第88話  ほうれんそうを大切に

 二人とも、レナリアから今日の出来事について色々と聞きたいのだろう。

 先にアーサーと打ち合わせをしておきたいところだが、セシルを待たせるわけにもいかない。


 少し考えたレナリアは、まずアーサーに寮まで迎えにきてもらって、セシルと話すまでの間に少し説明をしておくことにした。


 レナリアは急いで手紙の返事を書くとアンナに渡した。

 アンナは急いで行ってきますと言って、アーサーとセシルに手紙を届けに行く。


 兄であるアーサーはともかく、王子であるセシルにはいつもレナリアの侍女として共に行動しているアンナが直接持っていかなければ、手紙を受け取ってもらえないだろう。


 その間に、レナリアはアンナに新しい制服を出してもらって着替える。最近は一人でも制服を着られるようになった。


 胸元のリボンも上手に結べたわと、鏡の前でくるんと回る。

 ふわりと、ホワイトローズの香りが漂った。


「またおいしいものが食べられるかなー?」


 セシルと会うかもしれないと聞いたチャムは、両手を組んでうっとりしている。

 どうやら以前食べたマカロンタワーが忘れられないようだ。


「どうかしら。今日は急なお誘いだから……」

「えー。チャム食べたーい」

「あ、じゃあ私の焼いたクッキーを持っていきましょうか」


 ちょうど昨日焼いたばかりのクッキーがある。本当はもう少し上手に焼けるようになってからアーサーに渡そうと思っていたのだが、そうするといつまでたっても渡せそうにないので、いい機会かもしれない。


 アンナにちゃんと味見をしてもらったから、失敗はしていないはずだ。


「わーい。レナリアの魔力入りのクッキー?」


 喜んで飛び跳ねるチャムに、レナリアは両手をじっと見下ろす。


「ええと、特に魔力をこめてはいないのだけど……」


 ポール先生はレナリアの作ったパンを食べて魔力が増えたが、そもそもアンナには魔力がないのでその心配はない。


 一応アンナに味見をしてもらう前に魔力のこもったクッキーを食べると体に悪いかどうかフィルに確認をしたが、特に悪影響が出るということはないので安心した。


「おいしいからいいんじゃない? ボクにもちょうだい」


 牧場であれほど激怒していたというのに、フィルはすっかり忘れたかのように無邪気にレナリアにクッキーをねだる。


 人であれば怒りの感情をすぐに消し去ることはできないが、そういうところが、精霊は人とは違うのだなとレナリアは思った。


「もちろん。でもクッキーはお兄さまだけに差し上げないといけないわね。セシル様が食べてもしものことがあったら大変だもの」


 王族がいくら従妹とはいえ料理人以外の作ったものを食べるとは思わないが、下手に興味を示されては大変だ。


 でもよく考えたらもう既にセシルはレナリアがこねたパンを食べている。

 だったら問題はないのではないだろうか。


 ダメだったらセシルさまの侍従が止めるわよね。


 そう結論つけた時、ちょうどアンナが戻ってきた。


 アーサーも一緒にきたらしく、寮の入り口で待っているらしい。


 女子寮の中にはたとえ肉親といえども簡単には入れない。例外は護衛騎士だけだが、移動は主人と一緒でなければいけないなど、その行動はかなり制限されている。


 レナリアはアンナとクラウスを連れて部屋を出た。


 寮の入り口で待っていたアーサーのレナリアとよく似た色の瞳が、妹の姿を見て和らぐ。


「無事で良かった」


 アーサーが両手を広げると、レナリアは躊躇せずにその腕の中に飛びこむ。


 見上げてくる稀有なタンザナイトの瞳の中には、アーサーが危惧していたような陰はなかった。


 大体のことはアンナから聞いていたアーサーだが、レナリアが無事で、その心にも傷がついていないことを確かめて安堵した。


「ごめんなさい、お兄さま」

「レナリアが謝ることじゃないだろう?」

「でも……」


 でも、結局は回復魔力が使えるのをセシルに知られてしまった。

 それをこれからアーサーに伝えなくてはならない。


 レナリアが離れると、アーサーはその手を取って優しく告げる。


「僕は何があってもレナリアの味方だよ」

「お兄さま……」


 感動してうるうるとアーサーを見上げていると、アンナの咳払いが聞こえた。


 ハッとして周りを見ると、興味津々の女生徒たちが寮の入り口に鈴なりになっている。よく見れば、風魔法クラスのマリーやローズまでいた。


 思い切り注目されたレナリアは真っ赤になったまま固まってしまう。


 アーサーは妹のそんな姿にくすりと笑みをこぼすと、レナリアの手を取ったまま「さあ、行こうか」と優しく促した。


 女子寮から食堂まで行くには、一年生から三年生までの校舎を通って行く道と、一年生の校舎を抜けて中庭から行く道がある。


 アーサーと内緒の話をするために、レナリアは中庭の道を選んだ。


 中庭に植えられている木の多くは、見通しが良いようにレナリアの腰くらいまでの高さに刈りこんであるが、何本かは背の高さくらいの大きさで色々な形に刈りこまれ、生徒たちの目を楽しませていた。


 一年生の校舎に近いところの刈りこみは、子熊やウサギの形だ。今にも動き出しそうな姿で、とても愛らしい。


 中庭で一番人気の刈りこみは、三年生の校舎に近い場所にあるものだ。


 『考える人』という有名な彫刻を模した立派な植木なのだが、少し枝が伸びてくると無精ひげを生やしているようにしか見えなくなるので、生徒たちからは『考える人』ではなく『無精ひげさん』と呼ばれている。


 しかもなぜか顎のあたりから枝が伸びるのでなおさらだ。


 レナリアは、今日は無精ひげが伸びてないのね、と『無精ひげさん』を見上げながらその横を通った。


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