エルフの嫁さん! 異世界からエルフの姫様がボロアパートに転移してきたのだが……。

神月 昴

プロローグ

第1話 始まり始まり



 間もなく夜が明けようとしていた。


 時刻にすれば5時頃だろうか。どこにでもあるコンビニのバックヤード、そこであくびをかみ殺しながらダルそうに着替えている青年がいた。


 パッと見ただけでは絶対に記憶に残らないであろう特徴の無い顔。背は平均より少し高め、痩せてはいないがその体は少し締まっていた。短めの清潔感のある髪をワックスで流している。


 黒縁のメガネをかけるとまた眠そうにあくびをした。長い事深夜のコンビニでアルバイトをしているが、いつまで経ってもこの眠気には勝てそうにない。メガネをずらすとあくびで少し出た涙を拭い、忘れ物が無いかを確認してからタイムカードを押しに行く。


宮中みやなかくん、お疲れ様」


 人気の無い更衣室で声をかけられてビクリとしたが、もう1年以上聞いている声だ。振り返ると、白髪頭に少し曲がった腰をおさえた店長がビニール袋を片手にぶらさげながら微笑んでいた。


「店長もお疲れさまです。かなり少なくなってきた品物をメモしておいたんで後で目を通しておいて下さい」


「いつもありがとねぇー。良かったらこれ持ってって」


 そう言って手渡されたのは赤いパッケージでおなじみのカップヌードルと、お茶が入ったコンビニ袋だった。丁度家にあったカップラーメンが底を付き、買い足して帰ろうと思っていたのでこれは非常にありがたい。


「おぉ! ありがとうございます。丁度家に食うもんなくなったばかりでして。それに給料日前ですし」


「それは良かった。じゃあまたよろしくね」


 そして店長に礼を言い、帰路に付く。


 世間は不況の煽りを受けて観測史上最大の就職難だとか、就職氷河期なんて言われている。


 そして深夜のコンビニでアルバイトしている俺も世間受けの良い言い方をするならば就活生だ。実際はフリーターだが。就職氷河期の例に漏れず、しがない四流大卒の俺もたまに就活しては散々な結果にそろそろ心が折れて来ている。


 誰だって働きたくはないし、必要最低限食える程度にバイトのシフトを入れて後は家で転がってパソコンを弄ってるくらいしかやる事は無い。


 そんな宮中時広みやなか ときひろこと俺は、くだらない事をウダウダと考えながら僅かに活気づいてくる町で背を丸めながら歩くのだった。


□◆□◆□◆□◆□◆□◆□◆□


 アルバイトをしているコンビニから歩く事5分程。徐々に住んでいるアパートが見えてくる。まるで、そこだけ時代から置いてけぼりを食らったかのような佇まい。大正どころか明治時代からあるのでは、と錯覚しそうなほど古ぼけたアパート。それが今、俺が住んでいるアパート「野差荘やさしそう」であった。


 六畳一間で風呂無しトイレ別。周りに新しく立ったアパートのおかげで日当たりは最悪。洗濯物を干すのにも一苦労である。しかし風通しは抜群に良い。なにせ築何年か、管理人すら知らないこの建物は建てつけというものが恐ろしく悪く、隙間風が通り放題だからだ。冬は寒くて夏は暑いを地で行く、住人にはカケラも優しくない。そんなアパートが「野差荘」だ。


 このアパートは、玄関口の扉から入ると建物の真ん中に廊下が通っている。雨の日も玄関を抜けてしまえば、濡れる心配が無くそこはこの建物の良い所ではないだろうか。その廊下を境に左右対称に部屋が並んでいる。古い家屋に興味のある人ならば一度は住んでみたいと思わせるような、古い木造建築特有のレトロな良い雰囲気が漂っているが……。住んでいる本人からすると、新しい家に住みたいと思う事は然るべき感情かもしれない。


 時間が時間なのであまり物音を立てないよう、慎重に突き当たりを目指す。一○四号室が俺の住む部屋だ。部屋番号が四番で角部屋、しかも築何年かわからない、古い建物で曰く付きと言われても過言ではない部屋であるが、当の本人はあまり気にしていない。住み始めた当初は天井のシミなどに一々ビクついていたが、さすがにもう慣れた物だ。西洋風なドアノブに、ピッキングの技術など無い時広でも開けられてしまうのではないか、と思うほど簡素な鍵を通すと少し苦戦はしたが開いた。この鍵が曲者で、内部が錆びているのではと思うほど開かない時がある。住み始めた当初は悪戦苦闘して10分や20分も鍵を開けるのにかかったが、こちらも慣れた物でものの数秒で開くようになった。ある意味防犯か? と思いもしないが一役買っている事は間違いないであろう。


 ドアを開くと一人暮らし特有の足の踏み場もない自室が待っていた。飲みかけのペットボトルや食いかけのカップヌードル。雑誌やコンセントの配線。触れただけで崩れてしまうのではと思うほどうずたかくゴミが積まれたテーブルの上。いつ干したか忘れてしまった万年床にはタバコの焦げ跡がかなりあった。


 しかし、そんな汚い部屋であるが、壁には数々のポスターやカタログの切り抜きがはられたコルクボードなどが飾ってあった。バイクレースの選手がバイクをフルバンクしてコーナーを駆け抜けているポスター。カタログの表紙を切り取って数々の名車が壁一面に張られている。


 宮中時広は大のバイク好きだ。三度の飯よりバイクを弄る事が好きで、バイト代もほとんどバイクにつぎ込んでいる。家賃よりも高いバイクガレージを借りており、そこに愛車は止まっている。どんなツラい事があってもバイクに跨ればすぐにスッキリしたし、バイク弄りをすれば時間を忘れられた。クロームステンの輝きにどんな音楽なんかよりも心地よい排気音。それだけあれば十分であった。




□◆□◆□◆□◆□




 それからしばらくして、テーブルの上のゴミをまとめてゴミ箱に放り込み、食事ができるだけのスペースを確保すると電気ケトルでお湯を沸かしカップラーメンに注ぐ。待っている間にバイク雑誌の新刊を読みふける。やはり今の時代の偉い人は効率を求めすぎてバイクをおかしな方向に持って行っているのでは、と不安にかられる。排他的な事こそに美学を感じるし、利便性をとことんまで突き詰めればそれはもう車で良いのじゃないかと眉間にシワを寄せながら唸る。セミダブルクレードル鉄パイプフレームこそ排他的で非合理的なバイクの真骨頂だと豪語する時広にとって、カウリングで固められたバイクはあまり惹かれない。


 セットしたタイマーの音が鳴り、麺が茹で上がった事を確認すると麺を良く混ぜる。とたんに良い香りが部屋を包み食欲も増す。さて、これを食べたら惰眠を貪るか、と幸せな予定を頭の中で立てついついにやけるが、ふとした異変に気付く。


 カタカタカタッ。


 最初はトラックでも通ったのかと思った。何度も言うようだがこの古い家、前に通っている道路に大型車が通っただけで家鳴りがするのだ。大型地震なんて来た日にはすぐさま倒壊するのでは、と思っている。


 しかしトラックが通っただけにしてはやけに長く家鳴りがしている。地震か? と思ったが蛍光灯の紐が揺れてない為にやはり思い過ごしか、と割り箸を割る。古い家に住んでいるとこんなことに気を留めていたらにっちもさっちも行かなくなるからだ。


 気にしないよう努めて、いただきますとラーメンに手を付けようとした時に、不意に寒さを感じて体が震える。


「なんかいやに寒いな?」


 元々、冬は寒いのがこの家の標準装備であるが、ある程度ダンボールなどで隙間風を通さないような工夫はしている。それでも風は通ってしまうのだが。


 しかし今は体感的にいつもより寒い。なぜだろうと一瞬悩むが、ご飯を食べれば体も温まるだろうと麺をすすりはじめた。


 やけに続く家鳴りに寒い部屋。嫌な予感を覚えながらも空腹を満たす為にラーメンをすする。二口ほど食べればそんなことすぐに忘れていた。


 しかしここでさらなる異変が時広を襲う。


 ドンッ! とまるで軒下から大きな槌で殴られたかのような衝撃を覚え、テーブルに積まれていたゴミが落ちる。さすがにこれだけ大きな衝撃を受け、異常事態だと辺りを急いで見回した。


 すると突然、蛍光灯が明滅を始めた。


 なんだなんだと、まるでポルターガイスト現象のような異常事態に訳もなくあたふたしていると家鳴りが激しさを増す。そして音が聞こえるほどの強風が部屋を駆け抜ける。雑誌は飛び、ポスターははがれ、目もあけられないほどの風速で部屋に渦巻きだす。


 パニック状態ではあったがせめてラーメンだけでも、と必死にラーメンを掴んでいるが、強風のせいでスープがあたり一面に飛び散り、顔面にもかかっている。


「局地的な竜巻かこれえええっ!!!!」


 メガネも飛び、唇もジェットコースターに乗ったかのように広がっている。中々におもしろい顔だ。


 そして強風に煽られた分厚い週刊誌が顔面に直撃するが、自分が飛ばないようにするだけで一生懸命の時広は、既に中身などとうの昔に飛んで行ったラーメンの器を必死に抑えており、痛みにもがき苦しむ暇もない。


 薄目を開けて超強風の中にある自室を見回すと、だんだんとその強風に煽られているのか部屋のゴミが空中に円を描くように回っているのを見た。


 まるでゴミが意志を持っているかのようにグルグルグルグルと回っていて、強風もその中心部分に向かって渦巻きながら吹いているようだった。


 右から左に流れていく超強風に煽られ髪の毛はすごい事になり、顔の皮膚という皮膚はすべで左側に寄っていた。


 そしてその中心部分が光を帯びてくる。ものの数秒で目を開けることも困難なほどの光の量になるが、目をあけているかどうかすらわかってない時広にとってはどうでも良い事だった。


 家鳴りがピークを迎え、超強風もわが物顔で部屋の中を狂喜乱舞している。そして明滅する蛍光灯に飛び交うゴミ。時広の我慢も既に尽きかけていた時、まるで核爆発のように光が一気に中心部分に集まったかと思うと、そのタメを使ったかのように爆発し、ゴミが四散した。


 さきほど食していたラーメンの麺をあたまからかぶり放心状態の時広は、やっと竜巻が去ってくれた事に安堵しており、しばらく頭が付いてこなかった。


 その後1分ほど放心していたが、部屋の惨状を思い出し弾かれるように動き出した。とにかくポスターはかなり大事だ。もう手に入らないカタログの表紙の切り抜きもあったし……などと思いつつ部屋の片づけをしようとすると、とんでもない気付く。


「……なんで女の人が寝てんだ?」


 時広の万年床の上にそっと横にされたようにぐっすり眠る女性がいた。


 所々汚れているが、淡いグリーンと白のグラデーションが綺麗なワンピースを着ている。腰より長い綺麗な銀髪、光の角度によっては少し青みがかって見えた。そして完璧なる黄金比で置かれた日本人離れした顔のパーツに、シミシワ荒れなんかカケラも見られない、真珠と大理石を掛け合わせたような、白く透明感のある美しい肌。手足は長くスラッとしており、軽く10頭身はあるのではと思わせるほど顔も小さい。少しツリ目がちで切れ長な目は、今は閉じられている。


 そしてなにより目を惹くのはその長く尖った耳。まるでおとぎ話から出てきたエルフのような存在に、神々しいオーラを放つ女性を前にただ茫然とするしかない時広。


 さきほどから異常な事態が立て続けに起こっていたからか、またも時広は放心状態となり頭を抱えていた。


「どうなってんだよ……」


 そんな彼の嘆きを聞く人は、ここには居なかった。


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