第76話 聖女様は露骨な虐めは初めてです

 ココを取り囲む貴族の御令嬢は五、六人。装いに詳しいわけじゃないけど、ドレスにも宝飾品にも金がかかっていそうな細かい仕事がされている。たぶん社交界でも上のランクの人たちであろうということは簡単に推測できた。

 そういうまさに淑女の代表の方々から、

「こんな所にまで顔を出すなんて、あなた何様のつもり?」

「聖女だか何だか知らないけど、あなたのような下賤な人間が足を踏み入れていい所じゃないのよ? こ・こ・は!」

「ちやほやされてるからって勘違いしてパーティまで来るなんて、バカみたい!」

 幼児グループの爪はじきを地で行くような嫌がらせを受けていると、なんだか貧民街の路上が懐かしくなってきたココだった。


(あったなー、こういう虐め)

 マルグレード女子修道院も厳しい世界だけど、ある意味ココが主役なので排除するような虐めにはあったことが無い。しかも絶対的に強大な魔王シスター・ベロニカがいるので、仲が良かろうが悪かろうが横の連帯感が無駄にある。修道女同士の醜い喧嘩は滅多なことでは起きない。


 ココが懐かしく思い出した貧民街あっちの世界では、気に食わないやつを排除するというのは食料集めシノギに直結する切実な問題だった。

 こちらの皆さんは暖衣飽食の毎日で、そんなに飢えてはいないはず。

 別に明日のパンに困るようなお嬢様たちでもあるまいに、なんでまた血相を変えて新参のココに噛みついてくるのやら……。

「セシル殿下にちょっと優しくされたからって、王宮まで押しかけて来るなんて厚かましいんじゃない!?」

「勘違いするんじゃないわよ!? 殿下があなたみたいなのを本当に相手にするわけないでしょ? 聖女の肩書が無かったら視界にすら入れないくせに!」

(あ、セシル関係か!)

 皆様、文字通り白馬の王子様を狙っていると。


 ある意味、彼女たちも切実に人生がかかっているみたいだった。




(さて、どうやって切り抜けたものやら)

 ストリートチルドレン時代。

 友達もいなくて独りぼっちだったココだけど、その代わり拳にものを言わせて誰にも侮られることはなく快適に過ごしていた。暴力はココを裏切らない。

 かといって今ここで神速の右腕ぼうりょくに訴えるのは、さすがにT・P・Oが間違っているぐらいの認識はココにもある。

 言葉の暴力で殴りつけるのも得意には得意なんだけど……。

(でも公爵と違って、こいつら会話がそもそも成り立ちそうにないしなー)

 相手が人語を解さないおサルさんでは、そもそも意思が通じない。


 ココが迷っているうちに、罵る声はますます激しくなる。

「何黙ってるのよ! 伯爵令嬢であるこの私が聞いてるのよ!?」

「あなた卑しい下々のくせに私たちをバカにしているわけ!? なんとか言いなさいよ!」

 ココと話したことが無い男やオバちゃんは、困ったように愛想笑いしていればスルーしてくれるものなのだけど……こいつらはより怒りが増すみたいで、ますますヒートアップする。


 こういう時にこそ、その王子様が役に立つはずだったのだが……。

(参ったな。まさか王宮でやるパーティに、セシルが参加していないとは……)

 なんとこのパーティ、王太子が呼ばれてない。

 私的な設宴だからとか何とかで、恐れ多いので王族を呼んでいないらしい。

 おもいっきり公爵による罠っぽいけど、とにかく今は騒ぎ立てるアホウどもをなんとかしないとならない。


 仕方ないので、ココも話を合わせることにした。

「えーっとですね、あの、私は別に殿下に取り入ろうなどと……」

 決してセシルなんぞに媚びを売るつもりはない。

 その辺りをちゃんと説明しようと、ココはそう思ったのだが。

「何それ!? あなた殿下の方が言い寄ってるなんて言いたいわけ!?」

「どれだけ自惚れてるの!? 二目と見れないブスのくせに!」

「調子乗ってんじゃないわよ!」

 ああ言えばこういう御令嬢方。

(ああもう、めんどくさいな!)

 キンキン声でわめきたてる、道理のわからないお嬢様たちにココの方が切れそうだ。


 興奮してどんどんエスカレートする淑女の皆様いじめっ子たち。それでも我慢していたら、彼女たちはは頭に血が上ってとうとう手を出してきた。

 ヒステリーを起こした令嬢に突き飛ばされ、無様に地面に転がるココ。倒れたはずみでベールが吹き飛び、銀糸のような髪が地面に広がる。

「あうっ……」

 ココは立つこともできず、うつぶせに転がったまま顔も上げられなくなった。


 うずくまって呻く聖女の様子に、さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。

 急に慌てだした女たちは視線を交し合い、代表らしいのが舌打ちしながら捨て台詞を吐いた。

「これだけ言ったら、下等な生き物のあなたでも立場ってものがおわかりいただけたかしら? これからはせいぜい身の程をわきまえることね!」

 いまだ威勢がいいわりに、啖呵を切ると逃げるように足早に立ち去っていく令嬢たち。何をやってもいいと思っている割には、まずいことをやった自覚はあるようだ。

「うっ……くっ……」

 なんとか身を起こし、やっと四つん這いになったココ。その華奢な身体がぶるぶる震えている。


 ココはちゃんと言葉で説明しようとしたのだ。

 それなのに聞く耳を持たない少女たちに口々に辱められ、暴力を振るわれた。

 生まれが悪いのはココのせいじゃないのに。

 セシルにだって言い寄ったことなんてないのに。

 ココはあくまで穏便に済ませようと思ったのに。


「うっ、うっ……」


 居丈高なお嬢様たちはココを散々にバカにして、自分たちの言いたいことだけを言って何にもココの言う事を聞いてくれなかった。

 ココは悲しくて、もうどうしようもない。


「うっ、ううう……うくくくくっ、クハハハハハッ!」


 だから、ちょっと今は


 腹の底からこみ上げてくるわらいに突き動かされ、ぶるぶる震えていたココはスクっと立ち上がった。

「クハハハハ、ヒャハハハハハ……喧嘩を売るんなら、トドメはきちんと刺さないとダメだぞぉ? なあ、素人の雌豚ちゃんたちよぉ」

 ちょっと美少女がしちゃいけない笑い顔をしているココは……メイン会場に戻りかけている獲物どもおじょうさまたちを見据えて、もういちど低い笑い声を響かせた。




 とはいえ、ここは不案内な王宮の庭園。仕掛ける時間も無ければ地の利もない。それにここは敵地アウェーなのだから、やり返すところを見られるのもうまくない。

 どれほど怒っていても……むしろ怒りが高まるほど落ち着いてくるココは、令嬢たちへのお礼は一撃で済ませるのが吉と考えた。

「うむ。これはちょっと新しく覚えたヤツを試してみるか」

 やつらはちょうど、広場に降りる石段に差し掛かっている……。

 ココはいつもは合わせる掌を、標的おんなどもに向けて構えて聖心力を練り上げた。


 暇な時にナタリアの目を盗み、時々聖心力を出す練習をしていたココ。

 そして独自研究暇つぶしの結果、実は聖心力は消耗品を一時的に作れることにも気がついた。さらにそれを手から離れた位置まで飛ばすことも。

 せっかくなので、その新技を使わせてもらおう。

 ココは実験台令嬢たちのおりる数歩先の石段に狙いを定める。そして……。

 青白い聖心力の光がココの手元ではなく、ココの見つめる場所に現れる。

 いつものように何かの形に成形されるのではなく、頼りなく不定形に大理石の上に垂れて広がる……そう、油のように。




「あれであの女も思い知ったかしら」

「懲りないようでしたら、さらに叩いて差し上げればよろしいんですのよ」

 ココを“やり込めた”ことを得意げに話しながら、パーティに戻ろうとする令嬢たち。そんな彼女たちはやらかし自慢に花を咲かせ、歩き慣れた足元にはまったく注意を払っていなかった。


 先頭を降りる令嬢が、蒼白色の光が残る石を踏んだ。

 ズルッとかかとが前に滑り、見事に滑った少女は反射的に手近のモノに掴まった。

 いきなり掴まられた後ろの令嬢がバランスを崩してとっさに横に手を出した。


 そうやって全員が姿勢を崩し、全員が良く滑る“何か”を踏んだ。

 その結果。


「キャアアアアアアアッ!?」


 突如響いた大きな悲鳴に、園遊会の会場にいた貴族たちは一斉に振り返った。

 高台の小庭園につながる石段を、五、六人の高位令嬢が何故か転げ落ちて来る。なぜここまでというぐらいに小気味よく滑り落ちてくる姫君たちは、会場中の人々が目を丸くして見ている中、もんどりうって最下段まで勢いよく転がってきた。

「あ痛たたたっ!?」

「な、何が起こったんですの……!?」

 身体中をぶつけまくった令嬢たちが涙目で顔を上げると……なぜか茫然と自分たちを見つめる盛装の人々。

「……はい?」

 視線をたどって自分たちに目をやると。


 石段の一番下までもつれあって落ちた一同は、絡み合って倒れていて。

 ある者はパンツ剥き出しでさかさまに。

 ある者は他人のドレスでこすれた化粧が無茶苦茶に。

 ある者はストラップレスのドレスがずりおちて上半身の肌があらわに。

 ある者は顔を植え込みに突っ込んで泥まみれ。


「…………ヒィィィィイイイイイッ!」


 自分たちのありさまを自覚して、令嬢たちは一斉に金切り声を上げた。




 気の抜けない社交界で後々まで語り継がれるであろう、揉み消しようもない醜態を晒す令嬢たち。衆人環視の中、あられもない姿で慌てふためくバカどもを上から眺めたココはフンッと鼻を鳴らした。

「王子の嫁を夢見る前に、喧嘩を売ってる相手のレベルを見極められるようになれっての」

 本当はこの程度で許すような腹立ちではないのだけれど、公爵の狙いがまだわからない以上はあんなのに関わっている暇はない。

 だから今日の所はこれぐらいで済ませてやることにした。


 今日の所は。




「しかし、セシルが出ていないのは計算違いだったな」

 さすがのココでも、敵地に一人では警戒しきれない。

「どうするか……そもそもこのパーティ、私が消えても構わないんじゃないのかな?」

 公爵派の連中を動員したらしくて、セシルに近いとわかっているココをみんな横目で眺めるばかりで話しかけてこない。

 どうせ会場にいてもポツンと立っているだけだし、公爵が何か仕掛けて来るまでそんな状態で待っているのも馬鹿らしい。

「……セシルを探しに行ってみようかな」

 勝手に出歩いた方が公爵の思惑もはずせるし、暇も潰せる。


 そう理由をつけて、ココはパーティを抜け出すことにした……遠くから監視する視線に気づくこともないまま。

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