2-4.蠢く初代シアン
「そう言えばシュウちゃんは?」
美奈ちゃんは、リスみたいに珈琲のマグカップを両手で持って、聞いてくる。
「大学かな? 最近見ないなあいつ。slackには反応してるから、生きてるとは思うんだけど……」
とは言え、彼に無脳症の赤ちゃんを使った実験を見せるのは、さすがに難しそうだ。
彼は太陽興産とのパイプ役さえ、やってくれればいいので、オフィスに来ないのは好都合ではある。
「…。これ、太陽興産のレポート」
クリスが手書きのメモをくれた。
そこには達筆な字で、太陽興産が新規に扱うべき商材、やめるべき商材、新規に契約すべき会社、契約解除すべき会社、昇進させるべき社員、問題社員が丁寧に書かれてあった。
「ありがとう、清書して修一郎に渡すね」
俺はニッコリと笑って感謝した。
きっとこのメモ通りにやれば、売り上げも利益も一段上がるのだろう。まさに神のメモ。AIが完成するまでは、これを『AIの成果』と見せかけないとならないのが、やや鬱陶しいが、100億円には代えられない。
◇
「Hi Makoto! (誠さーん!)」
オフィスの奥でコリンが呼んでいる。初代の仮想ロボット版シアンができたらしい。
画面を見ると、3DCGの草原に、バボちゃんみたいなキャラクターが転がっている。ボールに目と口が付いて足と手が生えた、出来損ないみたいな奴だ。お世辞にもかわいいとは言えない。
「え~っ! かわい~!」
一緒についてきた美奈ちゃんは、キラキラした笑顔で言い放つ。
「……。」
女の子の感性は良く分からん。
計画では、この仮想現実空間内のロボット版シアンを使って、AIに簡単な世界のルールを学習させる。
コリンは自慢げに俺に言う
「I've already connected simple machine learning. Look.(すでに簡単なAIは入れました。見てて! )」
そう言って、キーボードを操作すると、バボちゃんは手足をバタバタさせて、ズリズリ動き始めた。
「This guy's moving!(こいつ動くぞ!)」
俺は思わず、叫んでしまった。
3DCGではあるが、ヌメヌメと生き物のように動く様は、やはりちょっと気持ち悪い。
美奈ちゃんが不思議そうに聞く、
「これは何やってるの?」
「いろんな行動を、学習させてるみたいだね。きっと立ち上がりたいんだろう。でも立ち上がるって、実はすごい複雑な制御が要るんだよ。立ち上がる事一つとっても、AIには試練なんだ」
「ふぅん、でも、立つだけだよね?」
美奈ちゃんには、あまり理解されなかった。
しばらく見てると、ズリズリやっていたAIが、何かの拍子で一瞬立ち上がった。
「あ、立った……あ、ダメかぁ……。頑張れ~!」
美奈ちゃんは、画面をじーっと見ながら応援している。いい娘だ。
AIは徐々にコツを掴んで、立ち上がる動作に、トライし始めるようになった。
腕を振り回して、その反動の瞬間に足に力を入れると……立てそうなんだが、やはり絶妙なタイミングが必要で、失敗続きである。これは何度も試行錯誤して学習していくしかない。
品川のIDCにある、数億円相当のAIチップ群が高熱発しながら今、必死にAIの壁を超えようとしている。
実にロマン溢れるストーリーじゃないか。
◇
翌朝出社すると、マーカスが笑顔で声をかけて来た。
「Hi Makoto. Take a look! (これ見て!)」
画面では草原の中を、バボちゃんの様なロボット、初代シアンが走り回っている。
一晩で立ち上がるどころか、走れるようになってる!
とんでもない進歩である。
「WOW!」
俺が大げさに喜んで見せると。
「チガウネ! モット ミテネ!」
と、画面を指さす。
シアンは急に走るのをやめ、忍び足になった。どういう事なのか見ていると……どうやら獲物を見つけたようだ。
遠くに、リンゴに足が生えたような動物が、歩き回っている。
獲物との距離を詰めると、シアンは一回止まった。そしてリンゴの動きを観察している。
後ろで見ていた美奈ちゃんは、怪訝そうに言う。
「あれ? 止まっちゃった……」
何をしてるのだろう、と思って見ていると……、次の瞬間、全力疾走してリンゴに飛びついた。リンゴは直前で逃げようとしたが、間に合わない。シアンはリンゴを両手でつかみ、リンゴはパンと弾けた。
「わぁ! やった~!」
美奈ちゃんが声を上げる。
「シアン Apple タベタネ」
マーカスが笑顔で言う。
なるほど、潰すと食べた事にしてるのか。
「シアンニハ ナニモ オシエテ ナイネ」
「え? この動作は、全部シアンが勝手に自動で学習したの?」
「そう、シアン カシコイ」
「Incredible!!!(すげ~!)」
いや、これは画期的な成果じゃないか?
昨日、立てもしなかった原生生物が、今では知的なハンターになっている。なんだこの急速な進化は!
マーカス達は、自慢げに胸を張っている。
思わず、みんなとハイタッチしまくった。
「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」「Yeah!」
『深層後継者計画』は今、確実に動き出した。失敗の許されない胃の痛くなるこのプロジェクトだが、出だしは予想以上の成果で飾られた。
『お前ら最高!』
俺は急に胸がいっぱいになって、鼻の奥がツーンとしてきた。
いきなりこんな極東の島国に呼ばれて、不慣れな社長の下で無理難題のテーマをお願いされて、それでも健気に凄い成果を叩き出してくれる……。
『ありがとう……』
俺は潤んできた目をそっと拭った。
そんな俺を見て、クリスは微笑みながらうなずいた。
深層後継者シアンは、天才たちの手によって驚異的な速度で進化していく。
『お前と語り合える日も遠くないかもな』
俺は走り回る不細工なロボットを見ながら、まだ見ぬ未来を想った。
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