ワンダーランドの欠片
黒霧
夜空を飾る蛇の帯
荒野を旅する蛇は夜空を見上げ、満月がとても綺麗だったので、ぱくりと飲み込んでしまいました。
それ以来、夜から月は失われ、夜は魔物も潜むほど暗くなりました。
ところでそれで困ったのは、機織りをする兎でした。
兎たちは急遽遠くへ嫁に向かうことが決まった主のために、昼も夜も問わず織物を作っていたのですが、月が消えてからというもの、夜は仕事になりません。
「それもこれも急に消える月が悪いのです。一言、文句を言ってやらねば気が済みません!」
「ど、どこへ行くのー!?」
一番若い兎の娘さんは、一番結果盛んな娘さんでもありました。
他の兎は止めなかったのかというと、止めませんでした。
正直、剣に槍に武術にと物騒なことにばかりかまけていた彼女が出て行っても、あまり仕事の効率は変わらなかったのです。
いえ決して腕前が悪いわけでは無いのですが、こうなった彼女を止めても時間の無駄だと、悟っていたのだとか。
そして兎はかつて主を奪いに来た海神を返り討ちにしたときに譲り受けた三叉槍を担いでぴょこぴょこと旅をしました。
庵のある竹林をでて、長い耳をぴくぴくさせながら川を渡り、山を越え、荒野に行くと、そこには夜の中で美しく輝く銀の蛇がおりました。
「おのれ貴様の仕業かー!」
「あいたーっ。誰ーっ!?」
「問答無用ですっ」
三叉槍を振り回す兎に、蛇はひぇーと言いながら逃げ回りました。蒲焼きにされて食べられると思ったのかも知れません。
兎と蛇の戦いは七日にわたり続きました。
蛇が体を伸ばして崖を渡るなら、兎が一蹴りで崖を超えます。
蛇が川を泳ぐなら、兎は魚の背を蹴りつけて追いかけました。
蛇が星を飲むというのなら、兎は夜さえ槍で切り裂いてみせました。
「うわぁん化け物だ!」
「失敬な。乙女を指してひどい侮辱です! もう許しませんっ」
「ひぇ。食べないでー!」
この段になってようやく兎も、あれ、なんでこんなことになってるんですっけ、と考える余裕が生まれました。
「いえ食べませんよ」
とりあえず兎は蛇の誤解を蹴っ飛ばしました。兎的に大事なことだったのでしょう。きっと。
「え。じゃあなんで追いかけてきたの?」
「あなたが月を消したんでしょう。夜が真っ暗で困っているのですよ」
「うん。それはわかったけど、なんで僕は追われてたの?」
「月を戻してください」
「どうやって」
「知りませんよどうにかなさいっ」
「そんな無茶な!」
兎が不機嫌そうに槍で地面を叩き始めたので蛇は慌てて考えました。えーと。えとー。
「夜が暗くても寝るから困らないよね?」
「アホですかっ。夜に仕事をしているから困ってるんですっ」
「ぎゃーっ」
蛇は槍をきわどく避けました。兎怖い。寿命が減った気がします。
「でも夜は寝た方がよくない?」
「そんな暇はありません」
「そっかー。兎って大変だね」
「そうなんですよ。いえ姫様のためですから苦でもなんでもありませんが。いえいえそうではなくですから月をなんとか……」
「うーん」
そんなことを言われても、飲んでしまったものはどうしようもありません。蛇は困りました。
「あ、そうだ。じゃあ夜仕事している間、僕が側にいるよ。僕、明るいみたいだし」
「……うー。今はそれで勘弁してあげます」
「やったー」
しばらくして兎は蛇を連れて庵に戻ってきました。
庵の主、嫁ぐ予定のお姫様は無事に兎が戻ってきてくれたことにとても安堵し、ついで蛇がしゅーと言いながら現れたことに腰をのかしてしまいましたが。
「お前は何をしていても迷惑ですね!」
「ひどいよぉ」
「……確かに今のは言い過ぎました。でも姫様に近づくのは厳禁で」
「はぁい」
さて、夜は銀色に輝く蛇のおかげで兎たちの仕事は無事機嫌までに片付きました。
兎たちの仕えていた姫様もお嫁に行き、晴れて一仕事を終えた兎たちはそれぞれが報酬に、不死の霊薬や大判小判、薬剤の知識等々をもらい、野山に帰っていきました。
ところでその中に、別のものをもらった兎がおりました。
「さあ月を戻しに行きますよ」
「あ。まだ忘れてなかったんだ」
「寝てばかりのお前とは違うのです」
「冬だからだよー」
「言い訳無用!」
「ひどい。それで、どこに行くの?」
「姫様が教えてくれたところには、お前のいた荒野の先に新たな国が出来たそうです。その国の女王様に頼めばなんとかなると言っていました」
「そっか。じゃあ行こう」
「……お前は脳天気ですね」
兎は実はいくつか教えられた方法のうち、唯一蛇が死なない方法だと教えてもらえた方法を口にしたのですが、そのあたりの経緯は省きました。
まあ、寝ていただけとはいえ、この蛇はあまり悪いものでも無いような気がしたので。
死ぬほどではない、と兎は思ったのです。
「では行きますよ。お前は目立つんですから気をつけるように」
「はあい」
そうして二匹の旅が始まりました。
二匹は人々に死の庭園と呼ばれる荒野を越え、暗黒の森を抜け、神々の戦跡地と呼ばれる廃墟の丘を進み、ようやく人々の生存圏に入りました。
「お前との旅はほんと大変ですね!」
「でも楽しいじゃない」
兎は蛇を槍の柄の方でぺしぺし叩きました。
途中で死の庭園を彷徨う亡霊に襲われたり、暗黒の森の狂った魔女とガチンコバトルきめたり、神々の戦場跡で再起動した鋼鉄巨人を締め上げたりと、なかなかハードな旅でした。
巷では「神々が使わした白い兎と銀の蛇が世の邪悪を正しい回っている」などと噂されていたりもしますが、その正体はといえばこんなものでした。
さて、そんな日々が続いてしまえば、たとえば全力武装の兵士達がぞろぞろとやってきたりしようものなら兎も蛇もなれたもので、
「おうこらやんのかですよ!」
「でもいい人達かも知れないよ。ほら、この間ネズミ食べていいって言ってくれたし」
「あれは村の大猫がサボっていたからです。大体あんなに武器満載の人達がまともな手合いの分けないじゃないですか」
「それもそうだね。絞める!」
「……でも一言くらいは聞いてやってもいいですよ」
「はぁい」
そんなわけで突然の死の運命からきわどくも逃れられた兵士達。その代表が兎と蛇に告げたのはこのようなことでした。
「我々は女王の遣いです。月を飲んだ蛇、我らの戦いに勝利をもたらしたあなた様を是非城へお招きしたいと」
戦の話なんて知りませんよと兎は蛇を睨みました。
けれど蛇はきょとんとしていやがったので、たぶん無自覚だなと納得しました。
兎と蛇はこそこそと話します。
「お前そんなこともやっていたのですか」
「知らないよー。月は飲んだけど」
「今更ですがお前なんでそんなことしたんですか」
「月が綺麗だったから」
「お前も大概ですね」
「やったー。僕も君の仲間だね」
「どういう意味ですか!?」
「えっ!?」
「お前と違ってわたしはそんな飛んでもはしていませんよ。失敬な」
「えー…………」
ともあれ二匹は兵士達について城へ向かいました。
出迎えてくれた女王様によると、この国の立国に関わる最後の戦いで夜の奇襲を行ったとき、たまたま月が消えたおかげで大きく有利になり、戦いに勝利できたのだそうです。
「そっかー。勝てて良かったね?」
「このお馬鹿。お前さんは礼儀というものを知らないのですか」
「痛い! わー久しぶりに槍の先の方で叩かれた」
二匹のやりとりを見て女王は楽しそうに笑います。
「良い。生き方が違うのに礼を同じとすることなど無意味極まる。それにわたしはお前に礼を言いたかったのだ。なんなら褒美を与えても良い。何か望みはあるか?」
「えっと。あ、そうそう。月を元に戻すにはどうしたらいいですか?」
「このお馬鹿。お馬鹿! 月が無くなって良しとしているのに元に戻すを問うとか考えなしですか」
「ぎゃー。だって戻したいって言ってたのにー」
「構わん構わん。それに月が無くなれば見たくなる時もある」
そこで女王は魔法使いを呼びました。魔法使いは銀の蛇と白い兎を見て嫌そうに顔をしかめます。
「神話の住人ではありませんか。ついに神々と戦う気ですか」
「我が道に立ちはだかるならいつでも叩き潰してやるつもりだが、残念ながらそうでは無い。お前が昔わたしに告げていた月を飲んだ蛇だ」
「それはまあ見ればわかりますが……」
「こやつらが月を戻したいと言っている。方法は?」
「……夜空に明かりをということであれば、そう難しいことではありません」
魔法使いが言ったことはこうです。
「これから君が脱皮する度に、その抜け殻を天に捧げなさい。月は失われたので戻らないが、それは月にはならないが、夜空を明るく照らすだろう」
「……君はそれでいい?」
「何を言ってるんですかお前さんは。そんなもの見てから決めるのですよ」
そうして二匹はその夜のうちに行いました。
「わぁ、すごい!」
「これはこれでいいものですね」
脱皮してできた蛇の抜け殻を兎がえいやと蹴り飛ばせば、空にはまばゆく輝く白い帯が生まれました。
それは月に変わって夜を照らし、時折きらりと輝いては小さなつぶてとなり空を駆けました。
「……まあ昼にも見えることになるとは思いませんでしたがそれくらいはいいでしょう」
「やったー」
これが空を結ぶ星屑の道を指して蛇の帯と呼ぶようになった理由だそうです。
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