高梁采女等の切腹
善右衛門の切腹は善右衛門の一族の者によって翌朝早く、藩主の住まう陣屋へと持ち込まれた。出仕するなり同僚の死を知った藩士達には、昨日検地奉行佐藤十左衛門が与力青木善右衛門に対して測量の遅れを叱責した件が、彼の切腹の要因として自ずと想起された。善右衛門が割り当てられていた田地の測量作業は確かに他に比較して大幅に遅れていた。善右衛門はそのことを十左衛門に叱責され、作業の遅れが十左衛門の指摘するような
善右衛門はその文中、藩主並びに検地奉行に対して測量の遅れを詫び、しかしながらそれは懈怠によるものではなく殊更精緻を心懸けたために時間がかかったものであることを弁明していた。そして同僚の
人々は
「善右衛門は懈怠ではないことを一命を賭して証明しようとした。見上げた覚悟である」
と口々に賞賛したが、善右衛門の一族とりわけその妻は夫善右衛門を叱責し切腹に追い込んだ佐藤十左衛門に強い憎悪の念を抱いた。夜遅く帰宅した夫が、どこか吹っ切れたような表情を見せたまさにその日、夫は佐藤十左衛門の叱責に接し、自裁を決意したのだと妻は思い当たったのである。
善右衛門の遺体を最初に発見したのは妻であった。夫は自分が寝ている間にそっと寝所を抜け出し、狭い庭で介錯もなく独り腹を切って果てたのだ。夫はどんなに痛く、苦しかったことだろうと思うと、夫をそのような心境に追い詰めた佐藤十左衛門に対して善右衛門未亡人は強い憤りと怨念を抱いたのであった。それだけに与力青木善右衛門の葬儀に出席した佐藤十左衛門に対する善右衛門未亡人の怨みの籠もった視線は、周囲を困惑させるほど鋭いものであったという。
しかし佐藤十左衛門とてなにも好きこのんで青木善右衛門を死に追いやったものではない。検地は藩主の命に基づいておこなわれているれっきとした国家事業だったのだ。作業の遅滞を叱責してこれを推進することは奉行として当然の任務であった。なのでそのことを知る十左衛門の周囲は、
「怨まれたとて気に病む必要はない。汝は汝の職分を果たそうとしただけのことではないか」
とこれを慰めた。
青木善右衛門の切腹という不幸も、藩を挙げての検地事業の障害とはならなかった。与力青木善右衛門の葬儀に出席し、その遺族から憎悪の視線を向けられた十左衛門は、その翌日も相変わらず与力同心を叱咤して検地を進めていた。その際、十左衛門は善右衛門のように測量が遅れがちな与力に高梁采女のやり方を伝授する目的で、采女が検地をしている様子を実検することとした。それほどまでに高梁采女の作業は進捗していたのであった。
「いつもどおりやって見せよ」
そう言ってやらせてみた測量風景を目の当たりにして佐藤十左衛門は愕然とした。
細見竹や梵天竹は傍目にも明らかに傾いていたし、基準となる目印が傾いているものだから、その間に渡す水縄も自然と傾いている。しかも縄が
「待て采女。汝は今までそのようないい加減なやり方で測量していたのか」
十左衛門の怒りは当然であった。切腹した青木善右衛門は百姓があからさまに顔をしかめるほど精緻な測量を心懸けていたのである。しかし高梁采女のそれには精緻さのかけらも見受けられなかった。正確な測量と呼ぶにはほど遠く、奉行によって検地結果に差が出るような取扱いが村々の間に知れ渡れば大変な問題に発展することは火を見るより明らかであった。藩政の公平性に疑念を抱かれれば一揆という事態を引き起こしかねない。一揆となれば場合によっては幕府より改易を言い渡されかねない大問題であった。
そのことを知る十左衛門の怒気を含んだ詰問に対し、高梁采女は早くも大汗をかきしどろもどろである。
「申し訳ございません。自分の割り当て分をこなすのに必死でこのように致しました」
采女の弁明に対し、十左衛門は百姓や同心衆が見ていることも忘れ高梁采女を何度も
その晩、高梁采女もまた自邸にて腹を切って果てた。遺書には不正確な測量をしたことを詫びる文言の他、同心衆、百姓達の面前で打擲される堪え難い恥辱を受け、自裁を決意した旨が記されていた。高梁采女も青木善右衛門と同様、介錯なしでの切腹を遂げたのであった。因みに高梁采女の派遣元である町方では、奉行本田清左衛門が高梁采女の不手際を知って自裁に及んでいる。
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