少し歪んだ掌編小説集
中川葉子
紐づくもの
生まれて初めての喫煙は、栄えた街の駅前喫煙所にしようと心に決めていた。二十歳の誕生日、何を買えばいいかわからず、駅前の煙草屋の親父にぼくは言う。「かっこいいやつください」親父は少し考えるようなそぶりを見せて、アメリカンスピリッツを僕に手渡す。深い青色のパッケージにインディアンが刻印されている。タールが12mg。ニコチンが1.5mg。僕にはきついのかどうかもよくわからず、ターボライターと共に会計を済ませる。
僕は煙草のフィルムを開けながら、喫煙所に向かう。全然人はおらず、髪の長いハンチング帽を被った女性が寒そうに煙草をふかしているだけだった。
僕はその人をなんとなしに見つめながら煙草を右手で持ち左手でライターをつける。そして煙草を咥えるが全く煙が入ってこない。火種も燻らない。首を大きくかしげると女性が静かに近づいてきて、紫煙を吐きながら笑顔で僕を見る。
「煙草初めて? 煙草はね。口に咥えた状態でライターで火をつけて吸い込むの。だったら煙が出るからやってみて?」
「あーありがとうございます」
僕は女性に言われた通りに煙草に火をつける。口の中になんともいえない味が充満する。僕はそのまま紫煙を吐き出した。僕を見て女性は楽しげに笑う。
「それだったら金魚よ。深く吸い込んで肺に入れなきゃ、喫煙者に馬鹿にされるわよ。ねぇあなた、少し話さない?」
彼女はそう言い煙草を咥えたまま、僕を引っ張って近くの喫茶店に入っていく。
「私は志賀。喫煙者よ。自己紹介は以上。あなたの名前は?」
「ぼくは司波……今日初めて……」
肩を強く揺すられ気がついた。ぼくは白昼夢を見ていたようだ。目の前には喫茶店を背に座る志賀ではなく彼女になった志賀が一緒に座っている。
「どうしたの?」
彼女が眉と眉の間を指でかきながら、僕に聞く。彼女は眉と眉の間をかくときは大抵焦っている。僕は煙草に火をつけ紫煙をくゆらせながら、彼女の目を見る。
「いや、少し懐かしい記憶を視ていたんだ」
「懐かしい記憶? まぁいいわ。それでどうする?」
「なんの話だっけ?」
アメリカンスピリットの味が脳内に染み込むように、溶けていく。様々な記憶が蘇る。
「禁煙する話よ。一緒に禁煙しよう?」
僕の脳裏に遊園地の喫煙所で、映画を観終わった後の喫煙所で、植物園の喫煙所で、都会に遊びに行って命からがら見つけた喫煙所で、君と微笑み会話する情景が走馬灯のように浮かぶ。
僕はその景色を見ながら目の前の女性に言う。
「君はやめるの?」
目の前の女性は頷く。途端に目の前に座る女性が誰なのかがわからなくなる。僕は灰皿に煙草を押し潰し、新しい煙草にもう一度火をつける。
「出会いは煙草だった。記憶にも煙草が紐ついている。煙草をやめたら僕らの記憶はどんどん消えていく。君は誰だ? 本物の君はどこに行った?」
僕は必要最小限の荷物をまとめ、女性と5年同居した部屋を後にした。そうだ駅前の喫煙所に行こう。君がいるかもしれない。
胸元でスマートフォンがバイブする。名前は書かれているがこれは偽物の女だ。僕は本物を探しに行く。
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