第4話 絶望に苛まれた少女は愚かにもその身を捧ぐ①

普段は嗅ぐことの無いような異臭が鼻腔を刺激する。硝煙、血、腐敗臭。この世界でそれらが意味するものは一つしか無い。戦争だ。人と害虫との戦争。一体、こいつらは何をするために地球まで来たのだろう。細菌には人間みたいな思考力がないとはいえ迷惑な話だ。


「これじゃあ、班長失格ね」


 能力者部隊第三小隊二班班長の私、「鷺元絵理香さぎもとえりか」は崖の上に立ち尽くしていた。


班員を殺され、友も死んだ。援軍も期待できそうに無い。もはや弾薬も底をつき、頭を打ったせいか能力の発動もままならない。私もここで終わりか。


 自決用にとっておいた拳銃を取り出し自らの頭に銃口を向けるようにして銃を構える。まさか、あいつとの約束も果たせないまま死ぬことになるとは。私も駄目な人間だ。


 深呼吸をして引き金に指をかける。あいつなら、由依奈だったらこの任務も上手くやってのけたのだろうか。私の数少ない同期で世界の希望にもなり得るあいつだったら、どうやったんだろうな。


 眼前に広がる夕陽が鮮やかで煌めいていた。茜色に染まる世界。まるでこの場所が世界の中心のようにも感じられた。

 ああ、この世界はどうしようもなく残酷で、綺麗だった。


「クソッタレな世界、さよなら」


 引き金を引いたその瞬間、弾丸が銃口から飛び出すよりも前に、途轍もない速さで腕が引っ張られる。理解が追いつかなかった。その勢いのまま、私は崖から落下していく。何が起きたのだろう。意識が後から追いついてくる。


 普通に考えて、これ、ヤバくね?この高さから落ちたら絶対死ぬよね?


 急に我に帰り、ことの重大さに気がついた。おそらくあと二十秒もあれば地面に激突して死ぬだろう。そんなことを考えていると耳元で声が聞こえた。


「あ、これヤバイ。死ぬかも」


 この聞き覚えのある声は、間違いない。由依奈だ。次の瞬間にはお姫様抱っこのような感じで抱えられていた。


「死ぬかも。じゃないわよ! あんたのせいでしょ! 何してくれてんの!」


 人ごとのように言う由依奈に対して、思わず声を荒げてしまう。今は話している時間なんてないのに! ああ、地面がもうすぐそこに……。もうダメだと思い目を瞑る。


「大丈夫。あなたは私が守るから」


 再び由依奈の声が耳元で聞こえた。すると急に落下の浮遊感がなくなった。目を開けると、宙に浮いたままゆっくりと降下していた。


「ゆ、由依奈? これあんたの能力?」


 私の知っている由依奈の能力に、こんなものはなかった。


「ううん。重力とかは操れるけど、さっきベクトル変換を使っちゃったから、別の能力はまだ使えない」


 由依奈も驚いているようだった。そうなるとこの能力はあいつしかいない。下を見ると、こちらに向けて手をかざしている一人の隊員がいた。


「まったく、貴方達はこんな時まで何をやっているの? 戦争中よ。意識低いんじゃないかしら?」

「「真幌まほろ‼︎」」


 そこには、私たちの同期で、同じ部隊の中尉を務める「山吹真幌やまぶきまほろ」がいた。地面に降り立ち、真幌のもとに駆け寄る。


「真幌!本当にありがとう!どっかのバカのせいでマジに死ぬところだったわ」


 真幌の手を掴み心からの感謝を述べるとともに頭の沸いたやつに嫌味を言う。本当にロクなことをしない。顔だけで振り返り由依奈を睨みつける。

 由依奈は何事もなかったかのように携帯型端末を耳に当て、誰かと会話をしている。まったく、お礼も無しなのか。本当に何を考えているのだか。


 真幌の手を離しその手を腰に当て嘆息する。とんだやつを同期に持ったわね。少し経って、話し終わった由依奈は端末をしまい、こちらに歩いてきた。


「真幌!ありがと!助かった!」


 なんだ、ちゃんと言えるんじゃないか。


「いやー、絵理香が頭に向かって銃構えてたから、思わず飛び出しちゃった」


 空気が一瞬で固まるのが分かった。そうだ。私、さっきまで死のうとしていたんだった。肩に手が置かれるのを感じる。振り返ると真幌が訝しげな顔で見ていた。


「絵理香?どういうこと? 死のうとしてたの? なんの理由があって?」


 真幌が腕を掴み睨みつけてくる。ヤバイ。これは非常にヤバイ。どんな言い訳をしてもダメだ。どう言い訳をしたものか。


「えっとね、真幌。これにはワケがあって、ね?」


 真幌に追い込められ、落ちてきた崖に背をつける。真幌の顔を見ると、うっすらと涙を浮かべていた。その顔を見て言い訳をする気が失せてしまった。


「私の班は壊滅した。そのほかにも連絡のつかない班が3つある。私自身も能力の発動限界のせいで戦闘はできない状態。状況は絶望的。戦うことのできない兵士は足手まとい。死ぬしかないじゃない?」


 今度は胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられる。よく見ると真幌の肩は震えていた。


「アンタ、本気で言ってるの?」


 まぁ、そりゃ怒るだろうな。これ以上は弁明のしようが無く、黙り込んでしまう。


「絵理香。死ぬなんて言わないで。私たちの同期があと何人いるか知っているの?入隊当時は百人以上いたのに今

は二十人もいないの。私はもう誰にも死んでほしくないの」


 真幌が泣くところを見るのはいつぶりだろうか。私は間違っていたのかな。でもどうしようもなかったのは事実だし。どうすれば良かったのかな。


 沈黙をその場が包む。どのくらい経ったか、少しも経っていないのか、その沈黙を破るように聞き慣れた機械音が聞こえてきた。


『作戦司令部から各員に通達。偵察部隊と防衛部隊を除く全隊員は速やかに本部帰還せよ。繰り返す。作戦司令部から各員に通達――』


 その声は唐突に撤退命令を告げた。私の班は壊滅して、連絡も取れない班もいるというのに撤退? 冗談じゃな

い。私の部下や他の隊員たちの命を無駄にする気なのか?


 握った拳に力が入る。今すぐにでも司令部に反論を言ってやりたいが私の端末は壊れていて他の端末ではログインが出来ない。それに、言ったところで覆るはずもない。もどかしい。私程度の力では何もすることができない。

 昔からそうだ。私はいつも一人で突っ走って失敗して周りに迷惑をかける。部下を持ち、変わろうと思っても結局変わることは出来ない。


 胸ぐらを掴まれていた苦しさから解放されるのを感じたが、胸の苦しさは相変わらず健在していた。今度は腕を掴まれ引っ張られる。前を見るとそこには真幌では無く、由依奈が立っていた。


「絵理香」


 由依奈が口を開く。


「絵理香が考えていること、なんとなくだけどわかるよ」

 由依奈の口から意外な言葉が出てきた。


「私も能力に目覚める前は力の無さをすごく責めた。でもね、この世界では考えるだけでも、一人で行動するだけでも何も解決はできない。害虫と私たちには決定的な差があるの。私だって一人じゃ限界がある。だから、私たちはみんなで協力して戦ってる。今回の撤退命令だって何か理由が絶対にある。大丈夫。今の司令部がある限り私たちは負けることはない。だから、さ? 今は命令に従おう?」


 由依奈が諭すように話しかけてくる。解っているんだ。私一人が行動しても何も変わらない事くらい。でも、あんまりじゃないか。私たちはどこまでいっても所詮兵士というわけか。あまりにも前時代的じゃないか。


 次に真幌が口を開いた。


「全を救うために小を犠牲にすることは罪だが、悪ではない。それは、死んでいった仲間たちの思いを掬い、取り自らの糧にする事なのだ」


 それは昔、よく聞いた言葉だった。


「あなたが心から尊敬していた前総督の言葉よ。今は指示に従いなさい。それが勝利への最善策で、死んだ仲間たちのためでもあるから」

「由依奈、真幌。」


 二人の顔を交互に見る。二人も納得をしているわけではないようだった。


「うん。そうだね。指示に従うわ。仲間のためにも」


 二人から目を離し歩き出す。納得はしていない。してはいけないと思う。だって罪なのだから。


「よーし! じゃあ、二人ともしっかり掴まってて!」


 突然、由依奈が私と真幌を両脇に抱えた。どういう事!?


「ちょっと由依奈?一体なんのつもり?」


 真幌の質問を意に介さず由依奈は身を屈める。これは、まさか、やるつもりなのか?ゆっくりと深呼吸をして足に力を入れ始める。


「真幌、絵理香。振り落とされないようにしてね。急には止れないから」


 次の瞬間、私たち3人は宙に浮いていた。それもすごい勢いで進みながら。


「「うわあああああああああああ‼︎‼︎‼︎」」


 叫ぶ。落下とは違う浮遊感と、味わったことのないスピード感に恐怖を覚える。


「由依奈!ちょ、とま、止まって!」

「え? なに? ちょっと聞こえない」


 由依奈に制止を促すも、風の音で自分の声も由依奈の声も聞こえない。満身創痍の中で真幌の方を見ると、気絶していた。ああダメだ。気が抜けて意識が遠のくのを感じた。


 どれくらい経ったのか。気がついたら基地の大広間に座っていた。辺りを見渡すと、隣に由依奈と真幌が座っていた。


「あ、やっと起きた。大丈夫だった?」


 大丈夫?誰のせいだと思っているんだ。思わずため息が溢れる。もうこいつには常識が通用しないのは十分解った。もう何も気にしない。そうしよう。いちいち気にしていたら、きっと病むに違いない。同じ隊に入ってから苦節4年、やっと由依奈の対処法がわかった気がする。そんなことを考えていると、壇上に司令部のトップである市ヶ谷参謀長が現れた。


「諸君、急な召集すまない。今回集まってもらったのは他でもない。この作戦において最重要である事項を伝えるためである」


 最重要事項?それなら作戦を始める前に伝えるものではないのか?こんなに兵を集めてしまったら、その最重要とやらも失敗するんじゃないのか?こっちの心配もそっちのけで、市ヶ谷参謀長は話を続ける。


「今回の作戦はそう難しいものではない。それに上手くいけばこちらの被害はほぼ0となるだろう」


 その声からは絶対の自信が伝わってきた。上手くいけばなんて信用できない。一体どんな作戦なんだ?


「諸君らが前線で害虫どもを抑えてくれていたおかげで、かねてより建設をしていた大規模地下通路でこの基地周辺に住む国民たちの移送が先ほど完了した。そして先日、神代大佐が制圧を完了した元警視庁庁舎に作戦基地を移行する準備も整った」


 何を言っている?参謀長は一体何を言っているのだ?


「よって、この時をもって我々はこの基地に害虫を誘い込み爆撃を行う」


 周りが一気にざわめく。随分と思い切った作戦を言い出したな。


「行動としては全員が命を最優先して害虫から逃げこの基地に誘い込む。そしてヘリコプターで高台へ避難。そして爆撃。実に簡単だろう?」


 これは本当に作戦と呼べるのだろうか。放棄ではないのか。その時だった。警報音とともに辺りが赤く点滅する。そして勢いよく広間の扉が開かれた。


「た、大変です!突如現れた超大型の害虫により第1第2第3防衛ラインが突破されました!」


 広間中に響き渡ったその大声は絶望を告げるものだった。

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