定していたけど、ココやセシルが気になっていたのはその後だ。

 やつらの望みはビネージュ王国の王位継承だ。

 形式上は問題なく引き継ぐためには、正当性を主張できる何かプランがある筈だ。

「何を考えているんだか、しゃべらせたいところだが……」

 セシルが言いかけ、ちょっと考え込んだ。上手いこと誘導する方法を考えているのだろう。王子様のそういう先回りし過ぎるところがココはおかしい。

「おまえはいつも、難しく考えすぎだよなあ」

「そうか?」

 ココは気にし過ぎの王子様を安心させようと、慈母の微笑みで笑って見せた。

「誘導尋問なんかしなくたって、捕まえてから吐くまで殴ればいいじゃないか」 

「おまえらしいなあ」

「あれ? なんだか褒められている気がしない」




 オッサンは一目散に公爵の執務室に駆け込んでいく。

「意外性が全くないな」

「陰謀を企むなら、どこかアジトを別に構えていて欲しいものだが……」

 贅沢な注文を付けながら、ココとセシルはそっと中途半端に開いている扉に近寄っていく。

「あのオッサン、貴族のくせに“開けた扉はちゃんとしめる”ってマナーのレッスンで習わなかったのかな?」

「出来てないヤツほど他人に厳しいんだよなあ」

 扉の開いている側ではなく、蝶番のついている側の隙間から中を窺う。オッサンが公爵クソオヤジに仕方なかったんだと一生懸命説明している。

 明らかにセシルを害するのを知っている前提で話している。公爵の指示で動いているのは明白だ。

 ココとセシルはにんまり笑って頷きあった。後は公爵が自分で口に出してくれるのがいちばん良いのだけど……。

(ところでセシル、頼んでおいたのはやってくれたか?)

(ああ。あからさまに胡散臭いヤツがココが迷子になったと知らせに来たんでな)


 “王子と聖女の仲”が有名だとしても。

 公式に訪問している来賓が迷子になって、いきなり王子に“知りませんか?”などと聞きに来ない。警備の恥になるのだから、まずは警備兵を動員して探す。

 ましてココは立場上、パーティだけど服装はドレスじゃない。

 普段よりちょっとマシな仕立ての法衣を着て来た。見た目が特徴的なのだから、王子に見てもらわなくても探せない筈がない。


 警備の騎士に捜索の手伝いを頼まれたとき。

 セシルの代わりに行くと申し出たナバロをセシルは止めた。セシル自身が行かないと撒き餌にならない。

 代わりにナバロには、至急の「エインズワースの件」を片付けるように命じた。

 あらかじめ打ち合わせてあった符丁だ。

 セシルたちが部屋を出て行った後、ナバロは急いで用意してあった伝書鳩を放った。鳩はエインズワース伯爵夫人前聖女エッダと教皇庁へ急を告げたはずだ。


(ウォーレスがとちらないといいんだが)

(あいつ本番は強いだろう。普段は頼りないが)

 囁きあっていると、室内ではとうとう公爵がはっきり認める一言を言い放った。


『どうせ今、南の宮殿や苑池にいるのは我が息がかかった者ばかりだ。発見次第その場で確実に仕留めてしまえ!』

『承知致しました!』


(言った)

(言ったな)

 言質は取った。

(よーし、あとは今すぐ踏み込んで俺たちがこの場で聞いた事実を突きつけ、ウォーレスたちが駆け付けるまで時間を稼げばいい)

(それがすっげー無茶ぶりだと思うんだが?)

(大丈夫。信頼しているぞ、ココ)

(荒事を女に期待するなよ)

 オッサンが踵を返してこちらに駆けてこようとしている。

 ココとセシルは軽く拳を突き合わせた。


「殿下、聞きました? 今の公爵様の、お・こ・と・ば?」

「ああ、間違いなく聞いた。公爵本人が“確実に仕留めろ”と言ったな」

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