第70話 クラウスとの再会 5

 そして場面はレヴィの部屋へと戻る。


 娘を傷物にされたと思い込んだギルバートはレヴィをギリギリと締め上げているのだが、そこにマーシャが割って入った。


 ユイを連れて部屋に戻ってきてみれば、いきなりレヴィが見知らぬ中年男性に締め上げられているのだから、彼女が取るべき行動は一つだった。


「人の連れに何をしているっ!」


 マーシャは迷わずギルバートに飛びかかって殴りつけた。


「うわっ!?」


 その際、レヴィも巻き添えでふらついてしまうが、そこは元軍人として、巻き添え転倒だけは免れた。


「中将っ!?」


「このっ!!」


 そしてギルバートの付き添いと護衛を兼ねていた二人の男がマーシャへと飛びかかる。


 いきなり上官を殴られたのだから無理もない。


「ふん」


 銃を抜こうとする男二人に、マーシャはすぐに懐へと飛び込んだ。


 そして彼らが避ける間もなく拳を叩き込む。


 二人目には見事な回し蹴りも炸裂した。


 あっという間の出来事だった。


 三人の軍人を床に転がすまでにかかった時間は僅か七秒。


 恐ろしい身体能力だった。


 近接戦闘担当だったオッドであっても、ここまで鮮やかに片付けることは不可能だろう。


「おかえり、マーシャ。そして助けてくれてありがとな」


「ただいま。そしてどういたしまして。今更だけど、これはどういう状況なんだ?」


 ほとんど状況を理解しないまま三人の軍人を床に転がしたことが恐ろしい。


 しかしレヴィは肩を竦めながらも説明した。


「実はこちらのお嬢さんの件であちらのお父さんが殴り込みをかけてきてなぁ」


「ふうん……」


 こちらのお嬢さん、つまりティアベルを指さすレヴィ。


「あ……あう……」


 銀色の瞳がティアベルを射貫く。


 自分とレヴィの部屋にバスローブ姿で上がり込んでいる少女。


 顔立ちも悪くない。


 レヴィの好みはこういう感じなのか……と冷静に、冷徹に観察する。


「あのな、レヴィ」


「なんだ?」


「私はレヴィの女癖の悪さにどうこう言うつもりはないけど、一応、この部屋は私が借りているんだぞ。そこに他の女を連れ込むのは流石にどうかと思うんだ。せめて自分が借りた部屋にするべきだろう」


「なっ!? どうしてそういう恐ろしい誤解になるんだっ!?」


 怒り混じりのマーシャの言葉に狼狽えるレヴィ。


 図星だから狼狽えているのではない。


 恐ろしい誤解をされているからこそ狼狽えているのだ。


 レヴィとしては純粋な人助けだったのに、浮気を疑われてはたまらない。


 というよりも、レヴィの方こそマーシャが借りた部屋に他の女を連れ込むほどの節操無しではないと訴えたい。


「違うのか? 既にシャワーまで浴びているじゃないか。これから事に及ぼうとしたんじゃないのか?」


 きょとんとしながら問いかけるマーシャ。


 恐ろしすぎる誤解だった。


「ち、違いますよっ!」


 否定したのはティアベルの方だった。


 恐ろしい誤解をされている。


「き、貴様やはりそういうつもりだったのかっ!」


 そしてギルバートの方もふらつきながら起き上がる。


 マーシャに殴られたにしては驚異的な回復速度だった。


「だから誤解だっつってんだろうがっ!」


 誤解塗れで泣きたくなるレヴィだった。


 善意からの人助けで周りから誤解されるのは実に切ない。


「おい、お嬢さん」


「は、はい」


「俺から説明しても誤解が解けるとは思えないから、お嬢さんから説明してくれないか? どうしてこうなったのかについて、かなり詳しく。誤解の余地が無いぐらいに細かく」


「は、はい」


 どうやら自分の所為で恩人がピンチになっているらしいと理解したティアベルは、レヴィを救うべく果敢に説明した。


「じ、実はですね……」


 おろおろしながら説明するティアベル。


 パーティー会場で失敗してしまい、飲み物でドレスを汚してしまったこと。


 どうしたらいいか分からず困っていると、レヴィが助けてくれたこと。


 このままだと風邪を引いてしまうのでシャワーを浴びさせて貰ったこと。


 着替えが無いのでひとまずバスローブを貸して貰ったこと。


 それらを明確に説明した。


「………………」


「………………」


 まだ疑わしげなギルバート。


 そして呆れ気味のマーシャ。


 マーシャの方は既に疑いも晴れたようだが、レヴィのお人好しっぷりに呆れているようだ。


 しかしそういう部分が好きなので、文句も言えないという困った心境でもある。


「なるほど。つまりこいつが悪いって事だな?」


 マーシャはすたすたと歩いて行って、再びギルバートの前に立つ。


「う……」


 小さな拳の威力を思い出したのだろう。


 ギルバートは慌てて下がろうとしたが、僅かに遅かった。


 マーシャは胸ぐらを掴み上げて、ギリギリと締め上げた。


「娘の恩人に対して礼を言うどころか、締め上げるというのは父親としてどうかと思うんだがな?」


 銀色の瞳がギルバートを射貫く。


「う……ぐ……」


 苦しそうに呻くギルバート。


 しかしマーシャの殺気を正面から浴びてしまうと何も言えなかった。


 娘が嘘を吐くとは思えないので、それは事実なのだろう。


 しかし父親としてあの状況には文句を言わずにはいられなかったのだ。


 誤解を招く状況を作ってしまったレヴィにこそもう少し怒って欲しいと思っているのかもしれない。


 それ以上に、こんな華奢な腕に締め上げられているという事実が信じられなかった。


 見た目通りの女性ではない。


 それは嫌というほど理解したが、あまりにも得体が知れなさすぎて寒気がした。


「あー……マーシャ? 気持ちは分かるけど、そろそろ離してやったらどうかな。それ以上やったら、多分死ぬぞ」


「こいつは軍人だろう? これぐらいで死ぬほどヤワには見えない」


「それはそうだけどなぁ。でも娘さんの見ている前で父親を締め上げるのはどうかと思うんだ」


「私の前でレヴィを締め上げたこいつはどうなんだ?」


「それはまあ、誤解も解けたし、いいんじゃないか?」


「………………」


 相変わらずのお人好しっぷりに呆れるが、まあいいかと思うことにした。


 マーシャはギルバートを離してやる。


「それにしてもよく軍人だって分かったな?」


「身体の動きと雰囲気を見ればそれぐらいは分かる」


「さいですか」


 流石の眼力というべきか。


 洞察力も優れている。


「さてと。ではお嬢さん」


「は、はい」


「お迎えも来たことだし、俺の方も連れが戻ってきたから、そろそろお引き取り願ってもいいかな?」


「は、はい。その、ありがとうございます」


「気にするな。ただの気紛れだから」


「は、はい」


 レヴィにとってはただの気紛れだが、ティアベルの方はピンチを救って貰った恩人として、レヴィに対して好意を抱いてしまっている。


 そんなティアベルの好意に気付いてしまったマーシャは少しだけむっとなる。


 部屋に他の女性を連れ込んだことに関してはある程度割り切るつもりだったが、目の前でレヴィに好意を抱いている女性を前にしてはあまり穏やかではいられない。


 しかしそれを口には出さなかった。


 自分にその権利は無いと思っているからだ。


「ティアベル……少しは私のことも心配してくれ……」


 そしてよろよろと起き上がったギルバートが切なそうにぼやく。


 実の娘に放置されていたのが堪えたのだろう。


「あ、お父様。大丈夫ですか?」


「………………」


 今思い出したかのような反応だった。


 実に切ない。


 しかし恩人に対して締め上げようとした父親に対して、そこまで優しくはなれなかったのだ。


 そしてティアベルは冷静に父親とその護衛を観察する。


「ティアベル?」


 観察されているギルバートは不思議そうに首を傾げた。


 どうして呆れた視線を向けられているのか、理解出来なかったのだ。


「お父様。私は着替えを持ってきて欲しいと頼んだと思うんですけど……」


「あ……」


 娘のジト目に対してしまったと冷や汗を流す父親。


 気まずい空気だった。


「私に、バスローブのままホテル内を歩き回れと言うのですか?」


「あー……その……ええと……」


 ギルバートは慌てて部下に着替えを持ってくるように命じる。


 部下の方は慌てて走り出す。


 確かにこのままでは戻ることも出来なかった。


「すまん」


「はあ……」


 素直に謝るギルバートに対して、盛大なため息を吐くティアベル。


 それを忘れるぐらいに心配してくれたのだろうが、誤解だと分かっているだけに呆れの方が大きい。

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