第70話 伊崎無双と迷宮


 国会議事堂、衆議院議場。

 議会は一瞬シンと静まる。伊崎が何を言ったのか理解する間が必要だった。


 内閣閣僚だけは落ち着き払っていた。いや、ついにやるのか、ようやくか、と安堵とも言える表情を見るに閣僚内で検討、計画されていた事が窺える。


 議場内が議員達からの怒号に包まれる。立ち上がってわめき叫ぶ者、罵声を浴びせる者、静かに腕を組みそんな事出来る物かと思う者、同調し他の者と相談を始める者、様々な模様を見せる。

 外国に便宜を図っていた者もいるが、ここ十数年は便宜を図ってもメリットが少なく、真に日本の為を思うならばそれは切り時かもしれないと考えていた所だった。


「鎖国などして他国が黙っているものか!」

「時代遅れだ!」

「戦争になるぞ!」

「総理は他国は必要ないと言うのか!」


 その叫びにじっと耳を傾けていた伊崎が言葉を発する。


「他国は必要ない! 日本の中だけで全て完結する! 食糧、エネルギー、研究分野全てだ! むしろ世界にとって日本は邪魔だ。日本が無くなればこんにちのような日本以外の国で大きな格差は生まれない。一人勝ちの日本を羨むこと事もない。エネルギー問題や研究成果を見てわかる通り、全てが迷宮ありきだ。他国に迷宮が無い限りその成果を発表しても他国では再現できず、利用できないのだ。日本がひっそりと世界から隔絶されている方が世界の為だ!」


 総理の言葉に徐々に静かになっていく。それを見渡しひとりひとりの議員の顔を見ていく。


「今、紛争地帯での原因は何か。わかっていても言葉にするのを怖れていただろう。その全ての原因は日本だ。日本と貿易している国としていない国、その紛争だ。今や宗教の違い、技術格差、貧富の差、そして肌の色で差別し戦争を起こしていた時代はすでに何十年も前に無くなっている。しかし、ここ十数年で紛争が起きているのは何故だ! もうわかっただろう。日本が世界から退場する事が世界の為であり、日本の為だ」


 伊崎の言葉が議員全員に浸透していく。それは見方を変えれば傲慢な考え方であるが、『伊崎魔王』による言葉に洗脳されていく。迷宮化された国会議事堂は伊崎魔王にとって有利に働く。言葉の波長がマナを震わせ高揚感を生み出し、それしかないと思わせてしまう。


 魔王、伊崎。それは言葉の魔王、そして洗脳の魔王であった。


 伊崎がこの場で衆議院、参議院の採決を求める。同じ議場内でしかも同時に採決などこれまでの日本政治を覆す出来事であるが、それが異常な事だと議員達は思いもしない。

 伊崎が魔王としての真の力を自覚できれば採決など必要ない。やれ、と一言だけでいい。しかしまだ目覚めたばかりの魔王、そして内閣総理大臣としての立場がそうさせていた。


 伊崎の法改正を含む提案は全て可決される。


 ・日本は鎖国状態とする。

 ・貿易、通信、出入国、全てを絶ち一切の出入りを禁ずる。

 ・現在外国に居る邦人は強制的に帰国。応じない者は日本国籍を剥奪し、今後いかなる理由があろうとも入国する事は出来ない。

 ・他国に侵攻せず、他国を併合する事はない。

 ・領海を含む、国土全土を全て迷宮化する。


 以上が主な可決議案で、その他細かい部分は各省庁で議論し大臣に草案としてあげる事となった。


 これまで可決された議案の全てが即時実行は不可能だ。特に全土迷宮化には時間がかかる。秘密裏に全土迷宮化計画を進行させていたが、いざ実行となると再計算が必要となり、現在探索者資格を持っていない国民に探索者資格を割り当てなければならない。それは生まれたばかりの赤ん坊も含む。日々生まれてくる国民に割り当てる作業は尋常ではない作業だ。

 しかし、それをしておかないと迷宮化した時に国土から追い出される形になり、海の真ん中へ放り出されてしまう。

 それを避けるために順に迷宮化していき、妊婦は最後に迷宮化する地域へ強制的に仮移住してもらう。

 また現在日本国籍を持たずに滞在する者は強制的に帰国させる。その告知も必要だ。

 全ての作業を終了させるのに伊崎総理は二年の猶予を与えた。二年は短い。

 各国への通達は今これからであり、外国に支店や工場を持つ企業などは撤退作業を即時始めなければならない。

 しかし、それさえもメディアを使った伊崎魔王の洗脳により、実現に向け国民は盲信し奔走する。



≪イサキ! 何てことをするのだ! 日本は世界を棄てるのか!≫


 世界に鎖国を発表し、その直後にロシアのイヴァン大統領からホットラインが入る。

 声の様子から怒りを抑えきれないようだ。


「いいえ、むしろ世界から日本は棄てられるのです。今、この世界に日本は存在しない方がいいのです」


≪それは世界の中にもう一つ世界を作るようなものだぞ!≫


「そういう事です。そしてそれは今後二度と交差することはありません」


≪百年、二百年はいい。しかし何千年か後にその世界は崩壊する事になる≫


「おっしゃりたい事はわかります。血が濃くなると言う面もあるでしょう。発展が停滞してしまう事もあるでしょう。が、解決策はあります」


≪解決策とは何だ!≫


「それは言えません。大統領、これまでありがとうございました。歴代ロシア大統領で一番日本を親身に思ってくれたのは、イヴァン……あなたです。鎖国後はお目にかかる事はないでしょう。さようなら、そして家族と呼んでいただいた事、忘れません」


≪まてイサキ! 俺に日本国籍をくれ! 俺は心から祖国ロシアを愛し発展に尽くしてきたが、もう次の世代に引き継ぐ時期だ。引退し、ただの人間となり次の楽しみを日本国民となって迷宮に入りたい!≫


「……自分に正直なお方だ。猶予期間内に、審査はかなり厳しいですが日本国籍の者と婚姻するか、家族が日本国籍であるならば、その希望に沿えるかもしれません」


≪甥が日本国籍を持つぞ! そしておそらくニコライとエレーナ、その娘のエカテリーナも望むはずだ≫


「では、申請をお待ちしています。大統領と言えど今回は審査を甘くする事は出来ませんが」


≪わかった! すぐに出すぞ! 祖国ロシアよ、国を捨てるのではない。未来へと繋がる橋を渡るのだ……赦せ≫


 祈るような言葉を最後にイヴァン大統領からの電話が切れる。各国から伊崎総理へ直接このような電話が入っている。

 それは時には懇願であり、罵声であり、嘲笑を含んだ皮肉だ。これももう少しすれば無くなると思えば寂しくもなる伊崎であった。




 外周迷宮、島の港。

 島の魔物三体と一体の魔物が睨み合い、今にも戦闘が始まろうとしている。

 その一体とはバロウズ配下のナアマ。まず一番怪しいの調査をと密かに入ろうとした所を島の魔物に感知されていた。


『ナアマ様。わざわざお越しになるとは何かありましたか?』

『何しに来たのよー』

『授業参観かよ! 僕達はちゃんとやってるだろ!』


「……バロウズ様からのご指示よ。黙って道を空けなさい」


『ご指示内容をお伺いしても?』

『ここは大丈夫よ、帰ってよ』

『帰れ! 帰れ!』


「あなた達……毎回異常なしの報告はさすがに怪しいわよ」


『おや、信用いただけていない、と』

『報告はコピペだしねー』

『十年分予約送信してるよ!』


「娘にいらぬ情を持ってないでしょうね?」


『私達はあるじに忠実に仕えております』

『そうよ、忠実な犬よ!』

『わんわん!』


「そのあるじとは誰の事を言っているのかしら?」


『もちろんバロウズ様』

『の、一部を持つ』

あね様!』


 その言葉を皮切りに戦闘が始まる。

 ナアマを三方向から取り囲み、大天狗が棍を突き出す。玉藻前は右回し蹴りをすでに放っている。大嶽丸は金属バットを上段から振り下ろす。

 これまで姉弟には見せたことのない攻撃速度だ。ナアマ相手に手を抜いていては逆にやられる。気を抜かず力を抜かず焦らずにあたらねばならない。

 ナアマの力はよく知っている。知っているが故に本当ならば戦闘を避けたいところであるが、今の姉の状態を見られると非常にまずい。

 即、ナアマに消滅させられるだろう。


 ナアマは戦闘になることはわかっていたかのように平然とした様子で構える。

 棍の先端を右、手の平で止め突き返す。突き返す速度と力は大天狗が放った突き以上だ。

 そして左手で金属バットを受けながら玉藻前の回し蹴りを回し蹴りで返す。玉藻前が力負けして衝撃で吹き飛んでいった。

 最後に金属バットをそのまま片手で奪い、大嶽丸の腹あたりを目掛けてバッティングし、ホームランだ。


『うぎゃああああ!』

『あぁーれー!』

『さよーならぁぁぁ……ぁ』



『などと、不毛な争いは止めましょう』

『どうせ決着つかないわよー』

『同じだしね!』


「同じ扱いされたくはないわね」


『バロウズ様の血肉を分けた私達を否定するのですか』

『次回報告書コピペは取りやめー』

『詳しくらないと!』


「私もあなた達が裏切ったと報告するわ」


『どうぞどうぞ』

『あたしらもやり返すわよー!』

『ナアマがバロウズ様のお召し物パクってるの知ってるし!』


「くっ。……いいわ、これは引き分けね」


『ここで引いていただければありがたいです』

『……』

『……』


「報告書コピペはやめなさい。きちんと出すこと、いいわね?」


 そう言い残してナアマは消える。残された三体であるが、二体はやけに静かだ。


『おや、どうしました?』

『もうやり返したしー』

『ナアマの悪行即送信!』


『つまり引き分けの提案をされた時にはすでにバロウズ様に報告していた、と』

『悪は滅びるのだー』

『もちろん動画付き!』


『まぁ、ナアマ様がここで引くなどあり得ないのですけどね』

『はぁ、めんどーい』

『オラ! ババァ、出てこい!』


「ホントに動画付き? いつ撮ったの!?」


 消えたはずのナアマがその場に再び出て来る。少し焦り顔だ。


『私は関知しておりません』

『あらゆる所に目があるのだー』

『トゥルーマン・ショー並みに監視してるぞ!』


「……消滅させてやる」


『ナアマ様に出来ますでしょうか』

『本気モード!』

『三体合体!』


『合体とか出来ましたっけ?』

『ノリわるー』

『空気読めない馬鹿天狗』




 島の姉弟自宅、姉の部屋。

 弟とイサナはひたすら天之神と姉の帰りを待っている。


 そして弟はひとり逡巡する。

 天之神ならば姉の手足を落とさなくとも止められたのでは無いか、しかしあの時の純粋で真っ直ぐすぎる姉の勢い想いはああするしかなかったのか……今更ながら考えを巡らせるが答えは出ない。

 そして姉の、あの目。あれは何を見ていたのか、心が盗まれたかのように何かを追っている気がする。


「姉、ちゃん……」


 その呟きに応えるかのように、姉を横抱きにした天之神が現れた。

 天之神は弟の顔を見ず……見ることが出来ずに姉をベッドに寝かせる。

 すぐにイサナが駆け寄り姉の右手を取る。


『母様のしている事を今は手伝えないけれど、きっといつか一緒に出来るから』


「イサナ? って、アメ婆ちゃん! 姉ちゃんは……治ってない?」


『治せなかった、魔』


「なんで! 任せろって言ったよな! なぁ! 言ったよな!」


『確かに……言ったのじゃ』


「じゃあ、なんで! 治ってない! 治ってないし!」


 弟は天之神の話を聞こうともせずただ問いただす。その勢いに天之神は黙るしかなくなってしまう。


『おじちゃん……』



『これはこれは』

『約束破りー』

『裸踊りだ!』


 責め続ける弟の激昂とは真反対の、拍子抜けした言葉と態度で三体の魔物が現れる。


「こんな時に冗談言ってんじゃ……ああ!? どうしたお前ら!」


 弟が三体の魔物に文句を言おうとそちらを見ると、それらの体は今にも崩れ落ちそうなほどボロボロだった。

 右腕が無く顔が半分崩れ落ちている大天狗。

 左足が無く引きちぎられたような跡があり、大嶽丸によりかかり立っているのがようやくの玉藻前。

 腹部が丸く切り取られている大嶽丸。

 三体とも満身創痍であったが、何ともないというような話し方だ。


『上司に辞表を提出しましたら逆ギレされまして』

『ブラックー』

『週百六十八時間労働はもう嫌だよ!』


「大丈夫なのかよ、治るのか?」


『お主ら……』



『そういう事で極秘事項がなくなりましたので、いろいろとお話しすべき事があります』

『乙女のひみつー』

『しかしきんてき無効は継続中!』


 三体はそう言って姉を見る。愛おしそうに、愛する我が子を見るように。


 三体につられて姉に目を向ける天之神と弟。そこで姉の異変に気がつく。




 姉の右半身が少しずつ、少しずつ薄く消えかかっていた。

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