第85話 霧の聖女
光が収まると、そこには白く美しい姿を取り戻したラシェがいた。
ゆっくりと立ち上がると「クルゥ」と甘えるように、座ったままのレナリアに顔を寄せる。
「聖女……」
誰からともなく声が上がる。
レナリアはうつむいたまま顔を上げられず、段々大きくなるざわめきに身を竦める。
これでレナリアが聖魔法を使えることが分かってしまった。
前世のように命を削らなくても良いだろうけれど、聖女になってしまったら、きっともう、ただの生徒として学園に通うことはできない。
せっかく仲良くなれた風魔法クラスからロイドたちのいる聖魔法クラスに移って、そして……。
「レナリア……」
心配そうなフィルの声にも、答える気力がない。
「霧の聖女が降臨された」
突然、セシルの声が聞こえた。
セシルたちは風魔法クラスの後でリッグルを選ぶ予定だったので、少し離れた場所で待機していた。
牧場で何やらトラブルが起こっているらしいとマーカスが様子を見にいったものの、なかなか帰ってこなかったことからセシルは護衛騎士に命じて何が起こっているのかを報告させた。
そこで要注意人物と目されているアンジェが、マーカスとレナリアを相手に問題を起こしているのを知って駆けつけたのだ。
そこで見たのは醜悪な笑みを浮かべるアンジェとロイド。そして燃えるリッグルに駆け寄ろうとして止められているレナリア。
何があったかなど、一目瞭然だった。
そしてリッグルを癒す、柔らかい治癒の光。
リッグルを傷つけたアンジェたちのものではあり得ない。
もしかしたら、あれは……。
だが、まるで身を隠すように小さくなっているレナリアに、この場で真実を追求するのをやめた。
華奢な肩がここからでも震えているのが見て取れる。
守りたいと、心から強くそう願った。
「王族の危機に現れる伝説の存在だ。他言無用にしてほしい」
そのようなものの存在など聞いたこがないマーカスはわずかに眉を上げたが、目を合わせたセシルの決然としたタンザナイトの瞳の色に、言葉を飲みこむ。
「なあ、これってオリエンテーリングの時に似てないか?」
少しずつ霧が晴れてリッグルの側に佇んでいた人影が消えると、緊張が解けたかのようにその場の空気が緩んだ。
その開放感からか、風魔法クラスのエリックは、自分が思っているよりも大きな声で横にいるエルマに話しかける。
「うん。あの光はあたしたちを回復してくれたのとそっくり」
オリエンテーリングの時に暴走したシャインの魔法で傷ついた生徒たちを癒してくれたのは、優しく暖かい、慈愛に満ちた光だった。
その場にいた聖魔法の使い手はアンジェだけだったし、自分が助けてあげたのだと断言していたから、回復してくれたのはアンジェだと信じて疑わなかったけれど。
あの時も、周りが見えないほどの濃い霧が立ちこめていた。
霧の聖女の姿は見えなかったが、もしかしたら……。
「じゃあ俺たちを助けてくれたのはあっちの聖女じゃなくて、霧の聖女ってことか?」
「えっ。どう……なんだろう」
とまどうエルマは、自分と同じ平民として学園に通う少女を見る。
聖女候補として特別扱いされているからか、同じ平民を常に見下すような態度を取るアンジェにはあまり良い印象がない。
それでも平民出身の聖女が出れば嬉しいと思っていたが……。リッグルが焼け死ぬかもしれないというのに笑って見ているような人が、本当に聖女なのだろうか。
その疑問はエルマだけではなく、その場にいた他の生徒たちにも伝わっていく。
アンジェは疑いを浮かべた責めるような視線に、一歩後ろに下がった。
「何よ……。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ! ちょっとロイドも何とか言って!」
アンジェはロイドの制服の袖をつかんで叫ぶが、ロイドは今見たものが信じられずに立ちすくんでいた。
あれは……あの光は、まさしく聖女の癒しの光だ。
だがアンジェではない。
すぐ横にいた自分には、あれがアンジェの聖魔法ではないことがはっきり分かる。
霧の中にうっすらと見えた人影。
今まで一度も聞いたことがないが、本当に霧の聖女と呼ばれる伝説の存在がいるのだろうか。
ロイドは、リッグルが回復した光景を自分の目ではっきりと見ていながらも、その事実を認められない。
だが……、と、ロイドはアンジェの側で光るシャインを見つめる。以前よりも輝きが薄くなったようにも見えるが、自分の守護精霊よりも明らかに力がある存在だ。
アンジェこそが聖女だ。
教会が認めたのだから、それ以外の聖女など必要はない。
ましてや、王家に秘匿されていた伝説の聖女など……!
「わが聖女は本当に心が広い。あんなリッグルですら救おうとしたのだから。……そうだね、アンジェ?」
肯定以外は許さないという気持ちをこめて見降ろせば、アンジェは慌てたように頷いた。
「もちろん、そうよ。あたしがやったのよ。だって他にできる人なんていないでしょ」
アンジェはそう言って胸を張ると、シャインがいるのとは反対側の肩を見た。
シャインの瞬きが、また少し薄くなった。
「はあ? なに言ってるんだよ。ラシェを回復したのはレナリアだろ? 霧の聖女でもあのピンク頭でもないじゃないか!」
「そーだそーだー!」
ラシェを殺しかけた張本人にも関わらず、あまりにも理不尽なロイドとアンジェの言い分にさすがのレナリアも怒りを感じたが、それよりももっと怒っているのがフィルとチャムだ。
フィルの金色の巻き毛は怒りで逆立ち、羽はブブブと不協和音を奏でている。
チャムですら、全身を赤く染めて尻尾を立てている。
「レナリアから名前をもらったんだから、ラシェもボクの子分だ。その子分を傷つけられて黙っていられるもんか。レナリアが回復しなかったら死んでたんだからな。命には命で贖え!」
フィルの若草色の目が、濃い緑に変わっていく。
レナリアも許せない気持ちでいっぱいだが、ここでフィルが魔力を暴走させたら、また皆が大怪我をしてしまう。
「待って!」
「またなーい!」
レナリアの制止に応えたのはチャムだ。
びゅうっと飛んで行くと、アンジェとロイドの周りを飛び回る。
「えいえいー!」
そして戻ってくると、やり切ったような笑顔を浮かべた。
「え……。待って。チャム……あれなに?」
毒気を抜かれて脱力したようなフィルの質問に、チャムはにかーっと笑う。
「だって髪は命なんでしょー? だから燃やしてきたー。チャムえらーい。ほめてほめてー」
はしゃぐチャムの向こうには、髪の毛を燃やされチリチリにされたロイドとアンジェの姿があった。
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