第69話 聖女様は本領を発揮します

 ビネージュ王宮がよりによって、ゴートランド教の聖女の顔に泥を塗った。

 ラグロス公爵はこの状況を解決すべく、内心の葛藤と戦っていた。


 聖女が王太子に近いのは確かだが、聖女自身と公爵に諍いがあるわけではない(と思っている)。部下のとんでもないミスで機嫌を損ねてはいるが、向こうも敢えて荒立てる気は無いだろう(と思っている)。

 むしろ今公爵が口頭で謝って済ませれば、後に残らないで済む話だ。公式な抗議などにつながる前に問題自体を消してしまう。それが最良の落としどころだ。

 そこまで計算はできている……のだが。

 

 頭を下げたくない。


 敢えて念を押しておくと、公爵は決して他人に謝罪のできない人間ではない。

 理非を考えればこの件はひとえに門番の手落ちであり、また損得で言えば今この場で謝る以上に良策は無い。それはわかっている。

 しかし、相手が問題だ。詫びる相手がゴートランド教の聖女なのがよろしくない。


 公爵はゴートランド教が王都で大きな顔をしているのをよく思っていない。

 彼らの中興の祖は勇者パーティの聖女であり、つまり王国の建国者・勇者のオマケだ。そのあとの発展にしても、勇者の伝説に寄りかかって大きくなった連中だ。

 それに加えて当代の聖女は、貧民街の路上で暮らしていたとかいう賤民出身である。王国貴族から選ばれるべき聖女が最下層の浮浪児などと、女神が何を考えてるのかさっぱりわからない。

 誇り高きビネージュ王家の血筋である公爵自分が、飼っている犬にしがみつくノミに謝罪せねばならない……それが、彼の引っかかっている葛藤だ。

 公爵があと十年若ければ、こんな事態を作り出した愚か者門番をその場で真っ二つにしているところだが……。

(落ち着け……今はそんなことを考えている時ではない)

 愚者の処分より先に、まずは後始末をつけねば。

(時には泥水も飲み干して見せるのが支配者の度量だぞ、ゲルハルド)

 国を治める者は必要に応じて理想論を曲げることも必要だ。公爵は克己心を発揮してこわばる表情筋を動かし、苦い思いを隠して聖女に向きなおった。




「いや、誠に申し訳ない。仮にも王宮の門を守る者がこのような手落ち、我が部下にこれほどの粗忽者がいるとは、あまりのことに私も信じられぬ思いでいっぱいだ。聖女殿に置かれてはどうかこのゲルハルトの顔に免じて、悪しからずご容赦願えれば幸いだ」

 たぶん、あれで申し訳ないという顔のつもりなのだろう。公爵は怒りと愛想笑いがまぜこぜになった顔で謝罪の言葉? を述べている。

 それを見て、ナバロは思った。

(非を認めている割に、言葉が軽いな)

 ナタリアは思った。

(自分が謝る立場なのに態度が軽いなあ……)

 ココは思った。

(頭が高えぞ、オツムの軽いオッサンよ)


 まあいいや。

 そもそも別に本気で謝罪が欲しかったわけじゃない。ココは公爵の危機管理能力を見たかっただけだ。

(ウォーレスの話じゃコイツ、王侯貴族は血が違うって思ってるらしいしな。ま、この詫び方が才能より身分に依ってるヤツの限界か)

 ウォーレスなら、ここで公爵の僅かに持っている罪悪感をねちねち攻めて利権の一つでも貰うのかもしれない。でもココにはそんな腹芸は出来ないので……逆ギレするまで煽ってやろう。


 ココは陰のある愛想笑いを止めて、ニコッと聖女スマイルを浮かべた。

「いえいえ公爵様、お気になさらず」

 おそらくここまではオヤジの甘い想定通りだろう。

 だからそこへ付け加える。


「実は王宮の接遇については、既に王太子殿下から真摯な謝罪を受けておりますの。ですので私はもう気にしてないですよ。わざわざ改めて公爵様のお立場からいただく必要はございませんわ」


 ココの言葉を庶民的に、ストレートなものに直すとこうなる。


『おまえの部下の舐めた仕事振りは、もう上役セシルに苦情言っといたから。そっちに平謝りさせたから、今更おまえのぬるい謝罪なんかいらんわ』


 にぶいナタリアやナバロでもわかるぐらい、公爵が反応できなくて硬直している。皮肉は十分届いたみたいだ。

 公爵には限界ラインの謝罪をココが突っ返したところも癇に障っているだろうが、なにより彼を王太子の下と明言したところが効いていると思われる。

 そもそもココはさっきから、セシルを殿下と呼んでいるのに公爵に殿下の敬称を付けていない。

 ココちゃんはかわいいしぐさの裏で、初めっから喧嘩腰だったのだ。




 聖女に思いがけない痛打を浴びた公爵。

 それでもあちこちから見守る廷臣たちの手前、公爵は激発したりせず空笑い気味に引きつった笑顔を見せた。

「ははは、管掌しておるので、こちらへ言って下されば良かったのに……(持って行く先がお門違いだぞ!? セシルなんかではなく、俺に言え)」

 ココの方も、誰もが見惚れる素敵な微笑みを見せたまま公爵へ応じる。

「ちょうど王太子殿下にお会いしていたものですから、ご厚恩に甘えてしまいました。公爵様の方へは私めの訪問の事も届いていなかったようですし(上に言っとけば話は早いんだよ、この中間管理職。そもそもおまえ、情報遅いんだよ)」

「実務は取り仕切っておるのでな。今後粗相が無いように、王宮の者どもにはよく言い聞かせておきましょうぞ(王宮を支配しているのはこの俺だ! 余計な真似をするな!)」

「そうですか、よろしくお願い致しますね。公爵様の手腕に期待させていただきますわ(その割にはミスってんじゃねえか、このポンコツ。どのツラ下げてイキッてんだよ?)」

「ええ、兵どもが襟を正すよう、私が端々まで目を配っておきましょう(俺のテリトリーだぞ! 貴様ごときがあれこれ口出しするんじゃない!)」

「心強いお言葉ですわ。王太子殿下も公爵様がいらっしゃるので安心でしょうね(目の前で失態かましといて偉そうに。こんなのが部下じゃ、セシルの苦労も並大抵じゃないな)」


 二人の会話が進むたびに、周りの空気がどんどん冷えていくのがわかる。勘の良い廷臣がさり気に避難して行ったりする。逃げられないのはこの二人についていた、お供たちだ。

 ナバロもナタリアも鍔迫り合いに至近距離で立ち会う羽目になって、とてもじゃないが生きた心地がしない。強火にかけられた鍋がいつ吹きこぼれるのか……少しでも飛び散る湯にかからないように、二人は息を潜めてじっとしている。

 それは公爵の連れも同じこと。ただ、そちらは残念ながらココやセシルに近侍しているナタリアたちほどには日頃の鍛錬上司の迷惑で鍛えられていなかった。




(なんだ、この女は!?)

 公爵は既に、ココが見た目に反して相当に黒いのに気がついていた。

 この聖女、表面上は和やかだがあからさまに公爵をバカにしてきている。

 外見は楚々とした淑女そのものだが、彼女の発する一語一語が臓腑を抉るような悪意に満ちていた。しかし言葉遣い自体はなんら礼節に反するものではなく、この場所、この立場になければ何も問題なく聞こえるのが恐ろしい。

 だがそんな女でも、彼女はゴートランド教の最重要人物の一人だ。

 たとえ元はビネージュの民でも、地べたに這いつくばる賤民出身でも、彼女に怒りに任せて怒鳴ってしまえば外交上の痛い失点となる。それを理解したうえでの言いたい放題だ。公爵は先ほどまでと違う理由で、腹の虫が収まらなくなってきた。


 それにしても。

 今までのどんな政敵でも、王族の重鎮である公爵をここまで面と向かって罵倒してきたヤツはいない。公爵は無礼に怒るより前に、王族へ賤民がこのような態度を見せることに呆気にとられていた。

(セシルはこの女の本性を知っているのか!? 見た目の色香で骨抜きにされおって、あのバカ者め! これだから温室育ちは……!)

 甥っ子は聖女の見た目より中身の苦さがクセになっているなどとは、公爵の理解力の範囲外にあった。




 そんなこんなで決め手に欠ける上品な罵り合いは際限なく続くかと思われたが……その前に同行していた伯爵家の令息が、ココの態度の悪さに耐えられなくなった。

 二人の会話やりあいが偶々途切れたところで、憤然とした若者が間に割って入る。

「聖女よ! 貴様、先ほどから聞いていれば公爵殿下に向かって無礼であろう!」

「おいっ……!」

 とっさに止めようとした公爵の制止に気付かず、令息は抑えられない怒りを乗せてココを糾弾する。

「公爵殿下は恐れ多くも国王陛下の弟君であるぞ!? わかっているのか!? 直に話していただけるだけでも下々には身に過ぎた栄誉なのに、兵の些細な落ち度ごときでしつこく上げ足を取るとは失礼極まりない……」


 聖女の出身は貴族の間では有名な話だ。その“卑しい女”が人身で最高位の公爵に嫌がらせのような言動を取るなど……これは死刑も当然の、身の程知らずな非礼! 俺が咎めてやらねば気が済まん!

 ……と社会経験の少ない若手貴族は思いがち。

 でもそれは、やってはいけない事だった。


(あーあ、俺は知らんぞ)

 ナバロは心の中で聖印を切った。

(やっちゃった……公爵殿下でさえ我慢してたのに)

 ナタリアはお馬鹿な若者に嘆息する。


 この青年は、なぜその“偉い公爵殿下”が“下賤な聖女”を怒鳴らないのかをわかっていない。

 立場が二重構造になっているのを、それがどんな意味を持つかを理解していない。


 ナバロとナタリアは同時に思った。

(こんなあからさまな挑発を買っちゃうだなんて……バカだ、こいつ)

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