第153話幕間 秋津駿太1

 




 ――僕はイジメられる側の人間だ。



 身体は小さく貧弱で、性格は気弱で人と話すのが苦手なコミュ障。

 運動神経が無くてスポーツも駄目、かと言って勉強が出来る訳でも無い。誰かより得意な事や秀でているモノが一つとしてない。


 部活も入ってなくて、家に帰ってアニメ見たり漫画やラノベを読み、たまに性欲を発散する為に同人誌でヌく毎日。


 そんなクラスカースト最底辺の僕――秋津駿太がイジメの標的にされるのは致し方ないと、もう何もかも諦めた。


「おい秋津、俺達これから用事があるからよ、日直代わってくれよ」


「なぁ秋津、宿題やっといてくんね?頼むよ」


「は?口答えすんじゃねえよ、お前は黙って俺達の言う事聞いてりゃいいんだ」


 中学の三年間。

 クラスカーストが高い連中にイジられパシリにされ続けた。怪我が見えにくい箇所を殴られたり、筆箱や上履き等の物を隠されたりした。彼等も流石に問題になるのだと判断したのか金銭的なカツアゲはしなかったけど、それに近い事はあった。


 怖かった。

 クラスメイトは助けてくれず見て見ぬふり。先生に助けを求めてイジメを訴えても、気の所為だろと一言で終わらせて知らぬ存ぜぬの冷めた対応。

 実の親ですら、自分の力で解決しなさいと言って放置だった。


 誰も、誰も助けてくれなかった。

 不登校にならなかったのは家にも自分の居場所が無かったからだ。だから我慢して我慢して、僕の人生はこんなもんだと諦めて、苦痛しかない中学を耐えて漸く卒業を迎えた。


「秋津……だっけ。今日からお前、俺達のパシリな」

「えっ……あ、はい」


 高校になっても生活は一変しなかった。

 入学早々、中学で悪い噂が絶えない不良ヤンキー九頭原くずはら 雅人まさとに目をつけられ、問答無用でパシリになってしまった。


 やらされている事は中学時代と変わらない。

 お昼休みに彼等のパンを買いに行き、声をかけられて自販機に飲み物を買いに行き、彼等の宿題や掃除等の雑務を彼等の代わりに僕がする。


 意外な事だったのは、九頭原達は見た目に反して暴力をしてこなかった事だ。イライラしている時は憂さ晴らしで殴られるんじゃないかと日々脅えていた僕だったけど、彼等は何故か暴力だけはしなかった。

 まぁ、もし九頭原から暴力を受けたら僕は即病院行きだろうけど。


 一九十近くの身長で体格もガッシリしている九頭原は見た目通りに喧嘩が強い。噂によると、他校の生徒十人に囲まれても勝ってしまったそうだ。その上顔もヤンキー寄りの男前だから、ギャルとかに人気がある。


 兎に角そんなヤバい奴に目をつけられた僕は、黙って彼等の操り人形と化していた。

 勿論周りは見て見ぬ振り。先生だって無視を決め込んでいた。

 誰も、誰だって、九頭原 雅人と関わりたくなんかない。もし僕が向こう側の人間だったら、絶対に助けようなんて思わないだろう。下手に関わってしまって、ターゲットが自分になったらタマったもんじゃない。


 だから仕方ない。

 この酷く惨めで哀れで惨酷な日常が、卒業まで続くんだ。


 ――そう思っていた。


 高校二年生の春。

 影山 晃君と出会うまでは。






「なぁ九頭原、それ止めねぇか」


 教室の空気が凍った。


 楽しい昼休み。

 ご飯を食べ終え、思い思いに談笑したり寛いでいたクラスメイトやこの教室にいた生徒全員が、一斉に窓側最後列に視線を向ける。


 視線の先には、机の上に大仰に座る九頭原と彼の取り巻き達、そして僕。

 九頭原の眼前には、無表情の影山君が立っている。


 ――お前何してんだよ。

 ――下手に関わらない方がいいだろ。

 ――あーあ、アイツ終わったな。


 口に出さずとも読み取れる。クラスメイト全員の顔に、そんな言葉が書かれている事ぐらい。


「ああ、影山っつったっけ。お前の言う“それ”って……何?」


 機嫌を悪くした九頭原がメンチを切りながら尋ねる。すると影山君は、僕を横目に捉えながら口を開いた。


「お前等揃って秋津をパシリにしてるよな。最初は友達同士の馴れ合いかと思って見過ごしてたけど、どうも違うみたいだし」

「だから?」

「秋津へのパシリを止めろって言ってんだよ」

「……ッ!!」


 言った。ついに言ってくれた。

 クラスメイトも、先生でさえも見て見ぬ振りをしてきた僕へのイジメ。

 誰も、親でさえも助けてくれなかったのに。

 彼は、影山君は僕が一番言って欲しい言葉を言ってくれた。僕を助けようとしてくれた。


 その事実に胸を打たれていると、九頭原の取り巻き達が突然ゲラゲラと嗤い出した。


「何お前良い子ちゃんぶってんの、ひひひ」

「正義のヒーロー気取ってんじゃねえよ気持ち悪ぃ」

「ってかお前さぁ、空気読んでくんない?誰も今まで俺等に意見する奴いなかったよなぁ。今そういう空気なの、分かる?」


 ゲラゲラと思う存分嗤った後、彼等は顔を顰めて影山君を責め立てる。さも自分達が正しいと言わんばかりに。

 険悪なムード。誰もが目を瞑りたくなる光景。その渦中にいる影山君は、今までと変わらず無表情のままこう答えた。



「お前等は何の話をしているんだ?」



 ピキリと、再び教室の空気が冷たく凍った。


「何で急に良い子ちゃんとか正義のヒーローとかが出てくるのかが分からねぇな。俺はただ秋津のパシリを止めろと言ってるだけだ」

「……おいテメェ、あんま調子に乗――」


 ついにキレてしまった取り巻きの男子が影山君に迫ろうとすると、九頭原が男子の肩に手を置いて止めてしまう。

 男子が驚いて彼を見やるも、九頭原は影山君に質問した。


「お前には関係ねえだろ」

「関係はあんだろ」

「ああ?じゃあ秋津のダチか?」

「友達ではないな。まともに会話した記憶もねえ」

「じゃあ何でお前が出しゃばってくんだよ」

「そういうツマんねー事してるのを見てると胸糞悪くなって吐き気がすんだよ。だから止めろって言ってんだ」

「ああ!?」


 九頭原の声が大きくなり、表情も一層険しくなる。彼は机から降りると、ガバッと影山君の胸ぐらを掴んだ。


「お前調子に乗り過ぎな。潰すぞ」

「何でそうゴフッ」


 影山君の身体が九の字に折れ曲がる。

 九頭原が右手で彼のお腹を殴ったんだ。それもこれ、本気のやつだ。

 教室のあちこちで悲鳴が上がる。

 間近にいる僕も、本物の暴力を目の当たりにして息を呑んだ。


 もし今殴られていたのがボクだったらと思うとゾッとした。身の毛がよだち、恐怖に心が縛り付けられる。

 絶対に九頭原には逆らってはいけないと再認識した。


 ――その時。


「痛えな、おい」

「……マジかこいつ、雅人ちんの一発耐えんのかよ」


 取り巻き連中が狼狽る。

 九頭原から殴られた影山君は姿勢を正し、軽口を叩くともう一度九頭原を見上げる。それどころか、ガッと右手で九頭原の胸倉を掴み返した。


 そして、彼はこう告げる。



「こっちの都合を押し付ける訳だから、一発は我慢してやる。ただ、これ以上は違う」

「…………ッ」

「お前がやるってんなら俺もやる、いいよな?」


 その台詞に、僕等はヒッと息を呑んだ。

 九頭原のように大声を出してる訳ではない。

 九頭原のように顔を怒りで染めている訳ではない。


 淡々とした声色で、無表情の真顔な筈なのに、言葉に出来ない迫力が影山君にはあった。

 いや……気付いた。

 何故こんなにも僕等が彼を脅えるのか。


 目だ。


 影山君の瞳の奥に、得体の知れない狂気を感じた。その目を見ると蛇に睨まれた蛙の如く身体が竦んでしまう。


 “これ”には逆らってはいけないと、本能が警鐘を鳴らし続けていた。


「おいお前達、何してる!」


 そんな緊迫した状況の中、他の生徒が呼んできたのだろう。先生が教室に入ってきた。

 この場にいる誰もが助かったという安堵の表情を浮かべながら先生に視線を向ける中、影山君だけは九頭原を見上げたまま微動だにしない。先生の登場などまるで意に介さない。


「……」

「……」

「チッ、分かった。秋津にはもう手を出さねぇ。だからその手離せや」


 九頭原から言質を取った影山君はスッと右手を離した。


「おいお前等、何があった」

「何でもねぇよ、ただじゃれてただけだ。行こうぜ」


 先生に問い詰められるも、九頭原は無視して取り巻き達を連れて教室を出て行ってしまう。

 ならばと影山君に状況を聞くも、彼も「何もありませんでした」と告げて席に戻ってしまう。本人達が何も無いと言うのなら、これ以上問い詰める必要もない。先生は小さく安堵の息を吐くと、教室を去って行った。


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