第100話 正しい姿勢を保ちましょう

「レナリアくん」


 低く告げられた自分の名前に、レナリアはマーカスを見下ろす。


 背中にレナリアを乗せたラシェがすぐに立ち上がったから、目線は頭一つ分くらい高い。


 銀縁の眼鏡を指で直したマーカスは、名前を呼んだ後、しばらく無言でレナリアを見つめた。


「目の錯覚でなければ、私には君の体が浮いたように見えたのだが」


 レナリアは少し目を泳がせ、恥ずかしそうに答える。


「私のエアリアルが、見かねて鞍に座らせてくれました……」

「エアリアルが……?」


 マーカスは驚いたように藍色の目を見張る。


 そもそもエアリアルは契約者にも姿を見せることがなく、精霊の中で最も力が弱いと言われている。

 魔力が強いものでも、わずかに風を起こすのが精一杯だ。


 体を浮かせて、しかもきちんと鞍の上に乗せるというのは、かなり精密な動作が必要だ。


 そんなことができるエアリアルがいるのだろうかと、マーカスはレナリアの周りに視線を巡らす。


 だがそこにエアリアルの姿はない。


 当然だ。エアリアルは風の精霊。水や火と違って、風は人の目には見えないのだから。


 ただマーカスの同僚のポール先生は、名づけをしたら薄っすらと姿が見えるようになった気がすると言っていた。


 マーカス自身もポール先生にならってウンディーネに名前をつけたところ、以前より意思の疎通がしやすくなったような気がする。


 名づけをすると良いと始めに提案したのは、目の前にいるレナリア・シェリダンだ。


 ここ最近、学園で問題が起こった時には、必ずその場にレナリアがいる。

 特異点となっているのは、レナリアかそれとも守護するエアリアルなのか。


 マーカスは目を細めて、リッグルに乗るレナリアをじっと見つめた。


「さきほどの様子だと、かなり練習しなくては一人でリッグルに乗ることはできないだろう。毎回、エアリアルに頼んで乗ることはできるか?」


 マーカスの質問に、勢いよく答えるのはフィルだ。

 レナリアが授業中にするのを真似て、元気よく右手を挙げている。


「はいはーい! ボクできるよ」


 その横ではチャムがしょぼんとしっぽを下げている。


「チャムお手伝いできないー」


(フィルありがとう。そしてチャムは他のことでお手伝いしてくれてるからいいのよ。今度お手伝いしてね)


 精霊たちは守護するものの役に立つのを喜びとしている。

 チャムも正式なレナリアの守護精霊ではないが、大好きなレナリアのために何かしたいのだ。


「はいマーカス先生、できると思います」

「騎乗の際には気をつけることがいくつかある。まずは目線だな。下を向くと背中が丸まってしまうから、常に目線を上げて遠くを見るようにしたほうがいい」

「はい」


 高い位置にいるからどうしても下に目を向けてしまいそうになるが、レナリアは意識して背筋を伸ばし、前を見た。


「横から見た時に、頭、肩、腰、かかとが一直線上にあるのが正しい姿勢だ。肩の力を抜き、胸を張る。上腕は地面に対して垂直に下ろし、手綱を持った手首を折らない。エレメンティアードでは左手で手綱を持って右手で杖を構えるからな。いずれは片手で乗りこなす必要があるが、まずはそのまま少し歩かせてみるといい。私が手綱を引こう」


 マーカスが手綱を持って、ゆっくりとラシェを歩かせる。


 こうして一人でリッグルに乗るのは初めてのレナリアは、なかなか姿勢を正しく保つのが難しい。

 ラシェが一歩歩くたびに、体が跳ね上がり姿勢を崩してしまう。


 そこへ、生徒たちがちゃんと騎乗できているかどうか見回っているポール先生がやってきた。


「どうかな、レナリアさん。慣れてきた?」

「ええと……なかなか姿勢を保てなくて……」


 風魔法の授業であれば何でもさらっとこなしてしまうレナリアの意外な苦手科目に、ポール先生は確認を取るようにマーカスを見る。


 重々しく頷いたマーカスに、レナリアは騎乗が苦手なのだと苦笑した。


「自分で騎乗するのも難しいようだ。エアリアルに力を借りて乗っていたぞ」

「エアリアルに!?」


 ポール先生は驚いてマーカスとレナリアを交互に見る。


「体を持ち上げてもらっていたな」

「……それは……凄いね」

「そうだな」


 ポール先生は、あっさりと答えるマーカスに、あえて騒ぎ立てないようにしているのだと理解した。


 おそらくレナリアを守護しているエアリアルは特別だ。

 だからこそ、レナリアは様々な風魔法を使えるのだろう。


 しかし本人はそれが凄いことだとは気がついていないらしい。


 それに目立つことを望まない性格のようだから、のびのびと学ぶのが合っているのだろう。


 まさかマーカスがレナリアのことを観察している段階だから何も言わないだけなのだとは思わず、生徒一人一人にあった指導ができるなんて、やっぱりマーカス先生は凄いなぁと、ポール先生は感心していた。

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