ただ、がむしゃらに

「うあああぁぁぁ!!」


 一瞬、それは一瞬という言葉が正しかった。

 零コンマなどでは到底測りきれない時間。


 状況が逆転した一瞬。


 リルがエンプトの懐まで入るまで一瞬。


 そして、エンプトの顔にリルの拳が入るまでも一瞬。


 何もかもが一瞬の間に終わる。


「なっ……!」


 重厚で、なおかつ疾風の如き一撃。

 無感情に見えたエンプトも表情を変えざるを得なかった。ひよわに見えたはずの体から繰り出された強烈な攻撃に、目を見開き驚愕を表す。その表情には僅かな恐れを含みながらも、ニヤリと口角を上げていた。


「っあああ!」


 リルの猛攻はこれで終わりではなく、次々と繰り出されていく。

 顔、顎、頰、胸、腹、胴、脇腹。最初の一撃から連撃を繋げ、一発、また一発と相手に入れる。

 エンプトも槍による反撃をしてくるが、彼は寸前で避け、すぐさまカウンターを放つ。

 弱者であったはずのリルが今、強者であるエンプトを圧倒していく。


「まだまだ……!」


 彼の脳は真っ白となっている。無駄を削いだ、という意味ではなく、何もかもを理解できていない、ほぼ無意識であるのだ。

 相手がどういう動きをしているか、自分が今何をしているのか。脳が把握しきれていない。

 なぜこんな事をしているのかという理由すらも。

 ただ体が的確に敵を撃つだけ。ただ反射的に敵の攻撃を避けるだけ。

 自分の意思では動いていない。まるで別の思考が体を動かしているよう。


「ふっ!」


 そして、そのままリルはエンプトを追い詰める。小さく、そしてひ弱な体が、それよりも筋肉がついたデカイ体を吹っ飛ばそうとする。

 最初と同じ重い一撃。それが彼の拳から放たれ……! 


「……あれ?」


 空を切った。見事なくらいに敵の体の前を通り抜けた。攻撃を外してしまった。

 言うなれば、スカしてしまったのだ。

 体が無理をしてスピードに追いつかず、足を滑らせ、コケてしまう。


「むう……」


 その一連の流れに、興がそれたかのように無表情に戻るエンプト。その目はまるで養豚場の豚を見るかのように冷ややかだ。

 こんな大失態をすれば、恐怖心よりも羞恥心が勝ってしまう。最後の最後でのポカ、詰めが甘いどころではない。


「まあ……ここまで追い詰めた事は賞賛に値する」


 情けか慰めか、彼の言葉は決して悪意あるものではないが、だからこそリルの傷心を抉る。これならば、いっそ貶してくれた方がまだマシだ。


「だが、少し眠っていてもらおう」


 しかし、その羞恥心すらも一瞬の感情となる。

 今から殺される。リルは直感していた。

 死への恐怖心はある。けれども、何故かそれを自然に受け入れていた。ルディアが、他人が殺されるよりかは恐怖は感じない。

 すなわち、


「しばしの眠りを。勇者よ」


 もうもがく気にもならなかった。さっきので体力を使い切ってしまったのもそうだが、なにより彼の心はもう諦めていた。

 このまま死んでしまっても、彼女を助けられたのなら……


「はあああ!」


 エンプトが槍を振り下ろす。もう彼は抵抗しなかった。


「何諦めてるのよ!」

「うおっ!?」


 しかし、リルは誰かに抱きかかえられ、共に巻き込まれるかのように転び、助けられる。


「ル、ルディア……?」


 その誰かは、先ほどまで動けなくなっていた彼女であった。


「勝手に助けたと思ったら、今度は勝手に死のうとして……バッカじゃないの!」

「わ、悪い……って、お前動いて大丈夫なのか?」

「回復の魔法を多少かじってたからね。あと五分ぐらいは動けるようにはなった」


 その回復魔法が傷を治すだけのものでなく、疲れすらも癒すらしく、彼女の顔色は良くなり、戦闘を再開できる体となっていた。


「ほう、僅かな隙を使って持ち直したか。だがどうする? そいつは最初の一撃がとてつもないスピードであったから私を圧倒したが、貴様はそうではあるまい」

「ええそうね。わたしにそんな俊敏さはない」


 エンプトの指摘をあっさりと認めるルディア。しかし、そう判断した上で、彼女は勝ちを見据える。


「けど、さっきので分かった。アンタ、接近戦が苦手ね」

「……だとしたら?」

「それに持ち込むまでよ」


 彼女は一呼吸を置き、話を続ける。

 その身を構えながらも。


「これは愚痴よ。勝手に聞き流してちょうだい。

 わたしはアンタと戦う時、どこかあなどっていた。有象無象と同じだってね。だから、私はを使わなかった」


 手に握ったのは直剣ではなく短剣、それはさっきも使。けれど、ルディアの言う『これ』は短剣の事ではない。


「でも、もうそんな事はしない。全身全霊をもって、貴方を負かす」


 短剣の刃先を敵に向け、宣言した。勝利をかっさらうと。


「——行くわよ」


 地面を蹴り、彼女はエンプトに接近する。その速さはリルが出したものでも、ましてや、さきほどまでの彼女自身にすら届かない。


「ま、待て……!」


 必死に声を絞り出すリル。けれども、もう彼女には届かない。


「何度来ても同じだ……巨型雹アイスレイン


 向かってくるルディア、それに迎撃しようと大量の氷塊を放つ。それはさっきと同じ。これのせいで彼女は近づく事さえ許されなかった。だけど、


「我が心は想いだけに留まらず。この力はその先、心のあり方が表れる……」


 短剣がぼんやりとした光を帯びる。目を刺すような強さではない。火のように揺らめき、そして、一部は何かの顔を成していく。


九十九くじゅうくの神、その中の一をここに再現しよう」


 詠唱を終えて、彼女は飛んでくる氷塊を対処しようと、短剣をかまえる。しかし、どう見ても刀身が短い短剣で、直径六十センチ大の塊を斬ることはできない。けれども、


「はっ!」


 ルディアは簡単に斬っていく。

 一つ、二つ、三つ。襲いかかる氷塊をいくつも。

 力はまったく入れていない。ただ短剣を振っているだけ。それでも、次々と氷塊を斬り落としていく。さきほどのように押されながら対処しているのではなく、近づきながらもそれをやってのけている。

 疲れ切った体であるというのに、何故それができるのか。

 いや疲れ切った体であろうと、できるのか。


「ま、まさか……!」


 その真相をエンプトは読み取ったかのように、予測する。

 だが、それすらも許さないとルディアは肉弾戦ができる距離まで近づききった。


「驚いてる暇はないわよ!」

「っ……防御氷壁アイスウォール!」


 彼女の攻撃を防ぐために、とっさに氷の壁を作る。

 即席であるというのに、今までとまったく変わらない物ができあがり、その短剣を止められる筈の物だ。

 しかし、彼は冷や汗を流す。この壁は無意味なものになるのではないかと、悪い予感がしていたからだ。

 そして、その予感は当たる。


「うぐっ……!」


 壁はまるで、豆腐のように容易に斬られ、そのままエンプトの左肩も斬られる。利き腕と反対とはいえ、長物の槍を扱うには不十分な体となってしまう。

 あまりにも呆気ない。最初とは状況が全く逆。それなのにエンプトはまたもや口角を上げる。優位に立っていた時は無表情であったはずなのに。


「もう一本取る!」

「させるか!」


 切り返しによる二段目の攻撃、そのままではエンプトはもう一方の腕も斬られてしまうが、それをさせんと彼はソフィにも放った粘着凍土拘束スティッキーフリーズを彼女の右腕につける。


「ちっ!」


 そして、それは瞬く間にルディアの腕を凍らせ、さらには短剣は手から離れてしまう。


「これで利き腕を失ったな!」


 互いの条件は五分五分となる。いや、ルディアの方が不利かもしれない。人間の利き腕は本来、右だ。使える腕を比較すれば、エンプトは右、ルディアは左だけ。

 普通ならば、利き腕と反対の手では扱いづらいはず。さらには武器も手放してしまった。彼女に勝ちの目はないのではないか。


「この勝負私の……!」


 私の勝ちだ。そう言い切りながらも、槍の鋭い一閃を放とうとする。両手を使っていない分、スピードはさっきよりも落ちるが、ルディアを貫くには充分なはずだ。

 それは勝利を決める一撃となる、はずだった。


「悪いわね」


 しかし、傷を負ったのはエンプトの方だった。

 ルディアは左腕で短剣を持ち直し、彼のもう片方の腕を斬り落とした。しかも、右手と同じスピードで鏡に映したかのように。


「私、両方とも利き腕なのよ」


 さらにはエンプトの足をも斬り落とし、彼は一切動けない状態となり、地面に五体投地されてしまう。

 敗北、エンプトは完全に敗北した。それは誰もが認める事だろう。彼自身も。


「……ツクモ。まさか、お前がその使い手だったか」

「ええ、その通り。この短剣は九年前から使ってるから」


 その年数が何の意味を示すのか、蚊帳の外であるリルだけは理解できないが、彼女らの話は進む。


「貴様は幼そうに見えてかなりの鍛錬者のようだな。

 利き腕が両方なのも、修練の結果だろう」

「はあ? ツクモはそうかもしれないけど、利き腕は元々よ。も・と・も・と」

「……ふっ。まさか天性だったか」


 負けたにも関わらず、心地よい笑顔でどこか遠い場所を見るかのような表情をするエンプト。


「……殺せ」


 そして、彼には全てを受け入れる覚悟ができていた。


「私はこの土地における侵入者だ。本来いてはならない者。そして、それが負けた末路は死が相応しいだろう」

「あんた……それでいいの?」

「構わん。恨みもせんよ」


 彼の言葉に嘘偽りはない。清々しいほど彼は恐怖心などなく、自分から死をもたらしてくれと、頼んだ。

 本人なりには納得しているのだろう。だが、


「ま、待ってくれ!」


 倒れて動けなくなったエンプトに一匹の魔物が、庇うように覆い被さる。それはリルを追いかけ回していた小鬼だった。


「兄貴はただオイラ達の意見を聞いてくれただけなんだ! オイラ達は自分達の国が作りたいって……南に行けば、作れるかもって! 

 だから! 兄貴は関係ないんだ! 兄貴だけは勘弁してくれ! オイラ達の命はどうしてくれても構わないから……!」


 自身の命を投げ打ってまで、小鬼は懇願する。その小鬼は、ルディアに敵わないだろう。けれどもせめてエンプトを助けたかった。

 しかも、その想いは一匹だけではない。扉の方を見てみれば、今までソフィが倒してきた魔物達が集まっていた。その目は敵意がある物ではない。小鬼と同じく、ただただ彼をの身を案じているだけだ。


「……別に殺しはしないわ」


 けれども、ルディアは魔物達の予想を反するような答えを返す。


「今ここで私が殺したら、悪役みたいになるじゃない。

 まあ、最初から殺す気もないんだけどね。外の吹雪を止めてくれたら、あとはどうしてくれても良いわ」


 あっさりと彼女は許した。あっけらかんとした態度はエンプトの顔を肩透かしを喰らったかのような、マヌケ顔にさせる。


「いい……のか?」

「ええ、迷惑をかけないならここに住んでも、私は構わないわ」

「そうではない。殺さなくていいのか? 復讐に来るかもしれんぞ」

「その時はその時よ。というよりアンタ、そんな性格じゃないでしょ」

「……甘いな」

「かもね。けど、厳しい道でもあるわ」


 何を思ったのか、彼女の焦点は明後日へと定まる。その選択がただのエゴだけではないということか。


「わかった。貴様の想いは受け入れよう。この者達の想いも無下にできぬからな。ただし、私たちはここには住まぬ。元の場所へと帰る」


 その彼の言葉により、この異変の終着点が決まる。ひとまずは一件落着といったところだろうか。

 しかし、問題はまだ多く残されている。その中でも


「俺は……来なくても良かったかもな」


 リルの感情は最大の問題だろう。


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