◆コラム#1 歌詞に余白があった方が萌えやすい


 僕は何作も楽曲を元に創作してきました。エッセイ「とりとめのない思いのまにまに」の第一話でも書きましたが、僕は保守的コンサバで、ぶっ飛んだアイデアも浮かばない、秀逸な伏線も張れない、そもそも創作活動なんてしたこともありませんでした。


 そのため、ゼロからイチを作り出すなんてパワーの要ることは避けました。力の掛けようもわからなかったのです。これは逆上がりとか、自転車とかの感覚に似ていますね。最初は無理やりしようとしても上手くいかない。補助が必要だと。

 その意味で二次創作は楽だったのです。そこにベースがありますから。逆上がりの補助板のように、自転車の補助輪のように倒れそうになる僕の創作欲をすっと支えてくれました。


 根本的に「この楽曲を知って欲しい」という欲が後押ししてくれましたし、駄作にはしたくないと意識出来ました。その意味で二次創作は一歩踏み出せない人にオススメです。


 じゃあ、どんな楽曲でも二次創作に向いているのか。という話。


 楽曲には色々なものがありますよね。しっかりと曲の中でストーリーが構築されているもの。同じ言葉をリフレインするもの。歌詞が意味を成していないようなもの。とみせかけて、解釈次第では「はっ」とさせられるもの。


 結論から言うと、曲はなんでも良いけれど、余白があった方が書きやすい。がっちりと曲の中でストーリーが完結されちゃっていると、それ以上手の加えようがない、というか解釈の仕様がないというのでしょうか。

 だから失恋ソングであっても、「フラれて、もう一度ヨリを戻した」なんてものより、「失恋したと匂わせながら、降ったばかりの粉雪に足跡が残るだけ」みたいな方が良いですね。個人の解釈や好みを差し込む余地が出てくるので。


 その意味でアジカンってストーリーは掴みやすいけれど、抽象的な言葉が多くて良いんですよ。逆に、amazarashiさんなんかはストーリーの完成度が高すぎて、(既に小説にしましたが)二次創作しにくい。


 どちらのアーティストも好きなんですけどね。二次創作という視点での意見です。


 以上を踏まえて、物語(小説・漫画)の二次創作を書ける人は凄いと思います。設定ががっちりしすぎていて、自分の解釈で動かせる枠が少ないと思うので。余白が多ければ「そう言う風にしたんだ」となりますが、長編のように設定が組み上がっていると、本編との整合性を問われますから。下手をすると「このキャラはこんなこと言わない!」という意見を頂きそうです。


 以前、自主企画「音楽を題材にした物語集まれ!」を立ち上げた時も、クラシック音楽を題材にされている方が多かった印象ですね。クラシックは歌詞がないので余白だらけ。更に劇中歌のように、小道具として作中で使用できるのも大きな魅力だと思います。ですが、そこから物語を膨らますのは凄いと思います。


 僕にとっては余白はあり過ぎても、無さ過ぎても持て余すので、ほどほどが良いんです。わがままだとは思いつつも、好みの問題なのでしょうがない。


 ただ、良い曲はどこまでいっても良い曲です。それは変わらないと思います。





 ちなみに、余白が好きだから、言葉においても解釈の余地があるフレーズが好きなのかもしれません。

「明日やります(明日やるとは言ってない)」

 みたいな?


 いや、これは違うか。


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