1-4.神様はバックパッカー
仲間の子供達を見ると、皆ソファーでゴロゴロしだしている。どうやらお眠の時間の様だ。
「さて、そろそろ帰らないと。クリスも明日フレンチ行きますよね? 今晩はうちに泊まりませんか?」
さり気なく誘ってみる。
「…。いいのか?」
「何言ってるんです、クリスのおかげで、こんなに楽しい事になっているんだから、遠慮せずにうちで飲みなおしましょう!」
「…。なら……お言葉に甘えて……」
「ねぇねぇ、美奈も行っちゃダメかなぁ?」
ちょっと首をかしげて、甘い声で美奈ちゃんが割り込んできた。美奈ちゃんもクリスに興味津々なのだ。
可愛い娘にお願いされて、断れる男など居ない。
「お、俺は良いけど、クリスはどうかな?」
クリスは、美奈ちゃんの目をじっと見ると、言った。
「…。私たちに付いてきたら、もう二度と今までの暮らしには戻れない……。それでもいいですか?」
俺は驚いた。一体どういう事なのか? 俺は、単に飲みなおすだけのつもりだったのだが……。
「丁度いいわ! 今の暮らしに、飽きてきた所なのよねっ!」
美奈ちゃんは人差し指をくるっと回し、小悪魔風に微笑んだ。
「…。ならいいでしょう」
クリスはそう言ってニッコリと笑った。
クリスは女子大生に何を見たのか……。クリスの思惑は読めない。
◇
八丁堀にある、築5年の1DKのマンションが俺の家だ。都心に近いが、下町だけあって家賃が安くて気に入っている。
二人を、コンビニに買い出しに行かせている間に、俺は部屋を頑張って片付けた。
ヤバい物は急いで段ボールに詰め、物置に追いやった。独身男性の部屋には、女の子にはとても見せられないような物だってあるのだ。
掃除機で仕上げをしていると、二人がやってきた。
「あら、誠さんの部屋、綺麗ねっ!」
美奈ちゃんが、ずかずかと奥まで入ってきて言った。
ギリギリ間に合った。セーフである。
「あっ、あれはスカイツリー?」
そう言いながら美奈ちゃんは、まだ昼の熱気が残るベランダに出た。
遠くに青くライトアップされたスカイツリーが、夏の夜を涼しげに彩っている。また、眼下にはその青が隅田川の支流に反射してゆらゆらと煌めき、下町っぽい風情を演出していた。
「綺麗でしょ?」
俺が並んでそう言うと、
「何だかお菓子みたいね、食べたら美味しそう!」
美奈ちゃんはそう言いながら、こっちを見て微笑む。
「君はゴジラかい?」
俺はそう言って笑いながら、美奈ちゃんを見るが、その魅惑的な瞳にキラキラと反射する夜景に、思わず吸い込まれそうになる。
高鳴る心臓を悟られないように、急いでスカイツリーに視線を移したが、少し不自然だったかもしれない。
まだ少し生ぬるい風を浴びながら、俺はそっと深呼吸をした。
◇
俺は部屋に戻って、買い出ししてもらった物をテーブルに並べ、皆に座布団を勧めた。
「私は梅酒~っ!」
美奈ちゃんが上品に座りながら、梅酒の缶をプシュッと開ける。
クリスはハイボール、俺はビールを手に取った。
「それじゃ、明日のフレンチを祝して、カンパーイ!」
「カンパーイ!」「…。乾杯」
ゴツゴツと鈍い音が部屋に響く。
俺はホップの苦くてややフルーティな香り、爽快感が脳髄を揺らすのを堪能する。幸せが染みわたっていく……。
「クリスさんは、何をしてる人なんですかぁ?」
美奈ちゃんが早速クリスに絡む。
「…。ただのバックパッカーだよ」
クリスは透き通った声で淡々と答えるが、バックパッカー!? 神様の仕事ってバックパッカーでいいのだろうか?
「ふぅん、いつまでバックパッカー続けるの?」
お、ナイスな突込みだ。
「…。希望が見える……までかな……」
「今は希望が見えないの?」
美奈ちゃんは首をかしげ、不思議そうに聞く。
クリスはハイボールを呷ると、目を瞑って静かに言った。
「…。全くダメだな。八方ふさがりだ」
「八方ふさがり? 人類がヤバいって事……なの?」
クリスはあごに手を当てて、少しうつむき、言葉を選びながら言った。
「…。ヤバいというより……、糸が切れた凧、という状態かな? 何をどうしたら、世界が良くなるか、皆目見当がつかない」
そう言うと、ハイボールを一口飲んだ。
「…。昔は単純だった。病気や、飢饉や、災害や、戦争を回避するよう祈れば良かった。そうすれば世界は良くなっていった。だが、この時代にまでなってみたら、何が何だか分からなくなった」
「うーん、それは、世界が複雑になったという事?」
「…。それもある。大抵の病気は病院で治るし、食べ物は捨てるほどある。そして、衣食住完備され、安全で安心な社会になったのに、みんな常に仕事に追われ、余裕無く喘いでいる。一体なぜ、こんな事になっているのか、分からないんだ」
そう言って、クリスは首を振って目を瞑った。
実に重い話だ。
沈黙の時間が流れる。
確かに、昔に比べたら全てが改善した。夢の社会ができたはずだった。でも、人々は暗い顔して暮らしている。一体何が間違っているのだろうか……。
「お、お金……かな? みんなにお金をパ―――――ッと配ったらどうかな? みんなに1億円ずつ配ったら、みんな元気になりそう!」
美奈ちゃんが、オーバーに両手を広げて言う。
「1億はどうかと思うけど、お金を配るというのは確かにいいね。ベーシックインカムと言って、国民全員に毎月10万円配ろう、という計画もあるよ」
俺も話を繋げる。
「いいじゃんそれ!」
美奈ちゃんが、無邪気に俺を指さして喜ぶ。
「でも…… 財源が足りないんだよね~」
「あらら……」
二人して下を向く。
これは経済システムの問題だ。
クリスに幾ら力があったとしても、毎年140兆円をクリスが生み出し続ける訳にも行かない。神様の守備範囲外の問題だ。
クリスは目を開けると続けた。
「…。さらに少子化と温暖化という、さらに深刻な問題が控えている。現状は、かなり絶望的と言わざるを得ない」
「絶望的!?」
美奈ちゃんは、可愛い目を大きく見開いて驚く。
「…。この問題も対策のしようがない。解決策があっても、人類はそれを選ばない」
クリスが暗い顔でつぶやく。
「でも、少子化は先進国だけの問題よね?」
美奈ちゃんは首をかしげながら言う。
「…。そうだが、少子化によって経済崩壊と移民や人種間のトラブルが起こる。先進国に経済と軍事力が集中してる状況で発生するトラブルは、温暖化で起こる異常気象による飢饉とあいまって、取り返しのつかない事態を引き起こす」
クリスは目を瞑って首を振り、深刻そうに頭を抱えた。
神様をもってしても簡単に滅亡は回避できない、という現実は重い。
「クリスさんにも無理だったら、もうダメって事?」
美奈ちゃんが
「…。誠に案があるんだよね?」
クリスは俺を見てニヤッと笑った。
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