12話 妹・前編
私は妹以上にかわいい生命体はこの世界のどこにも存在しないと思っているので、妹の体の弱さについてはいつも心を砕き続けてきました。
とにかくメアリーは体が弱いのです。
すぐに倒れる、すぐに熱を出す。
ちょっとした運動さえできないようなありさまで、私が今より小さいころなどは『メアリーは親公認でみんなと遊んだり仕事をしたりしなくってうらやましいなあ』などと思ったことも数知れませんでしたが、今にして思えば、なんと失礼なことを思ってしまったのだろうと自分で自分を絞め殺したくなります。
メアリーの体には、どうやら人より多くの魔力があるようなのでした。
魔力というのはみなが普通に扱っているエネルギーなので、それはもちろん多い人も少ない人もいるのでしょう。
しかしメアリーの体にある魔力量は同世代の百倍とか千倍とかで、これはもう『個人差』で済ませられるレベルをはるかに超えており、日常生活に支障が出るほどだったのです。
運動やその他活動、それにより誘発される『興奮』がただでさえすさまじいペースで生成され続ける魔力の生成量を増やし、肉体が耐えきれなくなって意識を途切れさせて自己防衛をする、というのがメアリーの『運動すると気絶して高熱を出す』という症状の正体でした。
数十万人に一人と言われるこの症状の末期は『過剰な魔力生成の反動で魔力生成ができなくなって衰弱するばかりになって死にいたる』ということで、早期に治療のめどが立ったのは、素直に幸運だったなと安堵するばかりです。
「……グレン。メアリーちゃんには、転生を失敗したことにして、お姉ちゃんのふりをして、会ったほうが、いいかも」
メアリーのいる病室に飛び込もうとした私のえりくびをつかんで止め、そんな入れ知恵をしたのは、『海上にたゆたう中つ国』主席魔女こと、シナツ様でした。
シナツ様はこれまでつきっきりでメアリーの治療にあたってくださっていたようです。
中つ国の『魔女』とは『魔力関係全般の専門家』というような知的総合職を示す称号なのでした。
その知識は魔力がからむ限りどのような医者にも勝り、その手腕もまた、知識同様に並ぶ者のないほどなのです。
そんなお方が妹の治療に専念してくださったのですから、私は感動し、平伏し、主席魔女シナツ様のたわわな体に思いっきり抱きついて触手の先っぽにキスをしたいぐらいの気持ちです。
けれど今の私は中身が祖父ということになっているのでした。
十歳(もうじき十一歳ですが)の少女が三十代前半の美女に抱きついてキスをするぶんには『かわいい』で済みますが、生きていれば五十代半ばになるおじいさんが三十代前半の美女に抱きついてキスをすると、その場で社会的に殺されかねません。
私は謝意を示したがる体を心の力でおさえつけて、扉一枚挟んだ向こうで私を待っているはずの妹にさっさと会いたい気持ちまでこらえて、おじさんロールプレイをせねばなりませんでした。
「……そうか。そうだな。そうしよう。それじゃあ行くぞ」
「待って」
魔女様は、先っぽがタコの足のようになった黒い髪を、ウネウネと揺らします。
以前ちょっとお話しした時も思いましたが、魔女様は話をするのがあまり上手ではないようで、いちいち長い沈黙をしてからポツリポツリと言葉をつむぐので、じれったくて仕方がありません。
魔女様は深い漆黒の瞳を泳がせたあと、ようやく私を真正面にとらえて、おっしゃいました。
「一つ、大事なことを言わなければいけない」
「早く言え」
今の発言は基本的におじさんロールプレイですが、半分ぐらい素の気持ちでもありました。
「……あの子は、岐路に立たされている」
もっとこう、本題からズバッと入っていただくわけにはいかないでしょうか?
岐路に立たされている、だけ言われてもどうしようもありません。
『これこれこういう状況にあるので、岐路に立たされている』と言われないと、私としては「岐路?」と問い返すしかないのです。言葉の無駄です。
「……大量生成される魔力を、道具を使って外部に流すことで、症状はかなり安定してきている。でも、あの子の魔力量は『ソロモン病』にしても、異常な部類」
妹の病状は、通称を『ソロモン病』と言うのでした。
「いつ、魔力の減衰期に入るか、全然、読めない。だから、その前に、あの、ちょっと心が揺れ動いただけで、すぐに高熱を発して動けなくなる体で、魔力のコントロール方法を覚えなければならない。そして……それはきっと、つらくて、難しい」
「つまりなんなんだ」
「だからあの子は、選ばなければいけない。つらい思いをして魔力のコントロール方法を覚えるか……道具を使って魔力を吸い出し続け、最終的には魔石の補助でどうにか生きるのに最低限の魔力を外部から得ることにするか」
ソロモン病は魔力が大量生成される時期をすぎると、反動で魔力が全然生成されなくなり、衰弱して死にいたります。
その衰弱死を防止するために、外部から魔石をはじめとした魔力補助の道具などで、魔力を取り込んで生命維持をする方法がとられるらしいのです。
というか私にソロモン病の知識がなかったら『最終的に魔石の補助でどうにか』と言われても伝わらなかったので、魔女様はあまり会話がうまくないのだと思います。
「……グレン、あの子に選ばせてあげて。今、死ぬかもしれないつらい想いをして魔力のコントロールを覚えるか、一生、道具をつけて生きていくことにするか。……まだ幼いけど、あのぐらいの年齢なら、自分が生きる道ぐらい、自分で選べる……と、思う」
話すたびに情報が出てくるので、もう二、三会話をする必要がある気がしました。
魔力のコントロールを覚える過程で死ぬかもしれないとかいう話は本気で初めて聞いたのです。先に言え。
思いがけず押し寄せてきたシリアスに私は窒息しそうでした。
妹はまだ九歳なのです。今年、十歳を迎えるはずなのです。
それでもなお自分の生きる道を自分で選べるというのは、『人類の脅威』討伐の旅に同行した当時、シナツ様がそのぐらいの年齢だったからの発言でしょう。
まったくもって正しいと思います。
私の中でシナツ様への好感度がぐんぐん上がっていきます。
子供だって人生を選べるし、子供だって大人をだまくらかして味方に引き込めるし、子供だって地域一帯を裏から支配することもできるのですが、大人はそのことを認めようとしないのです。
私は重苦しくうなずいて病室に入りました。
そこにはベッドに横になった妹がいて、彼女の右手首からはキラキラ輝く糸が延びており、その糸は部屋奥の大きな魔導具につながれているようでした。
私はグレンの乗り移ったアンだけどアンのままのフリをしながら妹に話します。
余計なあいさつも再会を喜ぶハグもありません。
その前にシナツ様からうかがった話を伝えておくべきだと判断したからです。
私は『死ぬかもしれない』というあたりまで包み隠さず、シナツ様にうかがった話のいっさいを妹に語りました。
妹は目を閉じて、目を開けて、自分の右手首を見て、そこにつながれた輝く糸を見て、そして、糸の先にある魔導具を見ました。
そして、言いました。
「お姉ちゃん、私、魔力のコントロールをおぼえる。そんでね、このいっぱいある魔力を扱って、世界一の魔女になるよ」
ならば私は彼女の希望を叶えるため努力するだけなのでした。
……ふと、全身から力が抜けます。
なぜだろうと考えて、考えて、ようやく、気づきました。
私が生涯をかけて達成すべき目標が、今、消え去ったのです。
妹の重い病気を完治、あるいは対処するため、私は私の人生を懸けてなんらかの方法で治療費を稼ぎ続けるものだと思っていました。
ところがその問題はフッと私の手を離れたのです。
それは地面のない空中に放り出されたかのような、開放感と不安感をともなうものでした。
私は宙ぶらりんになった気持ちのまま妹に向けてうなずきました。
病室を出るまでの他愛ない会話も、記憶にありません。
私の一生涯を懸けるはずの目標は、こうして、不意に達成されたのでした。
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