それでも、のこされた者は生きねばならぬのです。
天岸日影
それでも、のこされた者は生きねばならぬのです。
テセウス船という言葉がある。
船は何度も航行し、そして何度も修理される。それが延々と続き、ついには全ての部品が入れ替わってしまったとき、果たしてそれは元の船と言えるだろうか……そんな問いを指している。
では人間はどうか。その肉体は常に新陳代謝し、人体を構成する物質は常に入れ替わっている。10年もすれば、ほとんどの物質はすっかり入れ替わってるとも言われる。
では、物質が入れ替わっても俺を/お前を/アイツを、個人たらしめるものとは何か。
それは構造である。
構造の持つ情報である。
物質が入れ替わろうとも、それでも変化しつつも維持される構造の上に載せられた情報こそが、個人を形作っている。
存続する情報こそが、個人の生だ。
では死とはなんだろう。
それは構造と情報の喪失である。
例え同じ物質で構成されていようと、風化すればそれは生ではない。
……では肉体が失われたとき、それは完全なる死を意味するか。
いや、それは違う。
もし個人を形作るものが情報であるならば、当人の体の外に在る情報も、また個人の一部ではないか?
アイツの作った作品、写った写真、遺した言葉、そして俺の/お前のなかの記憶。
それらすべてはアイツの情報だ。
例えそれが失われた肉体の保有していた情報からしたら微々たるものであったとしても、それは部分的な生とは言えないだろうか?
大切な人を失ったとき、悲嘆にくれ、大穴が空き、世界を恨む。
あるいは、自分自身をも厭い、消え入りたいと願うかもしれない。
だが、俺の/お前のなかの記憶、それがまさにアイツの生である。
喪失の悲しみは、寒空の雪となって心に降り積もるだろう。
それでも/であるからこそ、のこされた者は生きねばならぬのです。
それでも、のこされた者は生きねばならぬのです。 天岸日影 @uton
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