4-4.黄泉がえりの第三岩屋

 翌日、由香ちゃんがやってきて、赤ちゃんの部屋で採血を行った。

 クリスが丁寧に、由香ちゃんの左腕に注射針を入れ、血を取り出す。


 血を抜きながら、クリスは癒しの技で由香ちゃんの造血をフォローする。

 癒しの淡い光の中で、由香ちゃんは言った。

「クリスさん、昨日の未来の私の話、一体どういう事なんでしょうね?」

「…。私もなぜ、彼女があんなことを言い出したのか、分からないのです」

 クリスはいつになく渋い顔をして答えた。


「未来の私は、何かすごい伝えたがってましたよね」

「…。そうでしたね。でも本当に伝えてしまったら因果律が狂ってしまうので、伝える内容がなくなって、そもそも伝えなくなってしまうので、伝える事自体ができないのかと」


「なるほど……つまり、具体的な事は、何一つ言えないんですね」

 神妙な顔の由香ちゃん。


「…。そうですね。それに未来の可能性は無限大です。昨日出てきた彼女もその無限の可能性の一つに過ぎません。だからヤバい人が居るというのも、当たってるかどうか怪しいとは思っています」


「でも、当たっている可能性も、そこそこありますよね……」

「…。ありますね……」

 クリスが目を瞑って苦しそうに言う。


 俺が横から口を出す。

「もう一回呼んでみたらどうかな?」


 クリスはちらっと俺を見ると、言いにくそうに答えた。

「…。実は……すでに昨晩、密かに呼んでいるんです」

「え~!? なんて言ってました?」

 由香ちゃんが驚いて聞く。


「…。『ヤバい人なんていない』って言ってました」

「それってどういう事?」

 由香ちゃんは困惑してしまった。


「…。未来の可能性は無限大なので、最初に出てきた彼女とは、違う未来を生きた人が出てきた、という事ですね」

「ヤバい人が居ない未来もある、って事ですね」

 由香ちゃんは嬉しそうにそう言うが……


「…。ただ……ヤバい人が居る、という未来がある事の意味は、重いんですよ。いるけど発覚しない事は考えられますが、いないのに『居る』と言う事はないので……。あるとすれば嘘をついたという事ですが……」


 俺は彼女の言動を思い返しながら言う。

「嘘をついてる感じじゃ、なかったなぁ」

「…。そうなんですよね……」

 

 クリスは、由香ちゃんを癒しながら目を瞑り、思索にふけった。

 しかし、眉間にしわがよるばかり……納得いく結論は出ないようだった。

 

 俺は、採れたての由香ちゃんの血を人工胎盤にセットした。

 赤ちゃんに必要な栄養は、主に点滴の要領で人工胎盤経由で与えていく。酸素は、人工胎盤に繋がった簡易な人工肺を使い、酸素ボンベから与える。

 そして、簡単な透析装置を使って、人工胎盤の血は浄化される。ここで赤ちゃんの尿は、こし取られるのだ。


 でも、ミネラルや、微量のホルモンや、血液の健全性を保つためには、血は新しい方がいい。

 俺と由香ちゃんは、変わりばんこで、血を1リットルずつ提供し続けるしかない。

 

 クリスは人工胎盤に癒しをかけ、感染症にならない様に、血液の免疫を活性化させた。


 赤ちゃんを見ると、心持ち大きくなっているようだ。


 クリスに聞くと、実は成長を促進させるスキルを持っているらしく、赤ちゃんを普通より速く、成長させる事もできるらしい。

 このペースだとあと3か月で出産となる。

 誕生も待ち遠しいが、それより断酒が終わる方が、俺にとっては切実かもしれない。



           ◇


 

 寝る時間になり、洗面所で準備する俺に、珍しくクリスが声をかけてきた。


「…。誠、ちょっといいかな?」

「ん? いいよ、何かな?」

 俺は歯磨きを止めて答える。


「…。もし、私が倒れるような事があったら、行って欲しい所がある」

 真剣なまなざしでクリスが言う。


「倒れる事って……。ま、いいや、どこへ行くんだい?」


「…。江ノ島に洞窟があるだろう?」

「あ、あるね、昔行ったよ。江戸時代の石仏が並んでた」

 江ノ島は江戸時代、江戸の庶民の有名な行楽地だったのだ。だから江戸時代から観光化が進んでいたらしい。


「…。第一岩屋と第二岩屋とあるんだが、実はさらに向こうに、隠された第三岩屋も有るんだ」

「え? そうなの? 全然気づかなかった」

「…。そこは大潮の干潮の時に、入口がちょっとだけ顔を出す。普通は行けない」

 命がけのアタックが要求される難易度に、俺は思わずビビってしまう。


「もしかして……そこに行くの?」

 なんだかすごく嫌な予感がする。

 そんな俺の心中を無視するように、淡々と続けるクリス。

「…。そうだ。その中に石仏があるんだが、その指さす先に行って欲しい」


「行くと何があるの?」

「…。行けば分かる」


 行かないとわからないそうだ。神様はこういう所セキュリティが堅い。


「ま、クリスが倒れなきゃいいんだよね」

「…。そうなんだが、ヤバい人と言うのが気になっている」


 いつも自信満々のクリスには珍しく、慎重である。


「そもそもクリスにとってヤバい人なんているの?」

「…。人間は脅威にはならないね」

 そう言って自信を見せる。


「殺されても3日後に復活するんでしょ?」

「…。ははは、まぁ3日もかからないよ」

「なら、倒される心配なんてないじゃん」

 俺は少し安堵して笑った。


「…。敵が……人間だったらね……」

 クリスが渋い顔で言う。


「え? 人間じゃない人が、うちのチームにいるってこと?」

 予想外の事に、俺は悪寒を感じた。


「…。もちろん、メンバーは全員スクリーニング済みだ。怪しい人はいない」

「だったら……」


「…。偽装されている可能性は排除できないし、メンバー以外かもしれない。そもそも、未来の由香ちゃんがあんなこと言うのは、明らかに人じゃない者が干渉してる証拠なんだよ」

 クリスは、いつになく危機感をあらわにして言う。


「え!? すでに攻撃されているってこと!?」

 俺は頭を殴られたようなショックを全身に感じた。神様を超える者が我々を狙っている。そんな深刻な危機が進行中とは思いもよらなかった。


「…。残念ながら……そのようだ。万が一私が倒れたら、岩屋へ行ってほしい」

 クリスは切実な目をして言った。


「う、うん……、分かった」

 俺はそう答えながら、心に濃い不安の影が広がるのを感じていた。クリスを倒してしまう様な敵であれば、俺など瞬殺されてしまうのだ。果たしてクリスの期待になんて応えられるのだろうか?


 クリスはそんな俺の不安を一顧だにせず、俺の目をまっすぐに見て、言った。

「…。頼んだよ」


 俺は目を瞑り、ゆっくりとうなずいた。

 俺の人生はクリス前提で計画されてしまっている。クリスが倒れたら俺も破滅。たとえどんな敵であろうとも全力を尽くす以外ないのだ。


 クリスは少し寂しそうに微笑むと、自室へと帰って行った。


 そもそも、クリスを倒す敵とは誰なのだろうか?

 いろんな意味で『ヤバい人』というなら、美奈ちゃんだ。お騒がせな女神様。

 しかし、彼女が豹変して、クリスを倒す事などあるだろうか? クリスを倒して悪事を働きたい? でも、美奈ちゃんは今でも十分人生楽しそうだし、そんな事どうでも良さそうに見える。やはり他の人だろう。だとすると誰だろう?


 いろいろ考えてみたが、クリスにも分からないこと、俺に分かるわけがない。


 歯ブラシを動かしながら、第三岩屋をさっそく検索してみたが、ネットにはない。

 多分秘密の洞窟なのだろう。


 あそこは結構波が高い。大潮の時でしか行けないような所となれば、まさに命がけだ。絶対行きたくないのだが……。

 クリスには元気でいてもらわないと……。

 俺は思わず目を瞑り、両手を組んで神に祈った。


 ――――しかし、願い空しく、この後、誠は行く羽目になる。それも最悪な形で。



       ◇



 由香は夕方、会社帰りに大学に寄った。

 木枯らしの中、肩をすくめてキャンパスを歩いていると、サークルの同期の女の子、沙也加さやかから声をかけられた。


「あら、由香じゃない!」


 ピンクのダッフルコートに白ニットワンピースの沙也加は、獲物を見つけたかのように行く手をふさいだ。


 由香はちょっと引きつった笑顔で会釈をする。


 沙也加は威圧的な調子で続ける。

「就職決まったんだって? おめでと!」


「小さな……AIベンチャーだけどね……」


「ふぅん、私は東京陸上保険、就活ランキング3位企業よ」

 そう言ってニヤッと笑う。


「良かったね、おめでとう」

 由香は素直に祝福する。こんな人気企業、単なる幸運だけでは行けない事を知っていたからだ。


「そのベンチャー、後輩が創ったって奴よね? 大丈夫なの?」

 沙也加は冷ややかな笑いを浮かべ、小馬鹿にした調子で言う。


「ふふっ、確かに傍目はためには失敗に見えるかもね。でも、うちの会社は人類の未来を切り開く会社、今はとてもワクワクしてるの」

 由香は目をキラキラさせながら答えた。


 しかし、それを沙也加は気に食わなかった。


「折角王京入ったのに、そんな所でいいの?」

 そう、不快感をぶつけてくる。


 すると、いきなり現れた美奈が由香の胸に飛び込んだ。

「せーんぱい、みっけ!」


「うわぁ!」

 驚く由香。


 美奈は、しばらくハグして由香の柔らかさを堪能した後、クルっと振り返ってニッコリ笑って言った。

「沙也加先輩、お久しぶりです。うちの話、してました?」


 沙也加は生意気な後輩の乱入に、イラつきが抑えられなくなった。

「あなた、由香雇える余裕なんてあるの?」


「100億円あるから余裕よ、ねぇ先輩?」

 そう言って美奈は由香を見る。

 由香は

「そう、余裕なのよ、ねぇ美奈ちゃん」と、笑う。


「ひゃ、100億……。で、でも会社と言うのは信用力が重要よ、その点、東京陸上保険なら、誰でも知ってる堅い信用力があるんだから!」

 沙也加は必死に取り繕う。


「あー、東京陸上ね……今、中国の天安グループが買収かけてますよ、知ってます?」

 美奈が、ちょっと意地悪な笑いを浮かべて言う。


「え!? 本当?」


「うちの社長、天安グループのトップと親友だから、東京陸上の社長もうちのメンバーから選ばれる……かもね!」

 そう言って美奈は、小悪魔の笑顔を見せた。


「何言ってるの!? そんな事あるわけないじゃない!」


「由香先輩、社長……やる?」

「うーん、美奈ちゃんが副社長やってくれるなら、やってもいいかなぁ……」

 由香は悪乗りし、人差し指を顎に当てて上を見ながら言った。


「ちょっ! ふざけないでよ!」

 沙也加は余裕を失い、大声で怒鳴った。


「あら、未来の社長にそんな事言っていいのかしら?」

 美奈は涼しい顔をして煽る。


 沙也加は真っ赤になって、うつむいていたが……、


「ご、ごめんなさい!」

 そう叫ぶと走って逃げて行った。


 美奈と由香は思わず吹き出してしまい、二人してケラケラと笑った。


 由香は就活のバカらしさに改めて気づいた。数か月前まで血眼になって就職ランキングを睨んでいた自分の愚かさを、心から反省した。社会は広く複雑で、1億人もの生き様が絡み合ったエコシステム。ランキングの数字は単なる優越感ゲーム、こだわる意味などなかったのだ。


 美奈は由香に聞いた。

「先輩、本当に社長やる?」

「まさか、冗談よ」

「あらそう? なら私、やろっかなぁ~」

 美奈はそう言ってニヤッと笑った。

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