となりの君はいつも遠く

五十井 五月

プロローグ





「おじいちゃん、どこまでいくの?」



急な坂道。踏み馴れない落ち葉の積もった少し沈みこむような感触が靴を通して足の裏に伝わってくる。




おじいちゃんは、疲れて立ち止まってしまった私をふり返って、


「ほら、頑張れ。もうちょっとだ」


それだけ言って、また歩きはじめる。





「お母さんとか先生が、入っちゃダメって言ってたよ」




「おじいちゃんと一緒だから大丈夫さ」



もう、やだ。疲れたぁ。もういいから帰ろうよ。

なにを言っても、それでも足を止めてくれないおじいちゃんに諦めて、坂道を登るのを再開した。






「世里にとっておきの秘密を教えてあげよう」






小学校の入学式の前日、入学祝いにもらったピッカピカのランドセルを抱えてはしゃぐ私に、おじいちゃんは言った。


私は何度も確認した明日の持ち物をもう一度確かめていた手を止めて、おじいちゃんの顔を見上げる。


おじいちゃんは、まるで悪戯を仕掛けた子どものような笑顔を浮かべておいでおいでと手招きして、私の耳元で小さな声で言った。



「おじいちゃんの秘密の場所だ」


「秘密?」


その魅力的な響きに声が大きくなる。おじいちゃんは人差し指を立てて、静かにするように言って、


「お母さんも知らない、おじいちゃんのとっておきの秘密だから、世里も誰にも言っちゃだめだぞ」



そう念を押す。


私は首を縦に振って、おじいちゃんのマネをして人差し指を立てた。





おじいちゃんに連れられてきたのは、家から少し離れたところにある森の中。


そうして付いてきたは良いものの、おじいちゃんはどこに行くのかも何も教えてくれないまま、森の中を慣れた足どりで歩いて行く。


空を覆う大きな葉っぱが太陽の光を遮り、森の中は昼間なのに薄暗い。

いつもとは違う足に伝わる感触と、折れた枝や大きな石。


歩きにくいし痛いしで、来なきゃよかったなんて後悔する。


ザワザワとした音が少し怖くて、少し離れたところを歩いていたおじいちゃんに駆け寄ってその手をギュッと握った。





「よし、着いたぞ」






おじいちゃんがやっと足を止めた時には、私の息はもうすっかり上がってしまっていた。


私は肩を上下させながら周りを見まわした。そこは、坂道を登りきったのか、視界がぱあと開け、私たちの暮らす町が一望できる場所だった。先ほどよりも木の密度が少なくなり、目の前には黄緑色の葉っぱをつけたひときわ大きな木が一本、その存在を強調するように立っていた。






「なにもないじゃん」






不機嫌まる出しで、おじいちゃんを見上げた。

秘密の場所なんて言うから、もっと特別な何かを想像していた。

こんなに頑張って登って来たのに、なにもないただの見晴らしのいい場所なんて。





「まあ、いいから。いいから」






手を引かれ、大きな木の方へ歩いて行く。

変わった形をした若葉色の葉が揺れている。




「ねえねえ、これってなんの木?」



「カエデだよ」






カエデ……ぼそりとつぶやいて上を見上げた。こんなに大きな木、初めて見た。でも、これを秘密と言うには少し、いや……かなり物足りない。

確かに立派だけど、木は木だし。植物が好きとかそういうわけでもない。




「世里、ほら見てごらん」




木からおじいちゃんが指さした方に視線を移して、目を見開いた。


いつの間にかそこには人が立っていた。



しかも二人も。小柄なおじいさんと私と同じくらいの男の子。






「勇作、遅かったじゃないか」






おじいさんと言うにはちょっと若いくらいのおじさんが、おじいちゃんの名前を呼んで親しげに話しかけてくる。





「いや、すまんすまん。思いのほか時間がかかってな」




おじいちゃんも、その人とは仲がいいみたいで近所の人たちと話すときよりも親しげな声で話しだす。



誰だろう、この変な人……。



「それで、その子がお前の孫か」





急におじいちゃんに背を軽く押され、前に出される。

ドキッとして身体が強張った。





「ほら、挨拶しなさい」






頭の上から言葉が降ってきたけど、私は首を振っておじいちゃんの足にすがりついた。なんだろうこの人たち。なんでこんな、変な格好してるんだろう。




元々人見知りな上に、自分たちや今まであった人たちの誰とも違う二人に挨拶しろと言われても言葉なんて出てくるはずもない。




ぎゅうとおじいちゃんのズボンの生地を掴んで、後ろに下がる。






「こら、世里」



「まあ、勇作。どうせお前何も話さずにつれてきたんだろ。突然連れてこられたら、驚くのも無理ないさ」





変わった姿のおじいさんは軽く笑ってしゃがみこむと、人のよさそうな笑顔を見せた。




「おじいさんから聞いているよ。世里さんだったかな?」




優しい声。

世里さんなんて、なんだかお姉さんになったみたい。少しどきどきしながら、こくりと頷いた。おじいさんは目尻のしわを深めて、




「わしは、世里さんのおじいさんの友だちでな。松五郎と言うんだ」




それから後ろの男の子に手招きした。




「それから、この子はわしの孫でな。源太と言うんだ」





おじいさんから男の子の方へ視線を移す。

目が合った。

大きな瞳はたくさんの光を取りこんできらきらして、綺麗だった。

身体の奥に小さな火が点る。うるさいくらい大きく心臓が動いて、小さな火の温かさが身体中に広がっていく。


男の子は大きな瞳をきゅっと細めて、にっこりと笑顔を浮かべる。




引き寄せられるように前に出ていく。




「おれは源太だ。よろしくな世里」





嫌なことがあったわけじゃないのに、涙が出そうになった。

体が熱くて、心臓がドキドキして、言葉が喉に詰まったみたいに出てこなくて、私は慌てておじいちゃんに駆け寄って陰に隠れた。




「なんだなんだ? まったく……すまんな源太。どうもこの子は人見知りで」


「いやいや、構わないよ。なあ、源太」


「はい、おじい様。いろいろお話してみたいですが、それはまた次の機会にいたします」


「そう言ってくれると、嬉しいよ」




三人がそんな会話を交わすのを私はおじいちゃんのズボンに顔を埋めながら聞いていた。




これが源太との出会い。この日のことを私は今でも鮮明に覚えてる。そしてきっと、どれだけ時間がたっても私はこの日のことを何度だって思い出すんだろう。


忘れられるわけない。




この日から、私の奇跡みたいな日々が始まったんだから。

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