第87話 一難去って……?
王家特有の神秘的なタンザナイトの瞳がレナリアを捉える。
光の加減によって紫にも青にも見える瞳は、今は青を濃くしていた。
なぜセシルがレナリアを助けてくれたのだろうか。従妹だから……?
こうして見つめ合っていても、レナリアにはセシルが何を考えているのかさっぱり分からなかった。
でも助けてくれたのは事実だ。
クラスメートたちは、すっかりラシェを助けたのは『霧の聖女』で、オリエンテーリングにも現れたのだという話で盛り上がっている。
セシルは内密に、と言ったけれど、今こうして話題にしているのを止めていないのだから、厳密には隠そうとしていないのだろう。
だからきっとすぐに今日の出来事は広まっていく。
聖女になりたくないレナリアにとっては、それは願ってもないことだ。
けれどもそれは、セシルには何の得にもならない。
むしろ王族の血を引くレナリアが聖女ということになれば、王家のイメージも上がるだろう。
そこでレナリアは、レナリアを、というか、レナリアの母のエリザベスを嫌っている王太后のことを思い出した。
もしかしたらセシルは、レナリアが聖女として選ばれたら王太后が不愉快な気持ちになると思ったのかもしれない。
いずれにしても、『霧の聖女』については、ちゃんと話し合っておかなくてはいけないだろう。
まずは兄のアーサーに話をして、それからセシルとの話し合いの場を設けて……と、レナリアが考えているうちに、水魔法クラスのリッグル選びが終わったようだ。
「では用意してあった足輪をつけるよ。飼育員の人に渡してつけてもらってね」
ポール先生の指示に従って飼育員が名前の刻んである足輪を生徒たちから受け取り、手慣れた様子でつけていく。
ラシェにもレナリアの名前の足輪がつけられた。最初は違和感があったのか、足を踏み鳴らすような動作をしていたが、すぐに慣れて大人しくなった。
そんな動作も可愛くて、ついレナリアは微笑んでしまう。
その微笑みをセシルが見つめていたのに、レナリアは最後まで気がつかなかった。
レナリアが寮に戻ると、すぐにアンナが入浴の支度をした。
お気に入りのホワイトローズの香りに包まれてリラックスした後、用意された冷たい紅茶を飲む。
アンナはレナリアの絹のように滑らかな髪をタオルで挟み水気を取っていた。
「もうっ、何なんですか、あの失礼な娘は」
リッグル選びの際の一部始終を見ていたアンナは、これ以上ないほどに腹を立てていた。
こんなに怒っているアンナを見るのは初めてで、レナリアは鏡越しの様子におろおろしてしまう。
レナリアは、自分が前世で聖女だったのを知られたくないからといって、アンジェに代わりの聖女になってもらおうと考えていたのは、とても傲(ごう)慢(まん)だったと後悔した。
魔力の弱さはともかく、あんな性格の人間を聖女とは呼びたくない。
前世の聖女たちはみんな教会で育っていたから、レナリアも含めて清らかで純粋な心の持ち主しかいなかった。だから聖女を目指す人間が、悪意を持って誰かを攻撃するとは思ってもみなかったのだ。
レナリアは黒く焼け焦げたラシェの姿を思い出して、ぶるりと震える。
「ああっ。申し訳ありません、お嬢さま。怖かったことを思い出させてしまって。でもお嬢様に火魔法が当たらなくて良かったです」
アンナの紅茶のような色をした暖かい色の瞳が、優しく細められる。
あの時、アンナも護衛のクラウスも急いでレナリアの元へ向かったが、明らかに間に合う距離ではなかった。
リッグルには不幸なことではあったが、レナリアに火魔法が当たらなくて本当に良かったとアンナは思っている。
もし万が一、シェリダン侯爵家の娘であるレナリアに火魔法が当たっていたら、大変な騒ぎになっていただろう。
娘を溺愛する父のクリスフォードは、烈火のごとく怒り狂うはずだ。それをどう抑えるつもりだったのか。
確かに教会の力は強い。
だが、侯爵家の抗議を無視できるほどの力を持っているとも思えない。
アンナには教会の権力を振りかざしているロイドの単なる暴走にしか見えなかった。
このまま退学ということにならないだろうか。
そうすればレナリアはとても穏やかな学園生活が送れるはずだと思いながら、アンナは優しい手つきでレナリアの髪を拭き終えた。
ここからはフィルとチャムの出番だ。
「レナリアが傷ついてたら、あんなもんじゃ済まさなかったよ!」
まだ怒りが鎮まっていないフィルが、レナリアの髪に柔らかく風を送る。こうすると髪の毛が早く乾くのだ。
「ねー。髪だけじゃなくて、全部燃やしてたー」
次にチャムがレナリアの髪を乾かしている風にほんのり熱を加えていく。そうすると更に乾くのが早くなった。
これは前世で聖女だった時にレナリアが考えた髪の毛の乾かし方だ。
戦場ではゆっくりお風呂に入ることなどできない。せいぜいが水浴び程度だ。
だがそれでは髪の毛の汚れなど綺麗に取れない。
共に戦うマリウス王子にそんな姿を見せたくないと、短時間で髪の毛を乾かす方法を考えたのが始まりだ。
それほど魔力を使わないからか、他の聖女たちにも好評だった。
そして今は、フィルとチャムが喜んで手伝ってくれている。
すっかり髪の毛が乾くと、アンナが香油でレナリアの髪の毛を調えてくれた。そのまま頭をマッサージしてもらうと、いつのまにか眠ってしまいそうになるくらい気持ちがいい。
とそこへ扉の向こうからクラウスの声が聞こえた。何やら手紙を預かったらしい。
アンナが少しだけ扉を開けてその手紙を受け取ってくる。
銀のトレイに載せられた手紙は二通。
差出人には、セシルとアーサーの名前が書かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます