第53話 憎悪の炎
「……申し訳ありません。車に乗ったことですっかり油断していました」
その日の夜、トリスの護衛をしていた男、イーグル・エディスハンドは自身の大ボスであるクラウスに深々と頭を下げていた。
リーゼロックPMCの社長は別にいるので、クラウスはほとんど経営に関与しないのだが、それでもマーシャとトリスの為にPMCから人材を出していたことは確かなのだ。
そしてクラウスに命令されていたにもかかわらず、トリスから目を離してしまった。
もちろん車に乗ったからといって、そのまま引き返すようなことはしなかった。
屋敷に戻るまではきちんと後をついて行って、護衛の仕事を完遂するつもりだった。
しかし屋敷に向かう筈の車は宇宙港に向かっていた。
これはおかしいと判断したイーグルはすぐに車を攻撃しようとしたが、驚いたことに防弾仕様だった。
もっと攻撃力の高い銃を用いれば止めることは出来たかもしれないが、その場合は車の中に居る者も無事では済まない。
トリスを守らなければならないのに、傷つけてしまっては意味が無い。
やむなく仲間を呼んで武装を充実させようとしたのだが、全てが遅かった。
宇宙港に向かった車はそのまま待機していた宇宙船へと入り込んだのだ。
車を一台収容するぐらい、巨大な宇宙船にとっては全く問題無い。
それどころか、惑星に降り立った際の移動手段として、必ず何台かは格納しているぐらいだ。
そこに戻ったのだということにすれば不自然さはない。
しかしその中にトリスが乗っているとなると話は別だった。
このままでは逃がしてしまうと懸念したイーグルはすぐに宇宙港の封鎖を依頼したが、管制に連絡を取る間に船が出航してしまった。
このタイミングで出港手続きを完了させていたのだろう。
「しまったっ!」
嘆いても既に遅い。
発進手続きに入った宇宙船を止めることは出来ない。
犯罪者であれば強制停止に追い込むことは可能だが、それを証明する手段が無い。
トリスが乗っている車が入り込んだと証明するには、証拠画像が必要だ。
しかし車の窓は外から覗けないようになっていて、証拠画像は得られない。
タクシーに偽装したままならば不自然さを訴えることも出来たのだが、宇宙港に入る前に車体の外装を弾けさせて、目立たない黒塗りの車に変えてしまった。
かなり用意周到だった。
飛び立つ宇宙船を見送るしかなかった。
それまでの過程をクラウスに報告するイーグル。
クラウスは難しい表情で黙り込む。
「そこまで周到に用意していたとなると、ただ亜人の子供を誘拐した訳ではなさそうじゃな。明らかにトリスを狙っていたということになる」
「ええ。身代金の要求はありましたか?」
「いや。あれば払っておるのじゃがな。狙いは金ではなく、恐らくはトリス自身じゃろう。珍しい亜人を手に入れたかったのか、それとも他の目的があるのか」
「恐らく他の目的の方でしょうね。亜人を愛玩する為にしてはやることが大がかりすぎます」
偽装タクシーに防弾仕様の車。
そして宇宙港における発進タイミング。
どう考えても周到すぎるし、大がかりすぎる。
街の人間が気付かない内にこれほど大規模なことをやってみせるのだから、準備には相当な時間をかけたに違いない。
トリスが一人になるのを待つだけではなく、タイミング良くタクシーを利用するまで待ち続けた。
そこまで耐え抜いたタイミングなのだから、それ以外の仕掛けも含めてかなり大掛かりだったことは間違いないだろう。
「トリスがどこに攫われたか、見当はつくか?」
「宇宙港に停泊していた全ての船の情報を洗いざらい抜き出してきました。船そのものの情報はすぐに解析出来ます」
「そうか。しかしその船が何処に行ったかが問題じゃな」
「それについてですが、急げばまだ把握出来ます」
「なんじゃと? どういう意味じゃ」
「発信機を取り付けました。ただし、簡易タイプなので後十二時間でバッテリーが切れます」
「いつの間に……。まさかトリスにつけておったのか?」
「いいえ。あの子は監視されるのが好きではないようなので、そこまではしませんでした。しておけばよかったと後悔はしていますけどね。逃げられると思って咄嗟に撃ち込んだんです」
宇宙港では発砲禁止になっているので、銃器を持ち出せばすぐに警備員が出てきて連行されてしまう。
なので咄嗟にスリングショットを取り出してから発信機を撃ち出したのだ。
強力な接着剤付きの発信機なので、宇宙船に張り付いたままになっている筈だ。
携帯端末で場所を確認すると、まだロッティからそれほど離れていない。
全速力で離脱しているようだが、高速船ではないのだろう。
通常の発信機では宇宙空間に出られた時点で電波を受信出来なくなるが、イーグルが放った発信機は特別製であり、一度ロッティの衛星を中継するようになっている。
だからこそまだ居場所が把握出来る。
しかし時間が経つほどにそれは難しくなるだろう。
電波が届く範囲外に出て行ってしまえば探すのが難しくなる。
逃げる以上の速度で追いかけて、捜索を続ければ、再び電波を受信することは出来るだろうが、その為には迅速な追撃準備が必要になる。
「随分と原始的な方法で撃ち込んだものじゃな」
「いざという時はこういう原始的なものが一番役に立ちますから」
銃と違って弾丸やバッテリーが切れても武器として使う事が出来る。
その気になれば何でも撃ち出すことが出来る。
そのあたりに落ちている小石だって立派な武器になる。
それがスリングショットの最大の利点だった。
軍用スリングショットなので持ち歩くにはかなりかさばるが、それでも利点の方が大きいのでイーグルは好んで使用している。
今回も十分に役に立った。
「そうじゃな。急げばトリスは取り戻せるということじゃな」
「ええ。追撃の許可をいただきたいのですが」
「もちろん許可する。他の依頼に影響がない程度の戦力であれば、最大限の持ち出しを許可するぞ。存分にやってこい」
「はい」
「徹底的にな」
「分かっています」
今回の件はトリスが攫われたという問題だけではない。
このロッティの中で、最も影響力のあるリーゼロックの身内を堂々と攫ったのだ。
これはリーゼロックに対する明確な敵対行為として処理する必要がある。
やるなら徹底的に。
今後、二度と敵対する気が起きないように、かなり念入りに潰す必要がある。
黒幕の特定から壊滅まで、徹底的にやり尽くせという命令をクラウスは下した。
彼はここまで堂々と虚仮にされて黙っていられる性格ではないのだ。
「しかしなぁ……」
「どうしました?」
「いや。マーシャにどう説明したものか、悩みどころじゃ……」
「それは……会長にお任せします」
「お主の失態なんじゃから、説明責任は果たして貰うぞ」
「う……」
そう言われると逆らえないイーグルだった。
確かにトリスを攫われたのは自分の失態だった。
しかしあのマーシャに恨まれるのは嫌だった。
あの小さなもふもふ少女のことを、イーグルもとても可愛がっているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます