第77話 聖女様は巧妙な罠に嵌まります
ココはそっとパーティの会場を抜け出し、王宮の中をスタスタ歩いていた。
ちょっと遠ざかればパーティの関係者らしい人間はおらず、疎外感で息が詰まりそうだった空気もない。
一人になって、ココは清々した気分を思う存分満喫する。かぶっていた猫を脱げば、出てくるのは忌々しいさっきの思い出だ。
「まったく、ああいうバカはどこにでもいるもんなんだな。めんどくさい」
ちまちま嫌みの応酬をするより、ココはやっぱり拳で語った方がさっぱりしていていいと思う。
「……それはともかく」
ぶつぶつ悪口を言っていたのを止め、ココは周囲を見回してみる。
「王宮って意外と人がいないものなんだな」
意外とというか、全く人がいない。
「これは……もしかして」
とある可能性に気がついて、ココはうめき声を上げた。
ココちゃん、
ビネージュ王国の王宮は街の中心部に立つ豪壮な巨大施設だ。
その敷地面積は丘を丸ごと使ったゴートランド大聖堂よりも大きく、騎士団の施設や警備兵の兵営までも内部に含んでいる。堀に囲まれた内部はさらに城壁と内堀で幾つにも区切られ、王宮の周りを一周歩こうと思ったら一時間ではとても元の位置まで戻って来られない。
大聖堂と共に、魔王軍が襲来した場合の最終防衛ラインとして巨大な要塞になっているのだ。
……そんな場所を“何度か来たことがある”程度で、案内もなく王子の部屋まで行こうとしたら迷うに決まっている。
歩いているうちに見覚えがある場所に突き当たるだろうと、全く足を踏み入れたこともないブロックを歩いている聖女様。すでに元の会場にも戻れない。
「困ったな……全然通行人もいない」
ココは頭を掻きながらぼやいた。
王宮の中でも役所のある辺りや王家の居住している付近なら人も多いが、ココがいるのは離宮と言ってもいいイベントごとにしか使わない一帯。廷臣がまるでいないのだ。
無人っぽい宮殿の中をぐるりと眺め、困惑したココは首をかしげた。
「……まるで、私に空き巣に入ってくれと言わんばかりじゃないか。公爵め、私をこんな環境で誘惑して、出来心を起こしたら現行犯逮捕で名誉を堕とすつもりか?」
さすがの公爵も、そんな斜め上の陰謀なんか企んではいない。
ココは自分で勝手に出歩いて迷子になっているのを、都合よく忘れていた。
◆
「それにしても参ったな」
聖女様は、歩き回るのが面倒になってきた。
まっすぐ歩いていけばどこか主要地点に着くだろうと思っていたら、上がって下がって左右に曲がって……細い通路が続くばかりで、玄関ホールとかに一向にたどり着かない。
敵兵が侵入した時に備えてわざと複雑になっているのを知らず、不親切な設計にココの機嫌が次第に悪くなってきた。
「こんなおかしな造りにして、火事でもあったらどうするつもりだ」
いっそ城壁登って王宮のふちを歩いて帰ろうかな、などとココが思った時……ココは一階下の踊り場に、鈍く輝く物を見つけた。
それを発見した瞬間、ココは物も言わずにダッシュで階段を駆け下りた。
他に人が通らないうちに急いで現場に駆け付けたココは、落ちている円盤を拾ってみる。
まごう事なき銀貨が一枚。なぜかお金が宮殿の廊下に落ちていた。
大好物を手にして、不機嫌だった聖女様もいきなりテンションが上がった。
「銀貨様じゃないか!」
袖口で拭った貨幣をもう一度慎重に確認し、なぜこんな所に落ちているんだろう……と考えかけたココの目が、はるか先の廊下に釘付けになった。
またもや全力疾走。
「うっわ、また銀貨だ!」
拾い上げた貨幣の色は、またもや銀。
ニマニマしながらココは二枚のコインを並べて眺めた。
「銀貨を二枚も手に入れるとは……うん、今日はやっぱり来てよかった!」
面倒ごとに巻き込まれたけど、日当が銀貨二枚ならなかなか割がいい仕事だ。
ちなみに、ココの辞書に“拾得物横領”などと言う言葉はない。
金は天下の回り物。落ちていたなら拾った人間の持ち物である。
今日何しに来たのかも忘れ、拾ったお金で頭がいっぱい。
ココは実に自然な動作で、周囲を見回しながら首から下げたガマ口にへ銀貨を投入した。
ほくほくしながら財布の重さを確かめる。
「コイツはアレかな? ポケットが破れていたのかな?」
もとは同じ人間が持っていたのではないだろうか。歩いているか作業中に、思いがけず落としてしまったものなのだろう。
「だとすると、拾われてないのだから落としたことさえ気づかれていないんだな。忘れ去られた完全な迷子……うん、私が“保護”してやれてよかった」
保護とまで言い切り、顔を上げた聖女様は……さらに一枚を発見し、わき目も降らずにダッシュした。
何かの倉庫だったらしい空き部屋の中央に、三枚目が落ちている。駆け込んだココは急いで拾いあげた。もはや人目を気にすることも忘れている。
「おぉっと、またもや銀貨か! 落とした奴はバカだなあ……こんな大事な物を三枚も落として気がつかないだなんて!」
その分私が可愛がってやろう。
そう思って大事に銀貨の埃を払っていると、ギイッと音がして……入ってきた扉が閉まり、外から鍵をかけられる音がした。
◆
「おい! ほんとにあの聖女、落ちてる金を懐に入れているぞ!」
「マジか……ヤツの言っていた通りだったな」
遠くからココを尾行しているのは、公爵に心酔する二人の騎士だった。
彼らは聖女様の聖女様らしからぬ行動にさすがに唖然としながら、予測したルートに仕掛けておいた罠が順調なことに安堵する。
走っていって二枚目を拾っていた聖女が、また急いで走っていく。それこそが彼らの狙いで……。
何の警戒もせずに聖女が空き部屋に入ったのを確認し、待機していた仲間が厚い扉を首尾よく締めてこちらに手を振ってくる。彼らも無事任務を達成したことにホッとしながら手を振り返した。
◆
いきなり閉まった扉のおかげで暗闇の中に取り残され、ココは慌てて扉に駆け寄った。押しても引いても叩いても、分厚い木の扉はびくともしない。この様子では、明らかに外から扉へ閂をかけている。
「くそっ、罠だったのか!」
ココは歯噛みしたが、こうなってはもう後の祭りだ。
「
見抜く以前の問題だったのだが。
ココは聖心力をわずかに出して灯りを作り、閉められた扉を調べた。元々内側から開けることを想定しておらず、鍵穴もドアノブもこちら側には無かった。
これはとてもココの力でこじ開けられるような物じゃない。
“聖なる武器”を出して力任せに叩けば簡単に吹き飛ぶとは思うのだけど……
ちなみにジャッカルの
「参ったな……どうしよう」
てっきり暗殺が二件続いたから、公爵ももっと短絡的な手段で来るものとばっかり思っていた。まさか監禁されるとは。
「だけど、私を監禁してどうするつもりだ? 私が王宮へパーティに出席するために向かったのは大聖堂が知っているんだぞ? セシルに通報がいけば、すぐに捜索が始まる事になる」
誘拐して何かに利用しようとしても、時間の余裕などほとんど無いはず。セシルは話を聞いてすぐに、さっきのパーティの関係者を洗い出すだろう。
なにしろパーティにセシルを呼んでいなかったことで、逆にこれがココを陥れるために開催されたと証言してしまったと言ってもいい。怪しいイベントを主催したヤツは王子様の尋問を受けることになる。
王子への脅迫で人質に使うなら、こんなやり方では足がついてしまうのが公爵にはわからなかったのだろうか。
それとも、ココの身柄を押さえる目的が他にあるのか……?
どちらにしても、今ココにできることは多くない。早くセシルが見つけてくれるのを願うばかりだ。
「どうしたものかな……」
ココは部屋の端っこに腰を下ろすと、膝を抱えてため息をついた。
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