第51話 誘拐 2

「……疲れた」


 勝利の余韻よりも疲労の方が凄まじかった。


 マーシャと戦うと全力を強いられる。


 それは楽しい時間ではあるけれど、疲労も半端ではないのだ。


 ぐったりと背もたれに寄りかかるトリスに、不満そうな視線が向けられた。


「む~……」


「う……」


 むくれたマーシャの顔がいたたまれない。


 睨まれるのは困るのだけれど、負けて悔しいのは当然の心境だったので、トリスとしては仕方ないと笑うしかなかった。


「まだ勝てない……」


「僕だって負けられないって思ってるからね」


「でも悔しい」


「そんなこと言われても……」


 恨みがましそうに睨まれると困ってしまうトリスだった。


 マーシャの睨みはトリスにとっての弱みだ。


 嫌われていると思っていた頃も辛かったが、仲良くなってからはもっと辛い。


 嫌われるよりは好かれる方が嬉しい。


 トリスにとってマーシャは唯一残された家族みたいなものだから、いつも笑って欲しいし、楽しそうにしていて欲しい。


 睨まれるのは困るのだ。


「絶対に勝てるようになるからなっ!」


「……勝てるまで僕は恨まれる訳?」


「負けたら悔しいって思うのは当然だろう」


「じゃあ僕はずっとマーシャに恨まれるのか」


「なんでそうなるっ!?」


「だって僕はずっと負けるつもりはないから」


「……いい度胸じゃないか」


 銀色の瞳が物騒な光を帯びる。


 恨みがましい視線ではなく、燃えるような敵意だった。


 敵意というよりは負けず嫌いの燃え方なのだろうが、この方がずっと心地いい。


 恨まれるのは辛いが、追いかけられるのは好きだった。


 追いつかれないように頑張らなければという気持ちになるからだ。


「トリス」


「何?」


「もう一回だ」


「え?」


「だから、もう一回勝負だ」


「……いいけど、大丈夫?」


「何がだ?」


「だってマーシャ、疲れてるだろう?」


 模擬装置での戦闘とは言え、最大限に集中しているので、疲労感はかなり大きい筈だ。


 トリスでさえまだ疲労が残っている。


 戦闘機の操縦は神経を使うので、どうしても疲労が大きくなる。


 一度の訓練が終了したら、最低でも三十分は休息を摂るべきだというのが常識だ。


 しかし先ほどの模擬戦闘が終わってからまだ十分も経過していない。


 つまり、疲労はかなり大きい筈なのだ。


 しかしマーシャの方は元気いっぱいだ。


 少なくとも表情は元気を取り戻している。


 これから戦うことになっても大丈夫だという態度だ。


「問題無い」


「……そう」


 やれやれと肩を竦めるトリス。


 どうやら何を言っても無駄らしい。


 疲れているんだから無理をせずにもう少し休めと言ったところで、怒られてしまうだけだろう。


 それは遠慮したい。


 結局、もう一度戦う羽目になった。


 それどころか大した休憩も挟まずに五回も戦う羽目になった。


 その内の四回はトリスの勝利だったが、一回はマーシャの勝利だった。


 疲労が限界に達して判断ミスをしたところを撃墜されたのだ。


 通常のコンディションならば絶対にあり得ないミスだったが、疲労が重なるとどうしてもミスは引き起こされる。


 マーシャの方もかなりの疲労だったが、根性で乗り切ったらしい。


 こんな訓練は身体によろしくないし、精神衛生上も大変よろしくないのだが、マーシャの方は根性論を地で行く性格のようだ。


 しかもトリス以上に耐え抜いているので、実践もして見せている。


 こういった部分ではトリスよりも上なのだろう。


「うー。一回だけか……」


 少し悔しそうだが、それでも一度は勝てたのが嬉しいらしい。


「勝てたんだから怒らないで欲しいんだけど」


「別に怒ってない。ちょっと悔しいだけだ」


「ちょっと?」


 本当に『ちょっと』なのかどうか、大変疑わしいところだったが、口には出さなかった。


 そんなことを口に出せば怒られることは確実だ。


「文句あるのか?」


「無いです。何も無いです」


 口に出さなくてもちょこっとは怒る。


 出したらどうなるかは明らかだった。


「流石に疲れたなぁ。そろそろ休憩にしようか」


「うん。そうしてくれると僕も助かる」


「じゃあ食堂に行こう。疲れたし、お腹も空いたし」


「賛成。肉が食べたいね」


「ここの肉メニューは結構充実してるしな」


「言えてる。戦闘職だから、肉食がメインなのかもしれないね」


「私達にとっても嬉しい」


「うん」


 二人は食堂に移動しながら会話を続ける。


 小さなもふもふ達のことはリーゼロックPMCの間でも有名になっていて、すれ違う度に声を掛けられる。


 そして食堂に行くと、みんなが食事を奢ってくれた。


 二人はクラウスからお小遣いを渡されているし、その金額もかなりのものなのでお金を払うことに問題は無いのだが、みんなこの小さな少年少女を可愛がりたくてたまらないらしい。


 肉から野菜からデザートまで、我先にとご馳走してくれた。


 お陰で二人のお腹はぱんぱんだった。


「も、もう無理……」


「これ以上は……入らない……」


 ぴくぴくなりながらお腹をさするマーシャとトリス。


 勧められるがままに食べまくった結果、三十皿を越える量がテーブルに積み上がっていた。


 子供がこれだけの量を食べるというのも恐ろしいが、それ以上にそれだけの量を食べざるを得なかった状況が恐ろしい。


 これ以上は葉っぱ一枚すら入らないと訴える二人。


「マーシャちゃんもトリスもよく食べるからな~。ご馳走のし甲斐があるよ」


「だよな~。尻尾が揺れるのがなんとも可愛い。感情が正直だと見ていて嬉しくなる」


「言えてる。なんでこんな可愛いものを差別するんだろうって気持ちになるよな」


「ジークスの奴らは感性がおかしいんじゃないか?」


「いや、でもよく考えてみろよ。この子達は可愛いからいいよ。でもムキムキマッチョにもふもふがついていたら、かなり微妙じゃないか?」


「……微妙だな。というか、出来ればあまり見たくはないな」


 などと、割と勝手な盛り上がりを見せるPMCの隊員達。


 しかしみんなマーシャ達を可愛がっていることは間違いない。


「マッチョムキムキの人ももちろんいたぞ」


「みんなが言うほどえげつなくはなかったと思うけど。むしろ逞しくて立派だった」


 あまりにもえげつない想像をされているのが忍びなくて、マーシャとトリスが援護した。


 亜人の同胞達には男女がいて、大人がいて、子供が居て、もやしみたいなのもいれば、マッチョもいた。


 美女もいれば、恰幅のいい肝っ玉母ちゃんみたいなのもいた。


 その全員に耳尻尾が付いていた。


 しかしそれをえげつないと思った事は一度も無い。


 その人に似合っていると思っていた。


 だから彼らの想像は見当違いなのだ。


 実際に見てみれば似合っていると思うことだろう。


「そうなんだ。でも見られないのが残念だなぁ。絶滅させられたんだろう?」


「そうなんだよな。ジークスとエミリオン連合軍のアホが馬鹿なことをしたお陰で、いい迷惑だ」


「………………」


 マーシャの方はすっかり割り切っているので軽い調子で話しているが、トリスの方は少し表情が陰っている。


 まだ割り切っていないのだろう。


 それを責めるつもりはない。


 時間を掛けて乗り越えていけばいいと思っている。


「そうなんだよなぁ。でも心配するなよ。俺たちはマーシャちゃんやトリスのことはしっかりと可愛がるつもりだからな」


「そうそう。ここを自分の家みたいに思ってくれたら嬉しいな」


「俺たちのことは優しいお兄さんとか思ってくれたらいいかも」


「お前、その歳でお兄さんは図々しいだろ」


「なんだとっ!? てめえこそいい歳して鼻の下を伸ばしまくってる癖にっ!」


「可愛いものを愛でるのは当然だっ!」


 ぎゃあぎゃあと喧嘩になる。


 しかしじゃれあいのようなものなので、険悪にはならない。


 どちらかというと微笑ましいやりとりだった。


 マーシャもトリスも、そんな時間を心から楽しんでいた。


 こんな時間がずっと続けばいい。


 それが本心からの願いだったことは間違いない。


 少なくとも、トリスは切実に願っていた。

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