第8話 紅倉の挑戦状

 6時。

 駐車場で等々力と落ち合った。

 芙蓉は愛車と似たタイプのレンタカーを借りている。破壊されたまだ真新しい愛車は「こりゃあ廃車にした方が安上がりですよ?」のアドバイスを押してメーカーの修理工場に送ってもらった。

 紅倉が決戦の地に選んだ昨日の海水浴場に向け出発すると、助手席の紅倉はガチガチに緊張していた。

 後ろにミスグラビアの二人が同乗している。紅倉は、無神経な等々力組のメンバーは別として、他人といっしょに狭い空間にいるのがひどく苦手なのだ。

「先生。まだリラックスしてていいんですよ?」

 運転する芙蓉はすまして言う。紅倉は、プレッシャー掛けてるなあと芙蓉を恨んだ。

 昨夜乱闘騒ぎに遭った忌まわしき駐車場に着くと、見慣れた古いバン「ブラックベース」があった。

「残りの連中も呼びました」

 と等々力はニコニコと、

「撮影は、バッチリ、任せてね」

 とミス二人にも請け負った。

 砂浜に下りるコンクリの階段の上にがっしりした三脚に大型カメラが据え付けられている。もう1台砂浜に足場の板を敷いて立てられている。紅倉と芙蓉はお馴染みの茂田カメラマンに「こんばんは」と挨拶した。

 音声やモニターのチェックに忙しいADたちも二人に「お疲れさまです」と挨拶した。

 等々力とスタッフ五人、等々力組レギュラーメンバー勢揃いだ……等々力組は少数精鋭なのである。

 人数的には物足りないが、テキパキとしたプロのスタッフの仕事ぶりを見て、ミスグラビアの二人もすっかり芸能人の一員気分を盛り上がらせている。

 なんだかお祭りの準備のように浮き浮きした雰囲気で、どうもこれから恐ろしいオカルトショーが始まるという感じではないが、等々力組の仕事はいつもこんな調子だ。

 この砂浜と周辺道路は現場保全の名目で警察により立入禁止のロープが張られ、ここにいるのはこの関係者だけだ。


 紅倉と芙蓉は玲緒奈を伴って再び駐車場に向かった。

 紅倉は入り口で立ち止まると、じっと横目で芙蓉を見た。

「美貴ちゃんはここで待ってて」

「なんでです? お供しますよ?」

「だってえー、……そういう目でプレッシャー掛けるんだもん」

 芙蓉はふてくされたように「フン」と息をつき、

「ではどうぞ、お任せします」

 と腕を組んだ。

 紅倉はじとーっ……と嫌な目をして

「じゃあこっち」

 と玲緒奈を駐車場の中央に連れていった。

「えーと、じゃあここで…」

 玲緒奈を中央に立たせた紅倉はその後ろにしゃがみ、腰を掴んで、

「えーと、こっち。いや、こっち」

 とあっちにこっちに向かせ、

「ま、これでいいでしょう」

 と、芙蓉が羨ましがるようにポンとショートパンツのお尻を叩いた。

 立ち上がると、前に回って、まじめな顔で言った。

「それじゃあ、玲緒奈さん、すみませんがよろしくお願いします。怖い目に遭わせてしまいますけれど、きっと助けますから、信じて我慢してください」

 玲緒奈はバッチリカメラ写りを意識したメークで、

「はい」

 と笑って答え、

「こう見えてわたし、お化け屋敷でキャーキャー大声上げて楽しんじゃうタイプですから、任せてください!」

 と、いささかピンボケなことを言って高さのある胸を叩いた。

 紅倉は

「そう。じゃ、よろしく」

 と苦笑しながらお願いし、さて階段に向かおうとしていきなり、

「うわあっ」

 となんでもない平らなアスファルトの上で思いっきりこけた。

 はあー、とため息をついて芙蓉が歩いてきた。

「大丈夫ですか、先生?」

 今紅倉は、上下ともクリーム色の綿で、長袖のプルオーバーを着て裾丈のパンツをはいている。紅倉は普段からよく転んだり、物にぶつかったりするので、特に脚は厚手の物をはかせている。ちなみに芙蓉は白の半袖シャツに黒のショートパンツをはいて生脚を露出している。やはりどうしても自分の方へ来てくれればという思いが捨て切れないのだ。

 紅倉は芙蓉の差し出す手を

「大丈夫だもーん」

 と子どもみたいに意固地に断って立ち上がった。

「さあ行くわよお!」

 と指さして、だいぶ痛そうに右足を引きずりながら進んだ。

 無理しちゃってえ、と芙蓉は、先生を苛め過ぎちゃったかしら?、と少し反省した。


 階段を降りた紅倉は、砂浜を歩き、暗く陰り、冷たくなった空気を気持ちよさそうに吸い、皆の方を向いて両腕を広げると言った。

「さあ! 決勝戦よ!」




 空は海の方から黒くなっていき、星が輝き出す。

 ざあああ………、ざあああ………、と波が打ち寄せる音が静かに響く中、紅倉は目を閉じ、強力にテレパシーを発した。


『海から引き上げられた怨霊よ、

 わたしと勝負しなさい!

 あんたにハンデをあげる。

 あんたに、右脚をあげる。

 ほら、こっちを見なさい、

 ミス・グラビアクイーン・コンテストの審査員特別賞の上玉よ?

 彼女の右脚をあげる。

 いいのよ? どうせすぐにあんたを退治して奪い返してあげるから。

 でももしあんたがわたしに勝てたら、

 優勝賞品はこの子、

 コンテスト・グランプリの

 ミス・グラビアクイーンよ!

 ほーら、よだれの垂れそうないい腰してるでしょう?

 彼女から下半身の霊体を奪って、体を完成させるがいいわ。

 さあ、

 この脚と腰が欲しければ、

 姿を現しなさい!』




 玲緒奈だけは一人上の駐車場にいる。

 彼女は怨霊への供物なのだ。

 50台入る長方形の駐車場の中央に、彼女は置き去りにされて立っている。

 駐車場の高い灯りの下にいる彼女からは海は真っ暗で、砂浜にいるはずの人影も見えない。

 玲緒奈はリッチな艶の黒髪をして、目に力のあるモデル顔で、流行りのショートパンツからにょっきり自慢の白くて長い脚を露出している。敵が男の幽霊なら我を忘れてむしゃぶりついてくるだろう。

 天然ボケ気味に前向きなやる気を見せていた彼女も、実はけっこう強がっていて、一人スポットライトの中に立たされると、周りの闇に魑魅魍魎がうごめく幻をイメージしてしまい、それが幻に留まらず具体的に憎悪を抱いた女の怨霊が確実に襲ってくるとなれば、日頃の強気も萎えてくる。

 芙蓉からこの話を相談された時、

『またわたしの脚?』

 と思ったのだ。

『その手の物にとってわたしの脚ってよっぽど魅力があるのね?』

 と、ちょっと得意に思ったのだ。

 今度ははっきりと悪い物のようだが、芙蓉は、もし引き受けてくれるならテレビ局のディレクターに番組出演を確実に約束してもらう、と条件を提示し、玲緒奈は今度こそ巡ってきたチャンスを逃すものか!と思ったのだ。

 一度経験しているから、ま、あんなものだろう、と、経験者としての優越感もあった。

 別にマゾのつもりはないが、ほんのしばらく怖いのを我慢しさえすれば、その後にバラ色の未来が開けていると舞い上がった。

 いっとき悲劇のヒロインを演じるような気分だ。

 引き受けると芙蓉は、

「すみません。よろしくお願いします」

 と、深々頭を下げた。

「いいわよお、わたしとあなたの仲じゃない?」

 と、既に芸能人の仲間入りした気分でいたのだが。


 あの時の芙蓉の悲痛な顔が、今になって思い出された。


 玲緒奈は次第に落ち着かなくなり、やたらと辺りを見回すようになった。

 ふと、右脚に変にざわつく違和感を感じた。なんだか感覚が肉体から浮き上がってくるような変な感じだ。

 右脚が何か訴えかけてくるようで、ふいに、ざわざわざわっ、と、恐怖が背筋を這い上がってきた。

 はっとして辺りを見渡す。

 自分はとんでもない間違いを犯してしまったのではないかという強烈な後悔がわき上がってきた。

 照明の外の闇がとてつもなく恐ろしい物に思えた。

「や、やだ………………」

 後ずさって、はっと後ろを振り返って、どんどん追いつめられ、惨めな気分になってきた。

 ここから逃げ出したい!……と思った。しかしそれが罠で、

 飛び出そうとした途端、闇に尖った歯と真っ赤な口腔の巨大な口が開いて、ガブッ、と、右脚が付け根から噛み千切られるように思えて、

 ガチガチ震えて、

 お漏らししそうに両腿をすり寄せた。

「ね、ねえ……」

 か細い声が震えた。

「助けて、わたしやっぱり駄目。ごめん、芙蓉さん、紅倉さん、謝るから、ねえ、ここから連れ出して? わたし、怖くて動けないわ…………」

 涙があふれてきて、顔が歪んだ。

 ああ、こんな顔、撮られたくない……と思って、

 そうだ、自分もカメラが撮影しているはずだ、と思い出した。

 声を張り上げた。

「ギブアーップ! もう駄目! 助けてー!」

 しかし返事はない。無情な闇に、そこに潜んで撮影しているはずのカメラマンに、どこ? どこよ!?と探して、

「人でなしーっ!」

 とわめいた。

 どこよ?……

 泣きべそをかきながらあっちこっちと見回して、

 心臓が縮み上がった。


 自分と同じ灯りの中に裸の女が立っていた。

 しかし女には首がなく、腰がなく、右脚がなかった。

 代わりにもやもやした黒い影が……


 玲緒奈は予想を超えた生々しい姿にぞぞおっと鳥肌が立った。

 首と下半身の欠けた裸の女はいきなり3メートルほどの距離に現れ、ヒタ、と裸の左足を出して歩いてきた。ヒタ、……、ヒタ、……、ヒタ。黒い影の右足は音を立てず、体を不自由そうに揺らしながら歩いてくる。

 玲緒奈は顎をカクカク震えさせながら後ずさった。

 ぜったい無理!

 と思った。こんな生々しい死体に、一本だろうと自分の脚をあげるなんて。

『ごめんなさい!』

 玲緒奈は後ろを向いて駆け出そうとしたが、ぎしっ、と、右足が根が生えたように動かなかった。

 捕まったのかと恐怖の顔で後ろを見ると、怨霊は裸の体を揺らしながら迫ってきた。玲緒奈はおぞけだち、逃げなくちゃ逃げなくちゃと動かない右足を腿を両手で掴んで必死に引っぱった。ヒタ、……、ヒタ、と白い首のない体が迫る。動いて!動いて!と玲緒奈は顔を歪めてぼろぼろ泣いた。動け!動け!わたしの右足!……

 頭の中で声がして玲緒奈はハッとなった。


『約束したでしょ?』


 冷酷な、首のない影の声か?

 いや、これは、この女の声は……

 玲緒奈は暗くて見えない砂浜の方を見た。

 そんな……、嫌、ごめんなさい、許して……

 ヒタ。

 足音がすぐ後ろに迫り、

 玲緒奈はガシッと両肩を掴まれた。ヒイッと体の芯を恐怖が駆け上った。


 あし……、あたしの脚………


 さっきとは違う不明瞭な声が頭の中で嬉しそうに言った。

 右脚を何かカサカサした気味悪いものに包み込まれ、


 玲緒奈は悲鳴をほとばしらせた。



「きゃあああああーーっ、きゃあああああーーーーっ」

 駐車場で上がる悲鳴を聞いて芙蓉は辛そうに目を閉じた。これで玲緒奈との友情はお終いだろう。

 芙蓉の背中では入山渚子が真っ青な顔で震えていた。生半可な好奇心なんかで来るべきところではなかったのだ。

 芙蓉は背中を離れていきそうな渚子の気配に振り返り、励まして言った。

「大丈夫、あなたはわたしと先生が絶対に守ります。彼女も……、必ず助けます」

 そうですよね、先生? と芙蓉は紅倉を見つめた。

 二人から離れて波打ち際に立つ紅倉は、最悪に不愉快な顔で目を半分閉じていた。

「きゃあああ……ああ…………………………」

 悲鳴が、やんだ。


 砂浜に下りる10段ほどの階段の上では等々力組の茂田カメラマンが望遠レンズ装備の高感度3CCDカメラで、ここからははっきり見渡せる駐車場の様子をしっかり撮影していた。茂田はカメラを覗いているときだけ怖い物知らずになる。

 その茂田のカメラの前を、

 ヒタ、ヒタ、ヒタ、ヒタ、

 と、両足の揃った、頭と腰のない裸の女が歩いてきて、階段を降りていった。

 砂浜にはもう1台三脚の中型カメラと、等々力がハンディーカメラを構えているはずだ。裸の背中が砂浜に降りるまで見送って、茂田は駐車場をズームして撮した。

 駐車場の真ん中に、玲緒奈は背中を丸めて倒れ、右脚を抱えていた。

 茂田カメラマンは気の毒にと思いながらカメラを砂浜へ向けた。



 階段を降りたまっすぐ先の波打ち際に紅倉が立ち、紅倉から見て右手斜め、30メートル以上ある広い砂浜の中間の位置に芙蓉と、芙蓉に守られて入山渚子がいる。等々力たちスタッフは砂浜の奥と海の家の縁側にいる。彼らには紅倉から決して海の近くに下りてこないようきつく注意がされている。

 幽霊の撮影なので撮影のための照明はない。道路の照明があるだけだが、リゾート地の空は明るく、慣れた目には人の姿も識別できる。

 まして紅倉の目は暗闇の方がよく見える。

「ずいぶん魅力的なプロポーションね?」

 紅倉は歩いてくる首なし女に言い、

「おっと、そっちの賞品はわたしを倒すまでお預けよ?」

 渚子に引き寄せられるようにする女に言った。

 紅倉の目が赤く濡れる。

「さあ、あんたみたいな雑魚、姿さえ見えればこっちのものよ。もう一度ぶっ殺してやるからさっさとかかってきなさい!」

 首なし女はゆらりと肩を揺らして、黒い影の顔で紅倉を睨んだ。

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