第182話何故裏切ったドラホン

 




「ドラ……ホン……?」


 アラベドが名を呟きながら顔を後ろに向けると、ドラホンは出逢った時から今まで一度も見たことがない……深海のような暗く冷たい顔をしていた。

 ズザッ!とドラホンが腕を引き抜くと、アラベドは血反吐を吐きながら地面に膝を着く。


「ゲホッ……これは……なんの冗談だい?」


 何が起こっているのか未だに分からず驚愕しているアラベドが問いかけると、その後ろから大きな嗤い声を上げながらやってくる者がいた。


「はっはっはっはっは!!冗談も何も、起こったことが真実ですよ!!貴方の大切な部下であるドラホンは、貴方を裏切って主人に牙を向けたのです!!」

「貴様……帝国の『裏蛇うらへび』か!!」


 アラベドが突きつけると、新たに現れた者は黒縁眼鏡を押し上げ「ご名答」と告げる。軽薄な笑みを浮かべながら、自身の名を言い放った。


「私は帝国軍蛇黒騎士団団長、『裏蛇』のスレインと申します。以後お見知りおきを、遊王アラベド」


 胸に手を当て頭を下げつつ、きざったらしく自己紹介するスレイン。

 彼は薄紫色の前髪を掻き上げると、心底面白そうに口を開いた。


「貴方が今考えていることを当ててあげましょうか?“何故裏切ったドラホン”……でしょう?」

「……」

「良いですねぇその顔。美しいエルフの顔が屈辱に塗れる姿はいつ見ても最高です。ではドラホン、貴方の主人を裏切った理由を教えて上げなさい。なんなら私の口から説明しましょうか?」


 そう聞いてくるスレインに、ドラホンは「いえ」と断ると、アラベドを見下ろしながら自ら口を開いた。


「アラベド様……貴方は一人の竜人のことを覚えていますか?貴方が……いやお前が殺した竜人のことをッ!!」

「僕が殺した……竜人?まさか彼のことを言っているのか……緋色の竜人、ドラグノフのことを!?」


  憎々し気に言うドラホンに、アラベドは記憶を呼び覚まして思い当たる竜人の名を告げる。その瞬間、ドラホンの両目がカッと見開いた。


「そうだ。そしてお前が殺したドラグノフは、私の唯一の兄だ」

「な……んだって。ではまさか、彼を殺した僕に復讐する為にこんな真似をしたのか?」

「ああ、その通りだ。お前が遊王軍団の幹部の地位欲しさに、私の兄を闇の力で暴走させ殺したんだろ!!兄の復讐をするために、この日が来るまでの二十年、俺がどんな思いをしていたかお前には分からないだろうな!!」

「待ってくれドラホン!君は勘違いをしている!確かに彼を殺したのは僕だが、彼が闇の力で暴走したのは別の要因なんだ!!」

「おっと、兄を殺した悪魔などの戯言に聞く耳を持ってはいけませんよ。彼はああやって言い逃れをするつもりなんですから」

「分かっている」

「スレイン貴様、ドラホンに何を吹き込んだ!!」


 アラベドが怒号を立てるが、スレインはどこ吹く風といった様子で、


「別に私は何も言っていませんよ。ただ真実を彼に伝えただけです」

「貴様ぁ!!……ぐっ!?」


 立ち上がろうとしたアラベドだったが、身体に異変が起きて上手く力が入らない。それどころか、魔力の伝達も狂っている。

 一体自身の身体に何が起こっているんだと疑問を抱いていると、背後から妖王の声が聞こえた。


「ふっ、やはりエルフの血に含まれている魔力は純度と濃度が凄まじいな。消滅寸前の身体がすこぶる調子が良いぞ」

「何故……貴方が立っている……」


 後ろを振り返ると、今までゴミの塊だったザラザードの肉体が完全に元に戻っている。回復した姿を目の当たりにして驚愕するアラベドに、妖王は上機嫌に口を開いた。


「今さら何を驚いている。我輩は血を操る魔族の中でも最上級の生物だぞ。一度ひとたび血を出させてしまえば、このように貴様の血も容易に操ることが出来る。まあ、これまでは傷一つつけられず無様な姿を晒していたのだがな。だが、傷をつけさえすれば我輩が勝てぬ者などいない。ほら、このようにな」

「うぐッ!?」


 ザラザードが右手を掌握させると、アラベドの身体が突然高熱を発し、暴れ出すかのように血流が動く。

 恐らくザラザードが能力によってアラベドの血液循環を操作しているのだろう。心臓が激しく鼓動し、息をするのも困難な状態に陥ってしまう。

 さらに魔力の制御が上手くいかず、原獣隔世も維持できず強制的に解かれてしまった。


「ほう、血管を爆発させてやろうとしたが、魔力で抑えているのか。流石と言っておこう。だが、これでもう貴様はまともに動くことも出来まい」

「ぐっ……あぁ!」

「ではドラホンさん、後は貴方に任せます。兄の仇を取って下さい」

「お前に言われなくてもそのつもりだ」


 誘導するように言ってくるスレインを一蹴すると、ドラホンは地面に這いつくばって苦しそうに呻いているアラベドの顔を蹴り上げた。


「ガッ!!」


 転がるアラベドを踏みつけると、ドラホンは憤怒の表情を浮かべながら口を開く。


「苦しいか?だがお前に殺された兄さんの苦しみと痛みは、こんなものではない!!」

「ぁがあああああああああああああッ!!」


 貫通している腹を踏み潰され、絶叫を上げるアラベド。

 そんな彼に、ドラホンは問いかけた。


「何故ドラグノフ兄さんを殺した!?何故兄さんに闇の力を盛るという非道な真似をしたのだ!?そこまでして魔王の幹部の地位が欲しかったのか!!?」

「ぁ……が……」

「答えろアラベド!!」

「今の君に……真実を……言っても、信じはしないだろう。なら、僕の口から伝えることは……何もないね」

「アラベドオオオオオオ!!!」


 兄を殺した理由を語る気のないアラベドに激昂したドラホンは、アラベドの首を鷲掴んでガッと持ち上げた。


「逃げるのか!?言え、真実を言うんだ!!」

「……」

「無粋な真似はするな裏蛇、折角の余興を邪魔するでない」

「……それもそうですね」


 アラベドが真実を口にする前に、アラベドと、最悪ドラホンの両方を始末しようと魔力を高めるスレインに、ザラザードが口をはさむ。

 了承したスレインは成り行きを見守ることにしたが、いつでも殺せる準備だけはしておく。


(まぁ、今更何を言ったところで私の能力が打ち破れる筈もありませんか。ですが、念には念を……ね)


 20年掛けてドラホンにかけた暗示がそう易々と解かれる筈はないが、万が一の可能性もある。最悪を想定して用意することに越したことはない。


 憎しみに塗れた瞳で睨んでくるドラホンに、アラベドは悲し気に問いかけた。


「ドラホン……僕に仕えてから20年、君は本当によくやってくれた……僕達の20年は、本当に偽りだったのかい?ずっと、僕を憎み続けていたのかい……?」

「ああそうだ、何度お前を殺したいと思ったか数えきれないほど憎んでいた。その思いを隠すために、アホでマヌケな『ドラポン』を演じていたんだ!!それがどれほどの苦痛だったかお前に分かるか?だが俺は演じ切ることを誓った。カッコよくて優しく、竜人族……いや俺の誇りだったドラグノフ兄さんを卑劣な真似で殺したお前に復讐する為になぁ!!」

(そうか……そこまで僕を憎んでいたのか。僕は愚かだ……ずっと一緒に居た筈なのに、彼の気持ちに気付いてやれなかった……ごめんよ、ドラホン)


 心の中で懺悔するアラベドは、こちらを投げながら愉しそうに嗤うスレインに視線をやって、


(僕の予想では、ドラグノフに闇の力を仕込んだのも、ドラホンに色々と吹き込んだのもスレインの仕業だ。なんて恐ろしい男だ……20年も前からこの時の為に動いていたのか)


 ドラグノフとの決闘を知っている者は当時魔王だったアモンとアラベドとドラグノフの三人だけ。遊王軍の中でも秘匿されていた情報が何故スレインが知っているのか定かではないが、奴は決闘について詳しく知っている。

 それを自分の都合のいいように情報、もしくは音声や映像も改竄かいざんしてドラホンに教え、アラベドを憎むように仕向けのだ。

 20年前といったら人間のスレインはまだ若いだろうが、その頃からこれだけの準備をするなんて。


 だがそれでも、アラベドがドラホンの心の中に隠していた憎悪に早く気付いてやれば、こんな結末にはなっていなかった。全ては、自分の不甲斐なさにある。

 アラベドは、いつもの優しい笑みを浮かべがらドラホンに告げた。


「ずっと君を苦しめてしまい、すまなかった。僕を殺して少しでも君の憎しみが晴れるなら、君の手で殺しておくれ」

「言われなくてもそのつもりだ!!」


 アラベドは瞼を閉じ、自分についてきてくれた仲間達の顔を思い浮かべながら謝罪する。


(みんな、ごめんよ。あの世で会ったら、ちゃんと謝るから)


 大将であるアラベドが死んでしまったら、遊王軍の敗北は決定し、部下達は全員殺されてしまうだろう。自分を追い詰めた狡猾なスレインが、遊王軍の魔族に温情を与えるはずがない。

 かといって、血を操られ命を繋ぐのに精一杯なアラベドが出来ることは、ドラホンの手で死ぬことだけだった。


「さあ、トドメを刺せドラホン」


 スレインがそう言うと、首を掴んでいるアラベドの手がぎゅっと締められる。

 徐々に力が加えられ、アラベドの首がゴキッっと折れる。


















 ――ことはなかった。



「何やってんですかアンタはああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「グオオオッ!!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る