第50話 誘拐

 リーゼロック邸の暮らしは穏やかに過ぎていく。


 学びたいことを学び、充実した日常を過ごすマーシャ達は日々を楽しいと感じている。


 そして二人の学習能力の高さに、クラウスの方もかなり驚いていた。


 とにかく物覚えがいい。


 そして適応力も高い。


 学んだことはスポンジが水を吸収するように身につけていくし、どれだけ高度なレベルに移行してもしっかりと付いてくる。


 子供離れしているとさえ思う。


 特に驚異的だったのは戦闘能力と操縦能力だった。


 元々亜人としての身体能力はずば抜けている二人だ。


 二人とも元奴隷闘士ということで戦闘経験も豊富だし、何よりもその中で最強と言われていた。


 マーシャも最強であるトリスとほぼ互角に戦えるだけの実力を持っている。


 あっという間にPMCの戦闘員と互角以上に戦えるようになってしまった。


 少なくとも素手の格闘ではトリスとマーシャは圧倒していた。


 PMCの大人達にとってはたまったものではない。


 見た目はとても可愛らしい子供なのに、いざ戦いとなれば凶悪な牙を向けてくる。


 人間離れしたすばしっこさで相手を翻弄し、小さな身体に似合わないパワーで攻撃してくる。


 しかも身体の大きさが違いすぎるので、やりにくいことこの上ない。


 しかし大人の意地として、戦闘職人のプライドとして、このまま負けっぱなしでいるのは我慢ならなかった。


 何とか奮起して互角に持ち込もうとしている。


 結果として、PMCの格闘技術の質は上がっていく。


 これはクラウスにとっても予想外の効果だった。


 自分の会社の系列であるPMCの質が上がることは大歓迎だが、それに貢献しているのがこの小さな子供達というのが複雑な心境だったのだ。


 しかし格闘能力とは違い、道具を使う戦闘には慣れていないらしく、銃やナイフの扱いは苦手だった。


 的を狙ってもかなり大きく外してしまうし、ナイフの方も効果的な使い方が分かっていない。


 こればかりは経験がものを言うので、地道な訓練が必要になるだろう。


 銃やナイフを使った訓練にも前向きになっているので、そう遠くない内に熟練者の仲間入りを果たすだろう。


 そして宇宙船や戦闘機の操縦に関しては完全に素人だったが、明確な目的意識があるお陰で驚異的な吸収速度だったのだ。


 普通の人間が半年かけて習得することを、マーシャとトリスはわずか一ヶ月で習得して見せた。


「それぞれの機器や計器を見るのは大変だけど、でもやってみると面白いな」


 模擬装置で練習しながら、マーシャが楽しそうに言う。


 実際の戦闘機はまだ操縦させて貰えないが、それは彼女たちの身体に合う座席のものが存在しないからだ。


 大人が座ることを前提としている戦闘機の操縦席は、子供には大きすぎる。


 模擬装置の座席すらも大きすぎたぐらいだ。


 真っ先に模擬装置の操縦席を改造して、マーシャとトリスがきちんと座れるようにしたが、本物の戦闘機や宇宙船の操縦席を改造するには時間と手間がかかりすぎる。


 しかしマーシャ達を可愛がっているクラウスやPMCの面々は、それらの作業を厭ったりはしなかった。


 クラウスは金を惜しまず改造を整備士に頼んでいたし、整備士達も可愛らしいマーシャ達の希望をよく聞き入れていた。


 あと一週間もすれば操縦席の改造も完了して、本物の戦闘機や宇宙船に乗ることが出来るだろう。


 練習用なので性能はそれほどでもないが、最初はそれで十分だ。


「うん。これは面白い」


 トリスの方も戦闘機の操縦には前向きだった。


 彼にとって心から楽しめる事というのは珍しい。


 しかし戦闘機の操縦には他にはない面白さを感じた。


 何がどう面白いのかは上手く説明出来ないのだが、それでも手応えがあると感じることが出来たのだ。


 広大な宇宙空間で、鋼鉄の分身を操って駆け抜ける感覚。


 それは小さな世界を抜け出したいと願っていた少年にとって、新しい目的になり得たのかもしれない。


 今の世界には満足している。


 しかし広い世界に対する憧れもある。


 だからこそ、宇宙空間を駆け巡ることの出来る戦闘機を自由に操れるようになりたいと思うようになった。


 もしかしたら将来はこのPMCで戦闘機操縦者になるのかもしれない、と考えたりもした。


 マーシャを守ることを第一に考えているが、それでも恩人であるクラウスのことも忘れていない。


 クラウスの役に立てることをしたいと思うようになった。


 しかし戦うことしか知らないトリスは、自分が最も力を発揮出来る方法でクラウスの力になりたいと考えたのだ。


 リーゼロック・グループにおけるPMCの収入割合はかなり大きなもので、この部分で貢献すれば、それなりの恩返しになるかもしれないと思っている。


 マーシャを守る。


 クラウスに恩返しをする。


 その二つの目的の為にも、トリスは戦闘機の操縦に前向きに取り組んでいた。


 宇宙船の操縦も練習していたが、彼自身は戦闘機の方が相性がいいと感じていた。


 もちろん宇宙船の操縦も基本的な部分は習得するつもりだが、重点が置かれるのは戦闘機の方になるだろう。


「トリスがそんなに楽しそうにしているのは珍しいな」


「え?」


 隣の模擬装置に座っていたマーシャが嬉しそうに笑う。


 銀色の瞳がキラキラしている。


 彼女もかなり楽しそうだった。


「笑っているのは久しぶりに見た」


「そ、そうかな? 僕、そんなに無愛想だった?」


「無愛想って訳じゃないけどな。でも自分の為に楽しむのは珍しい」


「………………」


「良かったな。楽しみが見つかって」


 いつも誰かの為に必死だったトリスが、自分の為の楽しみを見つけた。


 それはマーシャにとっても嬉しいことだった。


 いつも苦しそうにしているトリスを見ていたから、心配していたのだ。


 しかし今のトリスは楽しそうだ。


 純粋に楽しんでいる姿を見ると安心する。


「………………」


 どうやら気付かない内に心配させていたらしい。


 トリスはそんな自分を恥じた。


 表に出していたつもりはないのだが、いつも一緒にいるマーシャの目は誤魔化せないらしい。


 そもそも、隠せていると思い込んでいるのはトリスだけなのだ。


 彼は素直な性格なので、内心がすぐ顔に出てしまう。


「マーシャは?」


「ん?」


「マーシャは楽しい?」


「もちろん。結構面白いし、もっと上手くなりたいって思っているぞ。でも、戦闘機よりも宇宙船向きかな、私は」


「どうしてそう思うの?」


「腕の問題じゃないんだけどな。感覚的に、そう思ったんだ」


「感覚か。大事だよね、それ」


「うん。大事だ。あと、気持ちの問題」


「?」


「トリスやレヴィアースもそうだけど、トリスも戦闘機をメインにするなら、母船としての宇宙船が必要だろう。私はそっちの役割がいいなって思ったんだ」


「マーシャが宇宙船を操縦して、僕やレヴィアースさんが戦闘機に乗るの?」


「そう。私が母船。トリスとレヴィアースが搭載機。想像しただけで楽しそうじゃないか?」


「うん。楽しそうだね。でもレヴィアースさんは無理じゃないかな」


 会えるかどうかも分からない人間なのだ。


 仲間に加えるには無理がある。


「いいんだよ。こういうのは想像するだけで楽しいんだから。夢を語る時は叶わないぐらい大きい方がいいんだよ。そ

こを目指す為にやり甲斐を感じるだろう」


「そういうもの?」


「私にとってはね。それに、レヴィアースをエミリオン連合から引き剥がす目的も諦めるつもりはないしな」


「引き剥がすって……」


 随分ととんでもないことを考えているようだ。


 呆れてしまうトリスだが、マーシャならやりかねないと思っていた。


 もちろん、トリスもレヴィアースにはもう一度会いたい。


 だからその夢が叶えばいいと思っている。


「じゃあマーシャも将来はPMCで働きたいの?」


「それも悪くないけど、もっと自由に飛び回りたいな」


「自由に?」


「もちろんお爺ちゃんへの恩返しは考えているけど、それだけじゃなくて、自分が楽しいことをしたいと思っている」


「そうだね」


「だったらもっと自由に飛び回って、好きなところに行きたいな。宇宙を旅したりするのも楽しいのかもしれない」


「それは楽しいかもしれないけど、収入はどうするの? 働かないと収入は得られないよ」


「旅をしながらだって収入は得られるだろう。今は投資の勉強もしているけど、あれはなかなか面白い。利益を出せば定期的にかなりの金を稼ぐことが出来る。端末一つで投資出来るから、旅をしながらでも十分だ」


「なるほど」


 投資に関してはトリスも勉強しているが、市場の動きがめまぐるしすぎて、時々ついていけないと思う。


 これは安全株だと思っていたものが、いきなり暴落する時もあるのだ。


 訳が分からない、と何度も思った。


 安定した収入を得る為には堅実な投資が必要だが、堅実すぎてもリターンが低い。


 たまにはリスクを取る必要もあるが、失敗した時は目も当てられない。


 トリスにはそれが怖かった。


 それを聞いたマーシャがなるほどと頷いた。


「確かに失敗すると怖いな」


「マーシャも怖いの?」


「怖いけど、面白い気持ちの方が大きい。それになんとなくだけど、市場の流れが分かるようになってきたし」


「え?」


「本来なら莫大な情報を集めないと判断出来ないことも、感覚で分かるようになってきた」


「………………」


「勘が磨かれているのかな。これだと思ったモノは絶対に外れないんだ。この調子でいけばかなりの金を稼げると思う」


「………………」


 どうやら天性の才能を持っているらしい。


 亜人の適応力が高いことは分かっていたが、それでも才能の世界となると、突き抜けたものが必要になる。


 マーシャには投資の才能があるのだろう。


 トリスも堅実な投資ならば行える自信がある。


 しかしリスクの大きい投資を勘だけでこなすなどという芸当は不可能だった。


 そんな怖いことに手は出せない。


 しかしマーシャは手を出せる。


 しかも勘だけで手を出して、成功を確信する。


 とんでもない才能だった。


「マーシャはすごいな」


「え?」


「僕よりもずっとすごい」


「トリスだってすごいじゃないか」


「僕はまだまだだよ」


「そんなことはないと思うけどなぁ」


 マーシャは本気で首を傾げている。


 すごいと言われても実感が湧かない。


 マーシャは自分に出来ることをしているだけなのだ。


 真面目に取り組んで努力をすれば普通に出来ることだと思っている。


 それはトリスも同じだと思っているのだ。


 しかし決定的に違うのは、意志の強さだった。


 マーシャの意志はトリスとは較べ物にならないほどに強い。


 何かを目指す時に、何かを成し遂げる時に、一切迷わない。


 ひたすらに目標へと向かって進み続ける。


 そんな強さにトリスは憧れていた。


 自分には無い強さだと思ったからだ。


 自分はいつも悩んだり、迷ったりしている。


 本当は今だって、仲間の復讐をしたいと思っているのだ。


 だけどマーシャの傍を離れることは出来ない。


 クラウスに余計な心配も掛けたくない。


 だからこそ動けない。


 今の自分に出来ることを必死でやろうとしているけれど、いつも迷ってばかりだ。


 悩むことを止められない。


 だけど悩まなくていいとは思わない。


 迷う必要なんて無いとも思えない。


 このもやもやした気持ちと向き合わなければ、どこにも進めないことを知っていた。


 だからせめて向き合い続ける。


 どれだけ情けなくても、劣等感に苛まれても、この痛みと向き合い続ける。


 それだけがトリスに出来ることだった。


「トリス」


「なに?」


「そろそろまた勝負しようか」


 勝負とは模擬装置での戦闘機勝負だ。


 実際には怪我も負わないし、機体を壊しても何も言われない。


 壊れるのはデータ上の機体であって、本物ではないからだ。


 だからこそ危険なことも、思い切ったことも出来る。


 マーシャはヘッドセットを被る。


 これで視界は宇宙空間へと接続される。


 仮想の視界だが、本人が認識出来る世界が切り替わるだけで十分だった。


「いいよ。勝負だね」


 ちなみに、戦闘機の勝負はまだトリスの方が優勢だった。


 生身の戦闘でもトリスの方が強いが、それはあくまでも経験の差だと思っている。


 戦ってきた時間はトリスの方がわずかに長い。


 だからこそマーシャよりも少しだけ前にいる。


 マーシャにはそれが悔しいようだが、すぐに追い抜かれてしまうだろうと思っている。


 トリスはマーシャがどんどん強くなるのが嬉しかったし、それが寂しいとも思っていた。


 守りたいと思っているのに、守る必要が無いぐらいに強くなられてしまったら、自分は一体どうすればいいのだろうと思ってしまうからだ。


 もちろん、マーシャはそんなこと気にしないだろう。


 トリスがここにいてくれるだけでいいと思っている筈だ。


 傍に居て、笑っていてくれるだけで幸せだと言ってくれる筈だ。


 でもトリスはそれだけでは満足出来ない。


 唯一残された守るべき存在がマーシャなのだ。


 だからこそ、守れる自分でいたい。


 戦闘機の模擬訓練を始めたのは同時期だったが、そんなトリスの意地がマーシャよりも少しだけ上達を早めていたことは確かだった。


「今度は負けないからな」


「僕だって負けられないね」


「言ったな」


「言ったよ」


 トリスがこんな負けず嫌いを発揮するのは珍しい。


 マーシャにはまだ負けられない。


 そう思っているのが分かる。


 それが少しだけ嬉しかった。


 ようやくトリスも自分の為の楽しみを見つけてくれた。


 それはトリスにとっていいことだと思うのだ。


 ようやく未来に目を向けられるということなのだから。


 トリスもヘッドセットを装着してから、模擬装置の操縦桿を握った。


 広がる宇宙空間に蒼い戦闘機が現れる。


 データなので、戦闘機のカラーリングは好きに選べる。


 トリスは白にしていた。


 どうして蒼なのかマーシャに訊いてみたら、それがレヴィアースのイメージなのだと教えてくれた。


 蒼というイメージはトリスとはズレていたが、マーシャにとってはそうなのだろうと思った。


 トリスが白を選んだのはそれが未来を示す色のような気がしたからだ。


 白紙の未来。


 どんな色にも染まる希望。


 そんな風に見えたから、これからの自分にとって必要なものだと思ったからそれを選んだ。


 まだ上手く出来ないけれど、未来に目を向けようと思う。


 過去は捨てられなくても、未来に進むことは出来る筈だから。


「いくよ、マーシャ」


「いつでも来い」


 データ上では何キロも先に居るのに、すぐ傍でマーシャの声が聞こえる。


 本当は傍に居る。


 だけどデータ上では遠い。


 そして二人はぶつかり合う。


 模擬戦闘ではあっても、本気でぶつかり合うのは楽しい時間だった。


 誰も傷つかない。


 誰も怪我をしない。


 誰も死なない。


 そんな勝負がこんなにも楽しいものだとは、今まで知らなかった。


 いつまでも遊んでいたいと思えるほどに、充実した時間だった。


 本物の戦闘機ならば違うのだろう。


 だけどこの感覚が楽しいからこそ、本物の戦闘機に乗ってみたいと思う。


 もしかしたらレヴィアースもこんな気持ちだったのかもしれない。


 こんな気持ちで戦闘機に乗っているのかもしれない。


 軍人として働くのは嫌がっていたけれど、戦闘機に乗るのは好きだと言っていた。


 自分の手足として、分身として、宇宙を駆けるのが好きだと言っていた。


 その気持ちがなんとなく分かるのだ。


 トリスは全力でマーシャを倒しにかかっている。


 しかしマーシャも手強くなっているので、簡単には倒されてくれない。


 反応速度と操縦能力の応酬だった。


 そしていつも通り、トリスの勝利で終わった。

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