仕事の学び方

どらぽんず

就職したばかりで成果を出すのは無理っす


「おまえさあ、なんでここに呼ばれたのか、理由わかってる?」


 パーティションで区切られた狭い会議室の中、小さなテーブルを挟んで向かい合う上司が渋い顔で、溜息交じりに問いかけてきた。


 ――理解している。充分に理解しているとも。


 ああやだなぁと、そう思いながら一度生唾を飲み込んで、なんとか口を開いて、


「……ノルマの件、ですよね?」


 それだけをなんとか口にした。



                   ●



 大学を卒業して、就職活動におけるお祈りメール地獄を乗り越えた先に辿り着いた仕事が営業職だった。


 営業には一月いくらのノルマがあって、その数を達成するために日々追われる毎日を送る羽目に陥っていた。


 ……毎日まじめに頑張っている、つもりだった。


 それでもノルマが達成できない人間は、こうして個人的に呼び出されて叱責されるのだった。


「あのさぁ――」


 上司は長い溜息を吐いて、苛立ちの滲んだ声を漏らした。


 そこから先はひたすら罵倒が続くのだった。


 数字が達成できないことに対するお叱りから始まり、普段の勤務態度を詰る過程を経て、ついには人間性を否定する単語が出始めるわけだ。


 ――ここで文句を言っては、この時間が延びてしまうだけだ。


 経験上、そんなことはよくわかっていた。だからひたすら耐えて、耐えて、上司が満足して去っていくのをただ待つことしかできなかった。


「――!」


 こちらが俯いて耐えている間に、満足した上司は捨て台詞のようなよくわからない大声を出した後で席を離れていて。

 会議室の扉を勢いよく閉じて去って行った。


 ばたん、という大きな音にびくりと体を震わせた後で、大きな溜息を吐いた。


「……うまくいかないなぁ」


 就職難の中、ようやく決まった就職先だった。


 初めての就職で、しかも営業職だったにも関わらず、特に教育など受けられないまま、飛び込みの営業を任されてしまった。


 ――やり方なんてわかるわけもない。


 だけど、何かをしなければ、いや、したとしてもこうして自分を否定される毎日だった。


 ……その上で貰える給料も安いときたもんだ。


 仕事を続けるモチベーションなど沸くはずもなかった。


 ……マゾにでもなれば楽になるのかねぇ。


 なんて思いながら、社屋の外、敷地内でも人がこなさそうな建物と建物の間で自販機で購入した缶コーヒーを飲んでいると、


「お、先客がいたのか」


 なんて声かけをしながら、同じ課の先輩社員がやってきた。


 手にはタバコの箱と百円ライター、そして携帯灰皿があった。


 最近の禁煙風潮にあてられて、我が社でも喫煙スペースを置かなくなっている。


 こういう場所は、そうやって追いやられた喫煙者の憩いの場になっているのだろうか。


 ……人に会いたくなかったのに。


 失敗したかなぁと思いながら、会釈だけを返して視線を外すと、


「タバコ、吸っても平気かい?」


 視界の外で、彼がこちらにそんなことを確認してきた。


 律儀な人だなと思いながら、視線を合わせないまま応じる。


「大丈夫ですよ。お気になさらず」

「悪いね」


 彼は嬉しそうな声音でそう言うと、かちっと音がして、視界の隅に白い煙が見えて、鼻を刺すような臭いが漂った。


 ――無言の間が落ちる。


 よく知らない人と空間を共有するのは、苦手だった。


 さくっと飲んで戻ってしまおうかと思ったところで、声がかかった。


「随分と落ち込んでんなぁ。なんだ、呼び出しでもくらったか?」


 一瞬、自分に声がかかるとは思っていなかったら反応が遅れてしまったが、なんとか頷きを返す。


「ええ、まあ。なかなか数字が達成できなくて」

「あー、面倒だよなぁ。この仕事はそういうもんだけどな」


 けたけた笑う彼に、なんだか親しみらしき何かを感じて、勢いのまま聞いてみた。


「コツとかってあるんですか?」

「ん? 数字をとるコツってこと?」

「ええ、はい。そうです」

「飯のタネだぜ。そうそう教えるもんでもないだろ」

「ですよね」


 笑って、聞いてみただけですと続けようとしたところで、


「……いやまあ、いいか。出来るかどうかは知らんが」


 彼は予想外にもそんなことを言った。


「いいんですか?」

「みんなやってることで、まぁあまり褒められた方法じゃあないがな。

 もう俺辞めるし、教えたところで不都合ないから」

「え、辞めるんですか?」

「田舎に引っ込むの。正直次を探すのが辛いんだけど、親がちょっとなぁ。

 ――ってまぁ、俺のことはいいんだよ。コツの話だろ、メインは」

「ああ、まあ、そうですけど」

「言っても、大したことじゃない。そして褒められた手法じゃあない。

 簡単なことだよ。一人暮らしの爺婆を狙うんだ」

「なんでです?」

「金を持ってるから。金を持ってなくても、一人暮らしだと親密になりやすく、騙しやすいから。

 もっとうまくやるやり方や、真っ当なやり方なんかも色々いるだろうが、そういうのは長く続けて見つけるか、向いてるやつが自然とやってるような奴だ。

 手っ取り早く数字をあげるなら、狙うのはやっぱり爺婆だよ。ハードルが低い。イージーモードってやつだ」

「はぁ」

「あとは、契約の説明をするときには、不都合なところは可能な限り説明をしないことだ。

 ただひたすら、その契約をすることで起こるだろう良いことだけを並べる。

 一般的な意味で誠実である必要はない。

 聞かれたことに嘘を言うのはどんな場合でもやっちゃいけないことだが、聞かれなかった、契約者にとって不都合な事実は言う義務もない。

 相手を乗せること、それが一番大事なのさ。

 まぁ最初に言ったが、出来るかどうかは人による。何事もそうだがな。試してみたいなら試してみればいい」

 そう言って、彼はタバコを吸い切ると、携帯灰皿に吸殻を放り込んで、

「じゃあ、俺は行くわ。精々がんばんな」


 最後にそう言い残して、この場を去って行った。


 あまり関わったことはなかったが、随分と気のいい先輩なんだなと思った。


 ――そして後日。

 実際に彼は職場から姿を消した。



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