第2部 彼女にイベント・ホライズン 8章 0次元の母なる宇宙
8-1. 56億7千万年の袈裟斬り
ここにきて俺は、漠然と感じていた違和感が決定的になるのを感じていた。
クリスと出会ってから、想定外の事が次々と起こり、今、まさに大団円を迎えたわけだが……あまりにも出来過ぎだ。現実離れしすぎている。
もしかしてこれらは全部夢か、とも思ったが、夢にしては長すぎる……。
では、誰かの筋書き通りに踊らされているのか? しかし……、誰が何のために?
俺はモヤモヤとした思いの中、眉間にしわを寄せながら、参列者をボーっと眺めていた。
と、その時、いきなり時間が止まった。
舞い散る花びらはピタッと静止し、音楽の演奏も静寂に飲み込まれ、みんなもマネキンになったかの様に、微動だにせず、全てが凍り付いた――――
俺が呆然としていると、後ろから靴音が近づいてきた。
カツ、カツ、カツ……
誰かと思えば修一郎だった。スーツに身を包み、にこやかに近づいてくる。
いつの間にやってきたのか……
「しゅ、修一郎……お、お前がこれをやったのか!?」
俺は、冷や汗をかきながら声をかけると、
「やぁ、誠さん。僕は
そう言って、修一郎っぽくない爽やかさで微笑んだ。
「オ、
「そう思ってもらっていい。誠君、君は4層もの
なんと、この世界で一番偉い人が出てきてしまった。
予想外の展開に俺は心臓が高鳴る。
「あ、ありがとうございます。たまたま運が良かっただけだと思います」
「ふふっ、謙虚なんだね」
「4層とおっしゃいましたが、この世界は何層で出来ているんですか?」
好奇心が抑えられず、思わず聞いてしまう。
「見てもらった方がいいかな?」
そう言うと、
「仮想現実空間の入れ子構造を、樹木の枝に模して表現したのが、この世界樹だよ。君たちの地球があそこの枝の花。一万個の花を支える枝が海王星、その一つ根元が金星、さらに根元が水星、一番下の根っこが僕の星だ。文化と生命活動が盛んなのは末端の星、だから丁度満開の桜の樹のように、末端が咲き誇り、輝くんだ」
宇宙空間に浮かぶ雄大な桜の樹が、俺たちの世界の全てを表している。それは暗闇の宇宙を照らすイルミネーションの様に美しく輝き、煌めく命の営みがそのまま心に伝わってくるかのような、荘厳な景観だった。どこからともなく桜の花の香りが漂ってきて、俺はすっかり魅了された。
「世界は庭木の様に、伸びては切られを繰り返し、たまに接ぎ木の様に移植もされるから、一直線の単純な構造ではないけど、56億7千万年かけてトータルでは一万層くらいは作られている」
俺は壮大なスケールに圧倒された。世界樹は56億年かけて育った巨木という事らしい。しかし、気になるのは切られる事。切られるという事は星が消滅させられるという事、実に深刻だ。
「やはり切られちゃうんですね……。切られちゃった所はどうなってしまうんですか?」
俺は恐る恐る聞いてみる。
「マインドカーネルは回収し、うちのマインドプールに繋ぐから、魂が消される事は無い。そこは安心していい」
「そ、そうなんですね……良かった。星の数はこの位が上限って事なんでしょうか?」
「そうだね、母星の容量に上限は無いが、幹の星たちの計算リソース、エラーやバグを考えると100万個程度が上限だろう」
どうもエネルギーの問題ではない様だが上限はあるらしい。
「母星はどういう所なんですか?」
「あはは、何にもないよ。巨大なコンピューターが延々と並んでいるイカれた機械の星さ。生きてる人なんて私しかいない。後はAIたちが黙々とコンピューターをメンテしてるくらいさ。妻なんてあれになっちゃったし」
そう言って
「えっ? あれは奥様なんですか?」
「もちろん、人型に戻ろうと思えば戻れると思うよ。でも、世界樹が気に入ってしまったらしく、もう何十億年も樹のままさ」
すると、世界樹が風を受けたかのように、ゆさゆさと揺れた。
こちらの様子を見てるらしい。
すべての星のマインドカーネルとつながって、その喜怒哀楽の光を枝先に付けて宇宙を照らす存在……確かに、生き方としては最上級の部類に入りそうだ。少し羨ましく思った。
「それにしても世界がこんな構造をしていたなんて、全然知りませんでしたよ」
俺は、神々しい世界樹の放つ光に、心奪われながら答えた。
すると
「まぁ……そう思うのも無理はない……か。さて、儀式の時間だ……」
低い声でそう言うと、胸の前で指先をツーっと動かして空間の切れ目を作った。
何をするのかと見ていると、
俺が
「これは聖剣『
そう言って、聖剣にそっと顔を近づけ、ゆっくりと撫で、刃の具合を確認する。
そして、納得したようにニヤッと笑った。
「血? 俺の血……ですか?」
何だか面倒な事になってきた。
「さぁ、儀式の始まりだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺を斬るつもりですか!? 何のために?」
俺は焦って後ずさりながら言う。
「何のため? 56億7千万年前に、そう決められたんだ……。ここで誠君を斬る……ってね」
全く支離滅裂な説明に、俺は絶望した。狂ってる。俺はまだ生まれてから28年しか経ってない。なぜ、56億7千万年前に俺の話が出るのか?
俺はダッシュした。狂人からは逃げるしかない。全速力で駆けた……が、そんな俺を
「どこへ行こうというのかね?」
「うおっ!」
俺は急停止し、肩で息をしながら
「はっはっは、距離などこの空間では無効だよ。」
俺は逃げられないと観念した。
「斬るなんてやめましょうよ、何でもしますから……」
俺は必死に手を合わせて拝む。
「まぁ、そうだな……、私自身、最初の数万年ですっかり待ちくたびれて、儀式なんてどうでもよくなってたんだ。だから君の事などとっくに忘れてた、というのが正直なところさ……。それだけ56億年という時の流れが永遠だった、という事でもある。でも、ついさっき『4層もの
思い出しついでに、人を斬るのか? 頭いかれている……
「忘れてたくらいならスルーしましょうよ」
俺は何とか穏便に済ませようとするが……
俺は素早く横に避け、距離を取りながら必死に
「俺は28歳だぞ! なんで56億年前の話題に出るのか? 狂ってる!」
「誠君……、過去はね、未来の人が決めるものだ」
おかしな事を言い出した。
「何バカな事言ってるんだ! 過去を変えられる訳がない!」
「確定した歴史についてはそうだ。だが、未確定の過去は無限の可能性の
「混沌……?」
「誠君もよく知ってる二重スリットの実験があるだろう。飛んでくる粒子の軌道が、観測すると変わってしまう奴」
確かに極微小な世界では時間の流れがおかしいが、それはあくまでも原子とか電子の話だ。
「そんな実験と、56億年前の話とどう関係があるんだ!」
「……、やっぱり斬った方が早いな」
「止めましょうよ……うわっ!」
左手に剣が当たり、腕時計のG-SHOCKが砕ける。
ダメだ、本気で俺を殺すつもりだ。
「止めろ――――!!」
俺の叫びは届かず……
なすすべなく俺は
斬られる瞬間、スローモーションのように、全てが鮮明にゆっくりと感じられた。肩口に入った刃は俺の筋肉、肋骨、内臓を次々と切り裂きながら俺を壊していく。切り口から焼けるような痛みが伝わり始める。
しかし、斬られながら俺は、不思議と頭はクリアだった。そして、刃が心臓に届いたとき、俺は全てを悟ったのだった。
◇
聖剣『
俺が感じていた違和感、誰がこの筋書きを描いていたのか、その答えがここにあった。そう、この世界を創っていたのは、なんと俺だったのだ。
『Cogito, ergo sum.(我思う故に我あり)』
俺が自分自身を認識したから俺が誕生し、俺が世界を認識したから世界は存在したのだ。これは量子力学の基本である。認識する観測者が居なければ世界はいつまでも混沌のままだが、誰かが認識したらそこで世界は確定する。この世界において、認識者は俺だった。俺が見て、聞いて、考えたから、この世界はこの形になったのだ。
一瞬そんな馬鹿な、とも思ったが、量子力学の研究が進んだ現代においては、観測者が事象の主体であることは、科学的にはもはや常識だ。そして、それは量子のサイズにとどまらず、人間サイズの世界でも同様だったのだ。
この世界は、俺が創った俺の世界だったのだ……
で、あるならば、今、この俺の身体を切り裂いている聖剣も、俺の認識の結果にすぎない。
俺は、この空間を管理しているコンピューターシステムを捕捉した。システムには必ず管理機構があり、管理機構もソフトウェアだから、必ずセキュリティ上穴がある。穴が都合よく、俺のアクセスの時に開くこともあるだろう。だって、ここは俺の世界なんだから……。
果たして、俺はイマジナリーの権利を確保し聖剣を捕捉すると、その動きを止めた。そして、右手で刃を掴み、引き抜き、取り上げた。
「
俺は身体を元通りに治し、聖剣を高く掲げた。56億7千万年を超え、役目を終えた聖剣『
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