逆転の目・前編

 あまりにも大きな力の格差、それに対して諦めという感情が出てきてしまう彼女達。それをみかねてか、メティスから声が掛かる。


「ルディア」


 それはとても弱々しく、これまでに彼女が出したことのない感情を表しているかのようだ。

 冷酷の仮面を被りきっていたはずなのに、今だけは何かを案じるかのように優しさを見せる。


「もういいでしょう。貴女は充分に戦った。ここで退いてください。私は、争いにきたわけじゃないわ。

 誰かを見捨てるなんていうこと。それは貴女にとっては心苦しいのかもしれないけれど、救いに繋がる事もある。だから……」

「——うっさいわね」

「っ……!」


 慈悲にも似た言葉、それは異様に低く、そしてこの空間を響かせる声によって返される。

 誰が出した声か、もちろんルディアだ。しかし、彼女は致命傷ともいえる傷を負っているはずなのに、格上であるメティスさえも威圧されるような声を出せるはずがない。けれども、彼女は言葉を続ける。


「そんなもの、アンタの勝手な言い分よ」


 何かを押し返すような声、だがそれは怒りからではない、憎しみからではない。単純な意地、彼女が持つ信念がそうさせる。だれがどう言おうと、曲げる事はない。ただただ真っ直ぐに諦めない意思を貫き通す。


「なら、私は私の言い分を通す」


 客観的に見れば、それはわがままで、独善的に見えるかもしれない行為。けど、彼女には関係なかった。相手もまた同じように、勝手な理由でしかないと言い切ったのだから。


「今ここで折れたら、後悔する。

 いやそれ以上に何か、取り返しのつかない事になる……! 

 だから……だから私は! 私自身の心を信じる!」


 その時、何かが光る。この不気味な空間に、太陽なき空間に、一筋の光が刺す。強くも暖かい光は、優しくもどこか芯のあるものであった。

 その光は彼女の怪我を治し、血すらも無くし、まるで何もなかったかのように、彼女を万全の状態にする。


「アンタを打ち負かして」


 彼女の手が持つ短剣、いやそれに宿るツクモと呼ばれる存在が、共鳴するように光を帯び、強くなっていく。

 やがてそれは、彼女の体にも伝うように包んでいく。


「これがツクモの力……! いや、っていうべきか」


 光がルディアを包みきったとき、今までこの世界になかったはずの地面が、彼女の足に現れる。いいや引き込んだのだ、彼女のツクモが、元の世界から。


「リルを『守る』! 

 ——それが、私の想い!」


 不安も、諦めも、焦りも、そこには一切ない。誰かを守るという純粋な想いを前面に出した宣言は、この絶望を打破するきっかけとなった。


「……ああ、人の子よ」


 あまりにも綺麗な在り方。誰が共感したか、その誰かは他人には聞こえない小声を溢す。


「光の道筋も見えない最悪の状況で、光を作り出すとは……」


 それはなんとも素晴らしい——


「ソフィ」


 やっと重力によって地面に立ち、自由に体を動かせるようになったルディア。

 反撃の目が出てきた所で、隣の友人に手を差し出す。


「今からアイツを倒す。けど、そのためにはアナタの力が必要なの。

 変わったのは私たちが自由に動けるようになっただけ。アイツらが反則級に強い事は変わらない。

 それでも、この勝算の低い戦いに乗ってくれる?」

「当然。むしろ、見下してた英雄様に一泡吹かすチャンスを見逃したりするもんか!」


 再度のルディアの頼み。それは、この戦いを降りる最後のチャンスを与えたようにも見える。

 しかし、ソフィは迷いもなく、二つ返事で頼みを承諾し、彼女の手を掴む。


「ありがとう」


 それと同時に、ルディアを包んでいた光が手を伝い、彼女もそれを纏っていく。そして、ソフィも同様に地面に立ち、自由に動けるようになった。


「おおっなんだこれ!? これお前のツクモか!? けど、ツクモっていうのは宿はずじゃあ……」

「理屈は後。私だって、今の自分の力に驚いてるの。けど、まずはアイツよ」


 驚いているとは、そして直前まで致命傷だったかもしれない傷を受けていたとは、到底思えないほどの冷静さ。そんな彼女が今見ているのはたった一つ。


「……よくもまあ、辛抱強いこと」


 未だ圧倒的な壁として立ちはだかるメティスだ。


「ツクモ、それは自身の想い。言い換えれば自分の世界を作るという事。それのおかげで私の魔法がどれだけ無力と化したことでしょう」

「そうだとしても、お前は今でも最強の一角とか言われんだろ!」

「さあ? 何のことでしょう」

「しらばっくれないでよね。それにメティス、アンタは本当にツクモの存在を疎ましいと思っているのかしら?」


 ソフィにはどこか余裕のある表情で言葉を返したのに、ルディアには何も喋らず、黙る。


「いいわ。アンタがどう思っていようと、まずは倒す」

「……ええ。彼をどうにかするなら、私よりも強くなってもらわないとね」


 戦闘が再度始まる。そう思えるほど緊張感が高まっていく。

 何かのきっかけがあれば、今まで以上に激しい戦いの火蓋が切って落とされよう。


「んじゃ、毎度のごとくアタシからだ!」


 ……そのきっかけはソフィであった。

 彼女は早速、この世界で初の地面を使っての跳躍を行う。それは真っ直ぐで、分かりやすいほどの軌道。メティスに向かっての物だ。


「単調すぎる!」


 もちろんのこと、それはカリューオンが横から出てきて、その特攻を『腕で』止める。その腕はえぐられ、血肉が飛び散るが、ソフィの大剣を止めてみせる。しかも、肉が鳴らすとは思えない金属音を鳴らしながら。


「ぐっ……ツクモのせいか威力が増しているのか……!」

「へえ、そりゃ嬉しい誤算だ。けど、お前の言う単調さ、それにも目を向けたほうが良いぜ?」

「何を言って……!」


 ソフィの言う裏、それはすぐに表立つ。


「もらった!」


 いつの間にか接近していたルディア、彼女はソフィの背中を追うように、足元に地面を走っていた。

 ソフィを壁にして、敵の視界から逃れながらも。


「いつの間に……! だが!」


 鍔迫り合いもどきをしているカリューオン。そこから防御を解いてしまえば、ソフィの大剣に真っ二つとされるまでだ。

 しかし、ソフィの大剣はフッと軽くなり、重力に従って振り下ろされた。そこに銀狼人の姿はない。


「っ……クソ、またか!」


 溜めも構えもなく、その場から消え去ってしまう現象。もうこれは……


「魔法……まさか、メティスの空間魔法……! 黒孔ブラックホールがなくても瞬間移動ができるのか!?」


 ソフィが考えついた一つの考察。それはある意味で当たりであった。

 カリューオンは主であるメティスによって、何の動きもなく魔法による瞬間移動ができる。しかし、それはこの世界の中でのみという欠点があるが。


「やらせん!」


 そのカリューオンの移動先、それはもちろん主を狙うソフィの目の前だ。


「今までは避けられてばっかりだったけど、今回こそは……!」


 割り込まれると分かっていたのか、彼女が繰り出す一閃はほぼカリューオンを狙ったかのようだった。

 それに対して、銀狼人は何かを掴もうと手のひらを刺突の前に出す。そして、


「くっ……」


 カリューオンの手の平に短剣が刺される。


「ちょっ……捨て身すぎる……!」


 だが、驚いたのはルディアの方であった。彼女が狙っていたのは肩であり、それを斬れれば、片腕を飛ばせる、ないし不能にさせられる。

 いくら魔法で身体強化をして防いだとしても、ツクモの力があれば、どちらにせよダメージを負わせられる。そう踏んでいたにも関わらず、


「掴んだ!」


 カリューオンが彼女の右手をそのまま掴んだ行動には、予測も予想すらも超えられてしまった。

 しかも、だ。


「いっ……」


 銀狼人の鋭い爪が、ルディアの右手に突き刺さる。それは深く、骨までも届き、完全に彼女の右手を潰していた。


「自分の手を犠牲に、相手の手を潰しにかかるなんて……ちょっとやりすぎじゃない?」

「さて、それはどうかな?」


 互いに軽口を叩いているが、実際彼女らの顔は痛みから歪んでおり、眉間にシワを寄せ、片目は強く瞑り、口はへの字に曲がっており、声も辛そうであった。


「けど……!」


 それでも、彼女たちが動きを止める事はない。

 顎を捉えた蹴り、それはルディアの柔軟な体から繰り出される。真っ直ぐで、真下からの狙いすましたかのような蹴り。


「っ……効かん!」

「やっぱり……!」


 しかし、脳天を揺さぶる事はなく、いや首をほぼ動かすことすらもなかった。

 武器での攻撃では彼女の身を貫通したのに、蹴りでは効果がないのは、ツクモの特性か。


「ふっ!」


 反撃として、カリューオンはルディアの右手を捻り、もう片方の手で、彼女の胴体を突き刺そうとする。

 ルディアは避けようとするものの、右手を掴まれ、いやカリューオンの爪が右手へと完全に食い込んでおり、それが放されることがなかった。


「これじゃあ……!」

「ルディア! これを使え!」


 彼女のピンチ、そこから救ったのはソフィのある物だ。

 ソフィの声と共に、であれば必須のナイフが投げられ、ルディアはそれをキャッチする。


「危ないじゃないの!」


 突然の刃物の飛来に叱咤するものの、それを使ってこのピンチを脱する手立てを導く。

 その手順はたった一つ。


「はあっ……!」


 カリューオンの手首を斬ることだ。

 これにより、ルディアは拘束を逃れ、なんとか後ろに一歩引き、攻撃を避けられた。

 そして、さらに勢いを利用して、一度後退し、体勢を立て直す。


「ったく、肉を切らせて骨を断つ、なんていう言葉はあるけど、少し自分の身を削りすぎよ」


 銀狼人の体を、特に傷だらけの腕を見ながら、受けるダメージを度外視したそのカリューオンの戦法に呆れかえるルディア。しかし、その当人は辛そうながらもどこか余裕そうな表情で言葉を返す。


「まあな、普通はそう思うだろう。しかし、だ」


 そう言うと、彼女は切り落とされてた自身の手を、いつの間にか回収しており、それを血を流している手首に接合部同士を繋げたかと思えば、


「なっ……!」


 その手は斬られてなかったかのようにくっつき、しかも、何の違和感もなく指を動かしていた。

 腕の傷も回復し、体力も全て元通りになったようだ。


「ご主人様共々常識外れね。アンタら魔族っていうのはどいつもこいつも規格外すぎる!」

「貴女だって、もう手の傷が回復しているわよ。魔法も使っていないのにその自然治癒力を持っているなんて、人の身を超えているのではなくて?」


 メティスの言う通り、ルディアの右手にある深い傷にはすでに肉は再生している。


「さっきも言ったけど、何でこうなってるのか私が知りたいくらいよ」

「まったくだな」


 いつの間にか、ソフィも退いていたようで彼女の言葉にも同意する。

 その行動自体には何の疑問も抱かないのだが、


「……なんで泥だらけなのよ」


 体中が泥でまみれていた事に関しては、疑問を持たざるを得ないだろう。


「いやあ、はっはっはっ!」

「笑ってないでちゃんと説明なさい」

「ほら、あれだろ? お前にあの銀髪人狼が惹きつけられたから、これはチャンスだと思って英雄様に攻撃しようとしたんだ。

 そしたら、足元の地面を泥に変えられちまってな。それでも何とか進もうとしたら全身にまで被せてきやがって、最後には風圧の弾かなんかで、押し戻されちまったんだよ」

「アンタもアンタで大変だったのね。ほら、洗い落とすわよ」


 ルディアがスッと宙に指をなぞると、どこからともなく人の身体ほどの大きさの水球がソフィの頭上へと現れ、そしてそのまま重力に従い彼女へと落ち、泥をほぼ流していく。

 ……ついでに、体をずぶ濡れにしながらも。


「ぶへぇー……これじゃあ、明日絶対に風邪ひいちまう……」

「明日の心配より今日の心配をしなさい」

「おう、分かってる。

 ……にしても見たぜ。あのカリューオンっていうやつ。まさかこの土壇場まであの回復力を隠し持ってたなんてな。

 これじゃあ、泥仕合確定だな」

「……アンタ、わざと言ってる?」

「まっさか。そうだとしても、さっきみたいに水に流してくれよな」


 子供特有の無邪気な笑みをソフィは浮かべるが、それを見たルディアは『わざとだ』と確信して、頭を抱えながら呆れ返る。


「いいわ、アンタが水を刺すような事を言っていたとしても、別にもう気にしない」

「おいおい、お前が言っちまったらダメじゃないか。

 ……で、どうする? あっちは異常な回復力を持ってて、お前もそうなってる。これじゃあ、一生終わらないぜ?」

「いいえ、終わるわ。どちらも生き物であるかぎりね。

 私は傷を回復できても、体力までは無理よ。現に今はスタミナが底を突きかけている。それがなくなるか、、それで私は終わりよ。

 あっちも、おそらくは無限じゃないわ。どこかで限界が来るはず。……けど」

「その大元を狙った方が早いってか?」

「そうなるわね」


 狙うべき相手、それは言葉に出し切る前に合致する。


「ソフィ、言っておくけど次が最後のチャンスになるかもしれない」

「どうしてだ?」

「そろそろ、体力がきついのよ……頭はフラフラするし、体が言うことを聞いてくれそうにない……」

「……分かった。お前が意識を失えばツクモの効力はなくなる。私の武器も効かなくなる。だろ?」

「そういうことよ」


 最後のチャンス。つまりはもう時間は残されていないということだ。


「私はまだまだ行けたんだけど、お前がそういうことなら仕方ない」

「何言ってんの。メティスの重圧プレッシャーに体力を削られて、アンタもフラフラぎみになってるわよ」

「へ、何のことだか」


 二人には体力が残されていない。それは動きにも直結する。身体能力が落ちるこの状態でメティスにかどうか。


「今度はわたしからいく。後押しは任せたわよ」

「……オーケー、何を考えているかどうかは分からないけど、最高の後続を務めてやるぜ」


 しかしそれでも、彼女らが退く様子も、弱気になる様子もない。それは引き戻せない所まで行ってしまったからではない。

 譲れない物があるからだ。

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