君のまにまに!!

ハロ

第1話 アンジュ=サットンの苦悩

ステンドグラスで装飾された窓から春の日差しが差し込み、白いサテン生地のドレスがキラキラと輝く。崩れないように少しきつめに結われた髪が俯いてしまいそうな私の顔を無理矢理前へと向かせる。


「お嬢様、大変美しゅうございます。」


私の心持とは裏腹に傍に仕える中年の女性は目じりのしわを深くしながら嬉しそうにこちらへと笑いかけた。きっと扉の向こうでは、父と母が晴れ姿の娘の登場を今か今かと待ちわびているのだろう。


私は今日16歳の誕生日を迎える。それと同時に私は六歳の時に許嫁だと紹介された男性と結婚する。舞踏会やお茶会でしか彼の顔を見ることは無かった。その度に彼は社交辞令程度のダンスに私を誘い、お互いの両親が不審がらないような関係を続けた。おそらく彼にとってもこの結婚は望んだものではない。それでもこの関係をやめることができなかった理由は私の家が最近、事業に成功した程度の一般市民であること、彼の家が連綿と続く由緒正しき家柄の貴族ではあるが、近年資金繰りに窮していたことに有った。


つまり、名誉ある家名を賜りたい家と安定した収入にあやかりたい家の思惑が一致したのだ。


しかし、不幸な結婚というと少し噓になる。こんな結婚でも両親は自分たちの望みが実現する喜び以上に私の晴れ着姿を楽しみにしてくれていたし、彼との関係も希薄なものではあったが、悪いものではなかった。お互い好きになることはなかったが、結婚を拒否する理由が存在している訳でも無い。幼い頃に読んだ絵本の中のお姫様と王子様のようにお互い思いが通じ合って、愛し合って結婚することに憧れはあった。しかしそんなものは理由にすらならない小さな私の理想でしかない。それに優しく誠実な彼との結婚を羨む人もいた。


これでいいのだ。


自分を強制的に納得させて扉の外に出た。案の定両親は私の姿を見るなり、目に涙を浮かべた。


「綺麗だわ。アンジュ」


母は涙を拭った後、私の手を優しく握る。父も静かに頷きながら、私たちの手を包む。自分の考えが間違っているものではないと感じる。こんなにうれしそうな両親の顔を見ることができたのだから。きっとこのまま周りの空気に流されてしまえば、私の中でもこの結婚は喜ばしいものに変わる。


「お父様とお母様にここまで育てていただいた感謝の意はこの世界の表現では表せない程のものです。次はお父様とお母様が私に与えてくれたものを私が私の家族に与えていこうと思います。」


その言葉と共にお辞儀をして両親の顔を見れば、両親はまた拭ったはずの涙を目に浮かべた。これでいい、これでいいのだと自分に何度も言い聞かせる。


「じゃあ行こうか。向こうで彼も待っている」


そう言って、父は私に手を差し出した。久しぶりに握る父の手は少し汗ばんでいて緊張しているようだった。彼と出会った時もこの手を握っていた。そのころと少しも変わらない大きく、私の手をすっぽり包み込んでしまう手。この手が導いてくれるところならきっとどこであっても私は幸せになれると思う。扉が開かれ、元居た場所より明るい光に目がくらんで一度瞼を閉じる。再び瞼を開けるのを少し戸惑ったが、ゆっくり外の世界を映していくと一面の花と笑顔の人々が目に入った。


ほら、やっぱり。これでよかったのだ。


この手が導いてくれる場所にはこんなに沢山の幸せそうな人たちがいる。こんなに沢山の人たちが私たちの結婚を祝福してくれている。私の足元から続く赤く長い絨毯の先には私が着ている物と同じ素材が使われたタキシードに身を包んだ彼がいた。白く輝く彼の姿は美しくそして神々しくも見えた。私は名前の通り天使になるんだわ。だって、天使は神様に仕えるものだもの。真剣にそう思った。彼の元へ一歩一歩近づく。しかし、彼の横に立って彼の表情を見たとき頭の上から冷水を掛けられたような気持ちになった。彼の目には何も映っていなかった。周りの熱に浮かされる私とは相反して、彼は冷めきっていた。私のほうにちらりと目線を向けたきり、こちらの方を見ることはなかった。


「エミリー…」


そうつぶやく彼から目を離せなかった。その声は隣にいる私でさえ聞き逃してしまうかもしれない程小さなものだった。どうして自分に結婚を拒否する理由がないからと言って、彼にもないと思い込んでいたのだろう。どうして自分に愛する人がいないからと言って、彼にもいないと思い込んでいたのだろう。この結婚に未来などない現実を突きつけられて、目の前が真っ暗になった。それでも今更止める事の出来ない式は着々と進んでいった。


「新郎ショーン=ルイスあなたはここにいる新婦アンジュ=サットンを、健やかなるときも病める時も、富める時も貧しい時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


司祭の言葉にハッとした。彼はきっとあの出会った10年前から今までもそしてこの先ずっと死ぬまで私を恨むことはあれど、私を愛し敬い慈しむことはないだろう。私さえいなければ、今彼の隣にいたのは私が姿も知らないメアリーだったのかもしれない。人のただ愛する人と結ばれたいという小さな願いを阻んだ自分の間抜けさを呪った。ここから誰か連れ出してほしい、そう願った。


「ごめんなさい…」


司祭の言葉に反応しない彼に消え入りそうな小さな声で謝った。


「え……」


と彼の口から小さな驚きを含んだ音が漏れた時だった。地面が大きく揺れなぜかふわりと浮いたような感覚に私は襲われた。次に落下感。落ちていく中で見上げた先にあった彼の瞳は大きく開かれ、そして彼は私へと手を伸ばしていた。そんな彼の姿を見つめながら私は下へ下へと落ちていった。あぁ、人の幸せを奪った私は地獄に落ちるのだと、何が天使だとそう思いながら瞳を閉じた。

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