ポロシャツ - 森山直太朗
森山直太朗さんと言えば、メッセージ性の強い歌詞をバラードに乗せて小細工の無い歌唱力で歌い上げるというイメージが強いですよね。“生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい”なんて歌っちゃうほどの世界観の持ち主。
でも、彼に触れたことがある人は分かると思いますが、とても気さくで変わった人ですよ。(褒め言葉)
おぎやはぎの小木さんと義兄弟というのも既に面白いですが、彼自身もユーモア&独創性にあふれた素晴らしい中年だと思います。爽やかで変態。そして、かつてプロサッカーを目指したほどのスポーツマン。僕の好みどストライクですね。
彼のように飄々と我が道をスキップで行くタイプの大人になりたいと常々思っています。
大学生の頃、地元のモールで販促無料ライブを見に行きました。その時は春の野外ライブなのに稀に見る土砂降りの雨。そんな中、現れた直太朗は軽快に飛ばします。(彼の発言そのものではないですが内容はこんな感じ)
「こんな足元の悪い中、わざわざ来て頂いてありがとうございます。良いですねぇ、皆さん。こんな新しい綺麗なモールで……、綺麗な桜の木に囲まれて……。(しみじみ) まぁ、桜は何も見えませんけど」
満開の桜の中で聞く「さくら(独唱)」を期待し、あいにくの曇天にがっかりしていた僕たちは、登場するなり勝手にしみじみする直太朗を前に、誰もが「なにいってんだこいつ」と思っていたことでしょう。
さて、小話はこれくらいにして、今日の曲に移りましょうか。
散々直太朗が好きと言っておきながら「ポロシャツ」は、とあるMADで知ったのですが、この曲の歌詞がたまりませんでした。まさに彼の感性が爆発しています。
軽快なリズムに麗らかな春の匂いを感じます。半袖のポロシャツを着ても寒くない、ぽかぽかとした気持ちの良い陽気の晴れの日です。
―――――
自転車と影を引きずって
ポロポロと歩くモルタルの道
夕焼け背負って
山積みの仕事投げだして
ラルラルとどっか南の島へ
行ってみたくもなる
狛犬みたいなおばさんや
栓抜きみたいなおじさんが
僕の目の前を通り過ぎてく
―――――
擬態語の使い方にセンスを感じます。「ポロポロと歩く」「ラルラルとどっか行く」なんとも気の抜けた線の細い人物像が思い浮かびますよね。とぼとぼだと悲壮すぎるし、とことこだと幼稚すぎる。いそいそだと余裕が無いし、らんらんだと元気すぎる。
気の抜け方。これが絶妙です。
そのあとの比喩がまた独特。狛犬みたいなおばさんや、栓抜きみたいなおじさんって表現を使ったことがないですが、なんとなく分かってしまうのが悔しい。下町なんでしょうねぇ。人物描写一つとっても、この曲の世界観の作り方にほれぼれします。
この他にも「わた飴みたいなバス停」「ドーナツみたいな街路樹」「雑巾みたいな星空」「タンポポみたいな野良猫」といくつも異様なたとえが出てきます。だから、直太朗は面白い。
では、この曲はのほほんとした何でもない日々を歌っているのでしょうか。
もちろん、そんな訳はありませんよね。
―――――
さえない
叶わないお願いやり込めて
人知れず みんな泣いている
―――――
そんな日常の中に当然としてある苦しみ。誰もがかけ離れた理想の自分との距離を胸に抱えて生きている毎日。何とも気の抜けた世界観を作り上げておきながら、その裏に流れているのは苦渋と憂い。
この二層化にぞくっとしました。
頭もお花畑のただ気持ちの良い春の日じゃないんですよね。泣いている人もいての春の日。それを描写している所が、僕がこの曲が好きな理由の一つです。
そして、もう一つの好きなところは「やっぱりそれでいいんだよ」という一種の諦めです。
―――――
くだらないジョークを飛ばして
またとないチャンスに
逃げられて 笑ってる
そんな日があっても
いいなと思う
そんな風にあれたら
いいなと思う
そん時は一緒に
どっか行こう
―――――
苦渋を理解した上の楽観的能天気。
理想とする生き方です。
辛いときに重さと不満の気をプシュッと抜いてくれる。
そんな、栓抜きみたいなおじさんに、僕はなりたいなぁ。
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