第10話 新天地と別れ 4
結局、街に出て仕事を探す以外の方針は決まらなかった。
レヴィアースはいつまでもロッティに居られる訳ではないし、面倒を見続けられる訳でもない。
マティルダ達にはどうしても自立して貰う必要があるのだが、見た目も中身も子供である二人にどんな仕事を紹介したものか、悩んでしまうのも事実だった。
子供にも仕事はある。
ただし、お手伝い程度のものだった。
生きていけるほどの金を稼げる仕事は無い。
少なくとも表の仕事としては存在しない。
ならば裏稼業に行くしかないのだが、それも気が進まない。
裏の世界にはあまり関わって貰いたくなかったのだ。
贅沢を言ってられる状況でもないのだが、せっかく助けた子供達には出来る限り幸せになってもらいたい。
こんなことならロッティに送ったりせず、自分の目の届く範囲で面倒を見れば良かったと一瞬だけ思ったりもしたが、すぐに無駄だと考え直した。
どれだけ隠そうとしても、亜人の子供を匿っていることがバレたらタダでは済まない。
捕獲任務に関わっていたとなれば尚更だ。
自分は軍人としてはかなり優秀なほうだと自覚しているので、定期的な監視もついているだろう。
今はただの休暇中なのでそこまではしていないだろうが、日常生活のどこかでは必ず監視の目がある筈だ。
そんな中でマティルダ達を隠し切れる自信は無い。
つまり、現状ではこれが最善なのだ。
自分の目の届かない範囲で行動させることになったとしても、それがマティルダ達を守る最善の方法だと確信している。
このマンションも短期で借りているので、いつまでも居られる訳ではない。
マティルダとトリスの二人で住むにしても、完全前払い制で、保証人が必要ない賃貸にしなければならないので、どうしてもある程度の費用がかかってしまう。
生活に必要な金も稼がなければならない。
当面はレヴィアースが資金を渡せば済むし、それだけの余裕もある。
しかしいつまでもという訳にはいかないのだ。
どうしても二人には自活してもらう必要がある。
しかしその為の方法が見えてこないのが困りものだった。
「私達はしばらく路上生活でも構わないぐらいなんだけどな」
「うん。しばらくはそれで我慢出来ると思う」
荒れた生活には慣れているマティルダ達は、そこまで贅沢は言わなかった。
路上生活ならば、費用は最低限で済む。
それに裏の世界ならば、それなりに住むところもあるだろう。
「それじゃあ助けた意味がないだろ。俺が安心出来る生活をしてくれないと、心配でたまらない」
「………………」
「………………」
本気で心配してくれているのは分かるのだが、少しばかり理想が高すぎるとも思う。
だけど自分達を本気で心配してくれるのが嬉しくて、二人は顔を見合わせて笑った。
レヴィアースに警戒心を抱いたままだったトリスも、この時点で彼を完全に信用している。
彼の持つ不思議な魅力が、疑うことをいつの間にかやめさせたのだ。
傍に居ると安心出来る。
もっと一緒に居たいという気持ちにさせられる。
きっとマティルダも同じ気持ちなのだろう。
レヴィアースは数日後にはロッティから居なくなる。
自分達はそれまでに自立して、彼を安心させなければならない。
それが助けて貰った恩返しとして、唯一出来ることでもある。
しかし裏社会も路上生活も駄目となると、確かに難儀してしまうのだった。
「僕たちの戦闘能力なら、裏社会でも十分に通じるつもりなんだけど」
「うん。闘うことなら得意だ」
「それは十分すぎるほど理解しているけどな……」
げんなりとするレヴィアース。
マティルダに圧倒されていた時のことを思い出しているのだろう。
正規の訓練を受けた軍人であるレヴィアースを圧倒できる子供。
それだけでも驚異的だった。
確かに子供であっても裏社会で通用するだろう。
それでも、レヴィアースは彼らに表の世界で生きて貰いたかった。
我が儘だということは分かっているが、それでもギリギリまでは足掻きたかったのだ。
最終的にはそれしかないという覚悟も決めているが、出来る限りは普通の仕事を探したかった。
少なくとも、それが出来る間は諦めたくないと思っていた。
ロッティの街並みは活気があり、歩いているだけで楽しいものだった。
都市部の風景など知らなかったマティルダ達は興味深そうに見ているが、どこか遠い世界の景色であるという意識も拭えなかった。
これからここで生きていくのだということは分かっているのだが、まだその実感が湧かない。
通り過ぎる人々。
そしてすれ違う人々。
彼らは自分達とは無関係で、日々を平和に生きている。
それが少しだけ妬ましいと思った。
しかし自分達に誰かを妬む資格など無い。
問答無用で、無残な殺され方をした仲間達に較べたら、遙かに恵まれているからだ。
今の幸せを大事にしなければ、助けてくれたレヴィアースに対して申し訳ない。
そういう気持ちを持っていた。
「まあ仕事についてはもう少し探してみるか。正規の求人情報だと難しいが、個人で人手を募集しているところもあるかもしれないし。情報屋を当たれば早いんだが、ロッティはまだ勝手が分からないからなぁ。あと、そういう仕事は大抵が裏の方だし」
嫌そうにぼやくレヴィアース。
表の世界で生きて欲しいという希望をまだ捨てていない。
「レヴィアース。お腹空いた」
マティルダがお腹を押さえてレヴィアースに訴えた。
まだ昼には早いのだが、街を歩き続けたのと、テンションが上がっていたのもあって、カロリー消費が早かったようだ。
「ん? そうか。じゃあ少し早いけど飯にするか?」
「うん。何か美味しいものが食べたいな」
「よし。任せろ」
ロッティのことはよく知らないが、携帯端末を操作してグルメ情報を表示させる。
「二人とも、何が食べたい?」
「僕はなんでもいいけど」
「肉!」
「なるほど。狼は肉食獣だもんなぁ」
マティルダとトリスの見た目は狼ベースの亜人なので、可愛らしい肉食獣を連想させたようだ。
マティルダの方はマンションで食べた肉のレトルト商品が大のお気に入りだったので、他の肉も食べてみたかったのだ。
「よし。じゃあ肉料理でいくか」
「うん。肉食べたい」
「分かった分かった」
キラキラした銀色の瞳でレヴィアースを見上げるマティルダ。
腰巻きで隠している尻尾がぶんぶん揺れているのが分かる。
せっかく人間のフリをしているのに、これじゃあすぐにバレてしまうじゃないかと慌てるトリス。
とりあえず自分の身体でその動きを隠しておいた。
人の視線からマティルダの背中が死角になるような位置に身体を移動させる。
呆れつつも、少しだけ嬉しかった。
マティルダがあんなに素直に笑ってくれているのを見ると、トリスも嬉しくなってしまうのだ。
トリスはジークスに居た頃にマティルダが笑うのを一度も見たことがなかった。
いつも何かに絶望していて、それでも諦めきれずに足掻く姿は知っている。
その姿に憧れていた。
前を見据えて、決して折れない姿を尊いと思っていた。
それはトリスには手の届かない強さだと思っていたから。
だけど今のマティルダは普通の子供みたいに笑ったり拗ねたりしている。
それが当たり前であるかのように振る舞っている。
こんな一面を持っていたのだということに驚き、そして少しだけショックでもあった。
気付けなかったことが悔しい。
そして自分ではマティルダにあんな表情をさせてやれないことが悔しかった。
その点でもレヴィアースには感謝しているが、それでも悔しい気持ちは拭えない。
あの位置には自分が立ちたかったという気持ちも、確かに存在しているのだ。
「………………」
自分の気持ちには少し前から気付いていた。
決して口には出さないと決めていたけれど、それでもああいうマティルダを見ると複雑な気持ちになってしまうのだ。
これからも気持ちを告げることはないだろう。
ただ、ああいうマティルダを近くで見ていられたら、それはどんなに……
「………………」
しかし、それを許さない光景がある。
仲間の死体。
悪意に満ちたジークスの人間。
トリスの思考が幸せに傾こうとすると、必ずその光景が邪魔をしてくる。
忘れることを決して許さない、憎悪の炎がトリスを焦がす。
「トリス?」
そんなトリスの様子にマティルダが気付いて、心配そうな表情になる。
レヴィアースから離れて、トリスの顔を覗き込む。
紫の瞳が戸惑いに揺れる。
「どうした? 調子が悪いのか?」
「……何でもないよ。心配掛けてごめん」
「そうか? 調子が悪かったらすぐに言うんだぞ」
「うん」
素直に心配してくれるマティルダ。
少し前までは自分が嫌いだと言っていた彼女。
そんなマティルダが、心から心配そうな表情を向けてくる。
この短期間で彼女は変わったのだろう。
そしてその変化を否定しない。
ありのままを受け入れている姿が眩しかった。
「ん?」
くんくんとマティルダの鼻がひくつく。
「レヴィアース!」
「どうした?」
「あれ、美味しそうだ」
「どれ?」
「あれっ!」
マティルダが指さしたのは、肉串の店だった。
道沿いの小さな店舗で、数種類の串焼き肉を売っている。
グリルで焼かれている串焼き肉とタレの香ばしい匂いがここまで届いてきた。
「確かに美味そうな匂いだな」
「食べたい!」
「よし。じゃあ買いに行くか」
「うんっ!」
道の向こう側にある店にマティルダはすぐに突撃しようとした。
「って、マティルダ!?」
赤信号の横断歩道をマティルダはすぐに飛び出した。
確かに今なら車は少ないが、あまりにも危険な行為だった。
しかしこれはレヴィアースの落ち度でもあった。
二人を引き連れながら街を歩き回り、横断歩道も何度か渡ったのだが、青信号と赤信号の知識は与えていなかった。
当然、知っているものだと思っていたのだ。
疑問に思わず、二人とも質問しなかったのも理由の一つだ。
しかし閉鎖された環境で育ってきたマティルダとトリスには、横断歩道どころか、信号の知識すら存在しなかった。
横断歩道は向こう側に渡るもの、という認識で行動するようになったが、信号についてはそれほど気にしていなかったのだ。
トリスの方もそれは同様で、どうしてレヴィアースがそこまで焦っているのかが分からずに首を傾げる。
危険性に気付いているのはレヴィアースだけなのだ。
「ちょっと待て、マティルダ!」
「え?」
しかし声を掛けたのが不味かった。
振り返ったマティルダは、迫ってきた車への反応が遅れる。
「え……?」
いつものマティルダならば、それでも余裕で避けただろう。
しかし今のマティルダはレヴィアースに振り返って、意識をそこに向けていたので、迫っている車に対する反応が遅れた。
「マティルダ!!」
レヴィアースが叫ぶが既に遅い。
「っ!!」
小さな身体が派手に吹っ飛ばされた。
「マティルダ!!」
トリスも焦る。
まさかマティルダがあの程度のものを避けられないとは思わなかったのだ。
レヴィアースと一緒に居ることでそれだけ気が緩んでいたのだろう。
それは嬉しいことの筈だったのに、今は焦ってしまう。
その所為でマティルダが危険な目に遭ってしまったのだから当然だ。
マティルダを轢いた車の運転手も慌てて降りてくる。
そして後部座席に乗っていた老人も慌てて車を降りた。
六十を過ぎている老人に見えるが、その動きはしっかりとしている。
着ている服や雰囲気からして、かなり地位のありそうな人物だった。
「大丈夫か!?」
レヴィアースが慌てて駆け寄ってマティルダを抱き起こす。
救急車を呼びたかったが、マティルダ達はレヴィアースと違って不法入国者なので、それは出来ない。
身元が割れたら無事では済まないからだ。
ならばその心配がない闇医者が最適なのだが、ロッティに来たばかりのレヴィアースにそんな伝手は無い。
彼は本気で焦っていた。
助けた命が目の前で失われるかと思うと、怖くてたまらなかった。
「……痛い」
そしてマティルダはあっさりと起き上がった。
「え……」
そのあまりにもあっさりとした様子にぎょっとするレヴィアース。
「急に起き上がって大丈夫なのか?」
「とっさに後ろに飛んで衝撃をある程度殺したから平気。あと、受け身もしっかりと取ったし」
「………………」
とっさの判断でそこまでのことが出来るマティルダに驚いてしまうレヴィアース。
しかし無事であることが何よりも大事だった。
「大きな怪我はしていないんだな?」
「ぶつかった時に結構痛かったけど、我慢出来ないほどじゃない」
「そりゃよかった。まあ念の為、医者には診せておきたいんだよなぁ。どうするか」
レヴィアースが考え込んでいると、老人が話しかけてきた。
「そちらの子供は大丈夫なのか?」
「ああ。急に飛び出してしまって済まない。こちらの管理不行き届きだ」
車の方は信号を守って動いていたのに、マティルダの方が赤信号を無視して飛び出してしまったのだから、被害者側であってもこちらが謝るべきだと判断したレヴィアースは大人しく謝罪した。
「いや。無事なら何よりだ。出来れば示談で済ませたい。警察沙汰になると時間を取られるからな」
「……それはこちらも望むところですが」
確かに交通事故ならば警察が介入してもおかしくはない。
しかし警察も救急車もやってくる気配は無い。
どうやらこの老人が手を回したらしい。
短時間の間に恐るべき手際だ。
あるいは、部下の手際だろうか。
どちらにしても、この老人は相当な地位にあると考えて間違いないだろう。
「それは助かる。ではそちらのお嬢さんも医者に診せる必要があるだろう。車に乗るといい」
「……少々訳ありでして。一般の医者にかかる訳にはいかないのですが」
「……ふむ。ならば我が家の専属医でどうじゃ? 秘密は厳守させるし、外部に漏れる心配も無い」
「………………」
レヴィアースは少し考え込む。
マティルダは平気そうに見えるが、それはそう見えるだけなのかもしれない。
内臓にダメージがあるかもしれない。
レヴィアースとしては一刻も早く医者に診せたかった。
この老人の正体は分からないが、悪人には見えない。
罠だとしても、出会ったばかりの人間相手にそんなことを仕掛ける理由が無い。
だとすれば、ここは素直に従っておくのが最善だろう。
「トリス。構わないか?」
マティルダをこの老人に任せても構わないかどうか、トリスに確認する。
レヴィアースは任せてもいいと思っているが、マティルダにとって最も近い存在はトリスなのだ。
彼の了承を得られないのなら、ついて行く訳にはいかなかった。
トリスの方も老人をじっと眺める。
信用出来るかどうかは分からない。
しかしマティルダを一刻も早く医者に診せたいという焦りはあったので、ここは頷いておいた。
「構わない。マティルダのことは一刻も早く確認したいし」
「だよな。では、お世話になります」
マティルダの方も異論はなかったようだ。
「ちょっと待って」
しかし車に乗り込もうとするレヴィアースを呼び止めた。
「どうした?」
「肉串、まだ買ってない」
「………………」
「………………」
この状況で自分の怪我よりも肉串のことに意識を向けられるメンタルに呆れてしまうレヴィアースとトリス。
しかし安心出来る要素でもあった。
それだけ元気だということでもあるからだ。
少なくとも、何かを食べたいと思える程度には無事なのだ。
それは二人にとって嬉しいことだった。
「トリス。買ってきて貰っていいか?」
レヴィアースはトリスにお金を渡して頼み込んだ。
「分かった。何本ぐらいいるかな」
「マティルダが満足出来る量って、俺には分からないぞ」
「僕にも分からない……。とりあえず、自分が食べる量を基準にして、その三倍ぐらいでいいかな」
「ちょっと待った。飯はきちんとあとで喰うから、とりあえず一本ずつでいいだろ」
レヴィアースの分も含めると三本が妥当だろうと判断した。
「五本食べたい」
「………………」
「………………」
直前に車に轢かれたとは思えない食欲である。
二人は複雑そうに顔を見合わせて、レヴィアースが仕方なく頷いた。
「仕方ないな。トリスも五本食べるか?」
「いいの?」
「じゃあ俺も五本だから、十五本だな」
「分かった」
マティルダの我が儘も快く聞き入れるレヴィアース。
子供が素直に甘えてくるのはなんだか嬉しい気持ちになってくるのだ。
トリスに頼んで十五本の肉串を買ってくる。
パックに詰められた肉串はまだ湯気を立てている。
マティルダはそれを見て銀色の瞳を輝かせた。
早く食べたくてたまらないという表情だった。
「とりあえず、車に乗り込むか」
「うん」
マティルダは自分で立とうとしたが、レヴィアースが抱っこで運んでくれると分かるとそのまま甘えてきた。
誰かに対してここまで素直に甘えるのはマティルダにとっては珍しいどころか初めてのことだが、それが自然なことのように彼女自身は思えた。
ずっとそうしていたくなるのだ。
尻尾が見えていたらぶんぶんと揺れていることだろう。
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