短編

黒井ぶち

【独り言】群青浅葱

 ノートパソコンの明るさだけが目立つような暗闇の中。叔父が残していった探偵事務所の社長が座る用の椅子に腰かけて、提出書類や依頼人に送る書類の作成に追われている。

片付けても片付けても次々と溜まっていくメール。フォルダ分けしているとはいえ、溜まっていくものを処理していくのが面倒で増えていく数を眺めてすべて放り投げてしまいたい気持ちになる――が、このメールを無視するわけにはいかない。

依頼人だけではなく、所員からのもの、提携している各関係者からのものと放置した方が面倒になるものばかりだ。もちろん内容を確認しただけでは終わらない。

添付されている写真も確認しなければならないし、データとして提出されたファイルも確認しなければならない。やることは増えはするのに減ることはないときている。

「……くそっ」

 今日は徹夜も覚悟になるかもしれないと大きく溜め息を吐きだして天井を見上げ欠けるが、なんとか視線は画面に向けたままを保ち指を動かす。カタカタとキーボードを叩く音が静かな部屋に響いて消えていく。

大学のレポートですらここまで真面目に打ち込んだことはなかったはずなのに、一体なにをしているんだと身体を背もたれに預けると派手に軋んでうるさかった。

随分と使い古されていることもあって、メンテナンスが必要なのだろう。しかし、それをしてくれるであろう主は不在。持ち主でもないので代わりにしておこうなんて考えには至らない。

寧ろ誰も座らないなんて椅子として手持無沙汰になるだろうし、粗大ゴミに出すにしても力仕事になって面倒だ。それならと捨てることもせずに主の帰りを待つように置いたままにしている。

「……面倒くせえ」

 社長用の椅子になんて座る柄じゃないのに、どうして事務所の入り口が見えるこの位置で仕事を片付けているのかなんて誰にも言えないし、言おうとも思わない。

すべてを放り出しそうになるのに、できやしない自分がいるのだ。それでも――放り投げてしまいたくなる書類束の氏名欄に記載されている加納翠の文字を見るたびにどうしようもない気持ちに駆られる。

「チッ……何処ほっつき歩いてんだ」

八つ当たりの様に口をついて出る悪態も受け止める相手が居なければ意味をなさない。

探偵として仕事を片付けているこの手を止めてしまったら、自分はどうなってしまうのかなんてこと考えたくなかった。

散歩にでも行くような口振りで「ちょっと行ってくるから頼むな」なんて言い残し行方不明になった叔父のことなど、さっさと忘れてしまえたら良かったのだ。

そうすれば大学卒業と同時に訳も判らないままに探偵になって、そのまま過ごすこともなかった。

探偵になりたいと思ったこともない人間がこの椅子に座っていることも、律儀に事務所の看板を保っていることも考えたくない。

またいつもの調子で事務所のドアを開けて「ただいま」と言うこの椅子に座るべき人間を今日も待ってしまっている。

「……あんたが雇ったやつ等みんな誤字が酷いんだよ」

面と向かって文句の一つでも言ってやるために、今日も『探偵群青浅葱』として職務に努めるのだった。

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短編 黒井ぶち @965madayo

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