雪が降る前に・・・・

冷門 風之助 

VOL.1

 もうどの位になるだろう。

 舗装されていない道路を、少なくとも2時間以上は走り続けている。


(名探偵ともあろう者が、外の景色を見りゃ分かるだろう?)


 って?


 見れりゃね。


 何しろ俺は事務所オフィス兼ネグラの新宿のビルの前で、骨とう品と呼んでもいい黒塗りのベンツに押し込められた瞬間から、目隠しをされ、懐から拳銃あいぼうを、腰からは特殊警棒を取られた挙句、両脇に堅くて冷たい銃口つつを押し付けられちまったんだからな。


 向こうは俺を挟んでバックシートに二人、運転手の他、助手席にもう一人、合計四人に囲まれているんだ。


 これじゃ流石のでも、身動きは取れない。

 派手にやらかして無駄死にするのは嫌だからな。


  車のエンジンの振動はどんどん上がる。



 俺は何度か、どこへ連れてゆくのかと訊ねたが、帰ってくる答えはいつも同じだった。


(御前からのお達しでございますので、暫時ご辛抱の程を)


 これだけである。



 恐らく都心からはかなり外れたろう。


 今時花の都大東京に、こんな感触が尻に伝わってくる道なんざあるとは思えない。


 おまけに俺の耳にはヘッドフォンがかけられ、何やら壮大な交響曲シンフォニーが絶えず流れている。


 これじゃ外の音からだって情報を拾いようがない。


 シート(ここだけは意外とクッションが効いている)に身体を埋めて姿勢を崩そうとすれば、脇腹にゴリっと来る。


 

 交響曲が、五度目のリフレインに入った時だった。


 タイヤの軋みが尻から全身に伝わり、ようやく車が停まった。


『着きました・・・・』


 助手席に座っていた人物が抑揚のない声でそういい、俺の脇腹からようやく銃口が外れ、左右から手が伸び、交響曲がみ、ヘッドフォンと目隠しが取り除かれた。


『誠に申し訳ございません。貴方の大切なはお帰りになるまでこちらでお預かりさせて頂きます』


 さっきの声がまた続ける。


『それもとやらのお達しかね?』


 皮肉を込めた俺の問いにも、一向に動揺した気配を見せず、


『左様でございます』


 風が吹いた。


 ここはどこか森の中なのだろう。


 風の音と共に、木立が大きくざわめく音が聞こえる。


 車を降りると、そこは大きな門があり、観音開きの扉がきしみながら開いた。


『さ、こちらへ』


 ざわめく木立の中、石畳を踏んで、さっきの男達・・・・ここで初めて男だと分った・・・・・彼らは全員、上から下まで黒の帽子、黒のダークスーツで身を包んでいる。

 

 石畳の玄関、迷路のような長い廊下・・・どこも70年、いや、ことによるとそれ以上前、横溝正史か江戸川乱歩の世界で時間ときが止まっているような、そんな感じだった。


 幾つもの角を曲がった後、僅かばかりの灯りが漏れている座敷の前で、俺と、そして俺を案内した二人(一人は車をどこかに入れに行った)が立ち止まり、


『御前様、お連れ致しました』


 と、先頭の一人が告げる。


『うむ、入ってよろしい』


 中から、ひどくかすれた声で応答があった。


 廊下に膝をつき、先頭の男が障子を開ける。


 そこは、およそ二十畳ばかりの座敷で、正面に床の間があり、それを背負うようにして、一人の着物姿の男性が、座椅子に腰かけてこちらを見ていた。


『まあ、入り給え』


 かすれた声が、また俺の耳に響く。


 俺は何も言わずに座敷の丁度中間、老人と向かい合わせに置かれていた座布団のところまで歩き、そのまま胡坐をかいて腰を下ろした。


 老人は、歳の頃、もう恐らく90はとうに越しているだろう。

 

 顔には深く皺が刻まれ、鼻下に蓄えた口髭といい、後ろに撫でつけた頭髪といい、ことごとく真っ白であった。


 ただ、目だけはやけに鋭い。


『あんな迎えを寄越して済まなんだな』


 老人はそういい、太い葉巻(香りからすると、ハバナ・シガーだろう)を口に咥えると、いつの間にか隣に、紺色に銀鼠の帯を締めた女が控えていて、白い腕を伸ばし、ライターで火を点ける。


 俺は胡坐をかき、シナモンスティックを取り出して咥える。


『はっきり申し上げて不愉快だな。』

 遠慮会釈なく、答えを返す。


『どんな世界にも仁義ってもんがあるだろう?幾らそっちが客だからって、何をしてもいいって理屈は通らんぜ』


『・・・・・もっともだ。だが、君には私の正体を知られたくなかったのだ。』


『だったら断る。この依頼はなしだ。他の誰かに頼むんだな』


 老人が葉巻の煙を吐き、片手の指で挟んだまま、手を鳴らす。


 灰が畳に落ちかけたが、隣の女が灰皿で巧みに受けた。


 障子が開いた音がし、俺の後ろに控えていた男が外から何かを受け取った。それは、黒漆の大きな盆の上に、紫色の大きな風呂敷を掛けたものだったが、そいつを老人と俺の中間に置く。


 老人が顎をしゃくると、袱紗を取る。そこには手の切れるような札束が積まれて置いてあった。


『現金で八千万円用意した・・・・・これで引き受けてくれんかね。いや、是非とも引き受けて貰わねば困る。この仕事は君でなければ頼めんのだ』


『失礼する』


 俺は立ち上がろうと上体を起こした。


 後ろに居た男たちが懐に手を突っ込む。


『俺は札束で頬をひっぱたくようなやり方も嫌いなんでね。あんたほどの人間なら、その位宣告ご承知だろう?北条の御前?』


 俺の言葉に、老人のこめかみがピクリと動いた。




 



 

 




 


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