御料理番等十六名の切腹
さて十左衛門切腹に伴う仕置を終えた藩主勝次はある晩、夕餉に供された吸い物の膳に丸められた紙くずを一片発見した。最初は
御料理の間で作られた御膳は藩主に供されるまで随時毒味がおこなわれる。二重三重のチェック体制をすり抜け、どのタイミングで混入した紙くずかは知らないが、それは吸い物の中に確かに存在していた。勝次は箸先を吸い物の中に突っ込んでかき混ぜ始めた。広がり始めていた紙くずをもう一度丸め込み、少しでも飲み下しやすくするためであった。だが広がった紙くずを箸先だけで再度丸め込むのは容易ではない。吸い物の膳に箸を突っ込んでぐるぐるかき回す藩主の姿を訝しんだ横井伊豆が
「行儀が悪うございますぞ」
と諫めたところ、勝次は慌てて吸い物の膳に口を付けて紙片ごと飲み下そうと試みた。しかし丸まった紙片はことのほか大きく、勝次はむせてこれを吐き出してしまった。周囲の者が慌てて勝次のもとに駆け寄ると、吐瀉物の中に紙くずが見える。
陣屋は忽ち大変な騒ぎとなった。犯人捜しの始まりである。
調理に当たった御料理番から給仕した小姓、毒味役など
後日のことである。横井伊豆は
「先般の不手際の件ですが」
と切りだして、藩主に紙くず事件の処分を復命した。
「御料理番八名、小姓五名、毒味役三名厳しく穿鑿致しましたがいずれも紙くずの混入を自白致しませなんだ。この上は十六名全てを処断するより他なく……」
横井伊豆がそこまで言うと
「処断とは」
と問う勝次。
「無論、切腹でござる」
家老はこともなげに言ってのけた。勝次は汗みどろになりながら
「待て横井。自白がないということは、その者どもが紙くずを故意に混入させたものか、過って混入させてしまったものかが分からぬということではないか。故意ならば切腹もやむを得んと余も思うが、過失ならばせいぜい謹慎が妥当な処分であろう。そして余にはどうも故意ではなく過失のように思われる」
「故意に混入させたとしたら斬首ものです。また混入して異物に気付かぬなど、それぞれの職分に照らしても切腹は免れません」
横井伊豆の言葉はまったくそのとおりであった。勝次はすかさず
「紙片にむせた如きで死ぬ余ではない。切腹などと……」
と制したが、横井伊豆は
(では何故むせるようなことになったか。何故飲み下せなんだか)
と言わんばかりの表情だ。はんしゅは言葉を継ぐことが出来なかった。
検地事業が未だ終わらない中、藩主の御膳に異物が混入していたという不祥事により御料理番、小姓、毒味役の十六名に切腹の沙汰が申し渡されたのであった。藩主勝次はあのとき、鱧肉大の紙片を汁ごと飲み下せなかった自分に責任を感じた。
翻って切腹を命じられた十六名はいずれも、先の八名の同心衆と同様、不祥事を犯したにもかかわらず切腹を命じられた(つまり家の存続を認められた)とあって嬉々として腹を切ったのであった。
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