第13話 王子様は空気を読まない

 え、今ここで従妹殿とか言っちゃいますか?


 確かにレナリアの母は国王の異母妹だけれども、王太后をはばかってその件を話題に出すのは禁忌のようになっている。


 母の父にあたる前国王が亡くなってからは、特にそうだ。


 だからレナリアの母エリザベスは、元王女ではなくシェリダン侯爵夫人という肩書でのみ呼ばれる。


 レナリアもそれを知っていたから、たとえ従兄弟の関係にあるとしても、セシル王子がわざわざその話題に触れる事はないと思っていた。


 なのになぜ、よりにもよってこのタイミングで従妹呼びをするのだろうか。


 いや、それよりもフィルだ。

 どうやら王子にはエアリアルであるフィルの姿が見えているらしい。


 そこでレナリアはハタと気がついた。


 フィルは「魔力の近い人には姿が見える」と言っていた。

 もしかしたら従兄弟にあたる王子の魔力は、レナリアのものと近いのかもしれない。

 それでフィルの姿も見えているのではないだろうか。


 いつの間にか王子の横には青い雫が浮かんでいた。青というよりも少し紫がかっていて、王子の瞳の色と良く似たタンザナイトの色だ。


 王族は水の守護精霊を得る事が多いというから、おそらくセシル王子の守護精霊も水なのだろう。


 エアリアル以外の守護精霊は普通に見えるから、生徒たちは一斉に王家特有の色を持つ守護精霊に注目している。


「ええと……。何の事をおっしゃられているのか、分かりかねます」


 多分、王子にはフィルの姿が見えている。

 だが、もしかしたら見えていない可能性もないわけではない。


 レナリアは、とりあえず一度知らない振りをしてみる事にしてみた。


「分からないだと? その……」


 そこまで言ったセシル王子は口をつぐんだ。

 周りの者が不思議そうな顔をするのに気がついて、何かおかしいと思ったのだ。


 セシル王子はちらりと周囲に視線を向けると、作ったような笑顔を浮かべて立ち上がると、レナリアの手を取った。


「いや、失礼した。私の勘違いだ。不調法であったのを詫びたいと思う。申し訳ない」


 軽く頭を下げたセシル王子は、レナリアの指先に軽く口づける振りをする。


 きゃあ、と小さな歓声がいくつか聞こえた。


「挨拶もまだであったな。失礼した。初めまして、従妹殿。私はセシル・レイ・エルトリアだ。……こうして机を並べて学ぶのだから、後でゆっくり親交を深めようではないか」


 謹んでお断りしたい。

 心の底からそうしたい。


 だがそれは許されないだろう。


 うぐ、と言葉に詰まるレナリアに、場違いな甲高い声がかかる。


「えっ。あなたがシェリダン家のお嬢様? こんなに地味な人が!? 嘘。あたし、もっとお姫様みたいな人だと思ってた」


 確かにそれはクラス全員が思っていた感想だが、だからといって口に出して良いはずはない。


 さすがのレナリアも思わずムッとする。

 だがもっと不機嫌になった人物がいた。


「聖女になろうかというものが、ずいぶんと失敬だな。たとえ君が既に聖女の称号を得ていたとしても、我が従妹への暴言は許せるものではない。君は、学園ではなく、まずは教会で常識を学んできた方がいいんじゃないのか」


 セシル王子のタンザナイトのまなざしが、冷ややかにアンジェを射抜く。


 さすがのロイドも、アンジェの失言を詫びた。


「申し訳ございません。今代の聖女は平民出身ゆえ、知るべき知識をまだ得ていないのです。ですからこの学び舎でしっかりと勉強していく所存です」

「それでは平民同士で、しっかりと学ぶがいい」

「はっ、はいっ」


 美貌の王子に流し目で言われたアンジェは真っ赤に頬を染めた。

 どうやら嫌味を言われた事にも気づかないらしい。


 前世でレナリアが聖女だった頃は、それほど詳しく覚えているわけではないけれど、宮廷で生き抜くために揚げ足を取られないようにもっと気を張っていた気がする。


 人々を救うために命を削って死んでいったかつての聖女たちは、今の聖女を見たらどう思うのだろう。


「さあ、アンジェ行こう。僕も一緒だから」


 ロイドがアンジェに手を差し伸べる。

 ためらうようにその手を取ったアンジェは、チラチラとセシル王子の方を見た。


「あのっ。また会えますか?」


 アンジェの言葉に、セシル王子は明らかに作り笑いだと分かる笑みを浮かべる。


「同じ学園だからね」

「あたし、アンジェ・パーカーです。あなたの為に、絶対に聖女になりますから待っててください」


 だがそれにも気づかず、アンジェはとんでもない事を言い放つ。


 確かに平民でも聖女になれば王族との婚姻も可能だろう。


 だがそれは聖女になったら、の話だ。

 今のアンジェは聖女候補になっただけの、ただの平民に過ぎない。


 それに聖女になったからといっても、必ず王族と結婚できるわけではない。


 慌てたロイドは、アンジェの手を引いて教室から出た。


「失礼いたしました、殿下! さあ、アンジェ行こう!」

「待って、あたしまだ……。ロイド、引っ張らないで!」


 慌ただしく二人が去ると、教室には恐ろしいほどの沈黙が訪れた。

 レナリアを始め、生徒たちは、あまりにもひどいアンジェの暴言に言葉も出ない。


 同じく絶句していたマーカス先生だが、レナリアを立たせたままだという事を思いだし、着席を勧める。


「レナリア・シェリダン着席したまえ。……さて、とんだハプニングがあったが、これより授業を始める。まずは私の自己紹介をしよう。マーカス・ハミルトンだ。これから一年、よろしく頼む」


 やっと教室の中にざわめきが戻った。

 レナリアも席に座ってホッとする。


「私の為に聖女になるだと……? 聖女とは、命を削ってでも癒しを求める民を救う者であって、私利私欲の為に生きる者ではない。あのような娘を聖女にするなどと……教会もそこまで堕ちたか」


 セシル王子の低い呟きを聞き取ったのは、彼の守護精霊とフィルだけだった。 

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