第14話二人、試験再び
「面倒なことになったわね」
城から二時間をかけて、ホルンとミザロッソの二人は村を訪れていた。
馬車ではない――ケテルには城を掃除しておいてもらいたいし、御者を雇おうにも村人は城に近付くことを許されていない。
禁じた伯爵は安息の地に旅立った。ミザロッソが正式にクロック伯爵の地位を受け継げば改訂も出来るだろうが、今のところはこの不便は甘受する他無いだろう。
仕方なくホルンは黒毛、ミザロッソは白馬にそれぞれ跨がり、森を駆けてきたのである。
用意していた乗馬服に着替えたミザロッソのぼやきに、ホルンも同意のため息を返す。
「気楽な乗っ取り話だと思ったんだが」
「不用意な発言は止めて。これ以上面倒を増やしたら、あんたの顔に口をもう一つ生やしてやるわよ」
「……やれやれ。上手くいってると思ったんだが、『お義父さん』の方が一枚上手だったな」
くるりとステッキを回しながら、ホルンは馬を降りる。
先代のものだというステッキには真鍮の蝶が飾られていて、軽さといい丈夫さといい、中々扱いやすい。具体的な価値などは芸術に疎いホルンには良く解らなかったが、少なくともナイフよりは貴族らしい護身用品と言えるだろう。
「何事にも慎重な人、だったようね」
ホルンの手を借りながらも、ミザロッソは身軽な仕草で馬から降りた。「だからこそ、娘の失踪には随分慌てたようよ」
「慎重さが臆病の部類にまで暴走したようだな、まあ、一人娘がいきなり居なくなればそりゃあ堪えるか」
「良い迷惑ね、正しくとばっちりだわ。ミザロッソが私じゃなかったら、どうする気だったのかしら?」
「ゾッとしない話だな」
確かに、もしも本物のミザロッソが別にいて、彼女が意気揚々と故郷に帰ってきたらどうなっていただろうか。
多分、大岩に潰されていただろう――その他の偽物たちと同じように。
「結局、私たちしかいないのよ。ミザロッソ・クロックとして私は申し分無いし、あんたも……まあ、見られる格好ではあるわ」
「そりゃあどうも。こんなぴちぴちのズボンを履いた甲斐があったよ」
「あんたはペチコートもコルセットも無いでしょ、甘えないで。私なんか、こんなに動きやすい服は滅多に着れないんだから」
「はいはい、そんじゃあまあ、なるべくのんびりと片付けますか。先代閣下の宿題をね」
開いた羊皮紙には、丁寧だが癖の強い英語がびっしりと書き込まれていた。
文面をちらりと見て、ホルンはミザロッソに放り渡す。
「……何よ」
「君宛だ」
短く告げると、ホルンはカップを手にそっぽを向く。ケテルも気を使ったのか、一礼してそっと食堂から退室した。
……文章の最初には、こう書いてあった。『おかえり、私の愛する妖精。今はきっと、美しい貴婦人に成長しただろうね』。
その後も連綿と続く伯爵からの手紙は、ホルンをして、自分が読むべきものではないだろうと思わせる。
これは、ミザロッソ・クロックが読むべきものだ。その願いに正しく報いることが出来ない以上、せめてもの償いとして最も成功な模造品に読ませたいと思うくらいには、ホルンにも情動の持ち合わせがあった。
「…………もう良いわ、
「そうか」
振り返った先の瞳がやや潤んでいるように見えたのは、ホルンの願望だろうか。
とにかく、ミザロッソは取り乱すこともなく手紙の後半を読み始めた。
「これによると、私たちはさる有力者の同意を得なくてはならないようね」
「保証人というわけか、分かりやすいね」
「分かりにくいのは、その相手よ。ここには四人分、集めなくちゃいけない証について書いてあるわ」
「成る程、その証とやらを見事譲り受けることが出来れば、僕たちには『資格有り』と認められるって訳だ」
思っていたほど、厄介な話ではなさそうだ。「その相手というのは?」
「それを探すのも、試験の内みたいね。良い、読み上げるわよ――『鋼鉄の火番、神罰の担い手、新緑より求める声、大地を無くす者』、以上よ」
「……なんだって?」
随分と大袈裟な名前が並んでいるが、神話の悪役か何か。
投げ返された羊皮紙を見ると、それぞれを象徴するらしい詩と共に、確かにその名前が書き連ねられていた。
「暗号か……ミザリィ、思い当たる節は?」
「無いわ。手に入る限りの文書や書状は頭に叩き込んでるけど、こんな名前はどこにも出てきてないと思う」
「とはいえ、全くのデタラメという訳でもない筈だ。何か手掛かりがあると思うんだが……彼の書斎に辿り着くには、まだ時間が掛かりそうだな」
例えば日記か何か見付かれば、読み解くヒントくらいは手に入ると思うのだが。
せめて取っ掛かりが無いとお手上げだ。
「……こうなったら、今のところ、記憶喪失役の御嬢様よりも伯爵のことを知っていた人物の話を聞くべきだな」
「それって、まさか……」
ホルンはにやりと笑い、ケテルの後を追うために立ち上がった。
その結果として、ホルンたちは村に戻ってくることになったのだ――先代はとかく村人との交流を楽しんでおられました、という、クロック家に忠実な従僕さんからのご意見に従う形である。
「村人に、そんな異名が付いてるのかしら」
「さあね。あの御者の老人は、どうも只者じゃあなかったが……しかし」
「好ましく思っていた村人に、あんな、恐ろしい響きの渾名をつけるかどうか、ね?」
まあ、そういうことだ。
勿論人のネーミングセンスなんて各人それぞれで、伯爵がポエムのように大袈裟な言い回しを好んでいた可能性はある。だが果たして、こんな重要な試験にそういう解りにくさをわざわざ持ち出すだろうか。
人の行動には理由がある、それも、伯爵のように賢い人物ならば尚更理屈っぽい理由が存在する筈なのだ――それが衆人に理解できるかどうかは別にしても。
「解りにくいことそれ自体に何か、意味があるのかもしれないな」
「例えば、どんな意味?」
「あー、うーん、そうだな……例えば、解りにくい問題を考える根気を試すとか」
馬上の風で乱れた赤髪を直しつつ、ミザロッソは呆れたように首を振った。
「日曜学校じゃないのよ、根気で貴族は務まらないわ」
「解ってる、思い付いたことを言ってみただけだろ」
「他に何も思い付かないなら、思い付きそうな人を探しに行くけど良いかしら?」
「喜んで。先ずは、酒場だな」
「酒場って……人が集まるだろうっていうのは解るけど、まだ昼よ?」
「もう昼だ、だから行くんだよ」
いい加減、腹が減った。
ホルンが言うと、ミザロッソは再び呆れたようにため息を吐いた。その時。
「「……あ」」
誰かの腹が、大声で鳴いた。
「これはこれはお嬢様……っ!?」
「はは、どうも……」
いかにも陽気そうな顔の店主は、顔の通りの陽気さでミザロッソを出迎えた後なぜか、ホルンをじっと見ながら固まってしまった。
「あ、あの?」
「っ!!」
「あ、ちょっと!?」
ようやく動き出したかと思うと、店主はそのビア樽めいた巨体を思った以上の機敏さで揺らしながら、村の奥へと走り去ってしまう。
呆然と後ろ姿を見送るホルンが我に返ったときには、彼は近くの家に飛び込んでいた。
「……傷付くな」
「ふふっ、やっぱり、性根の粗暴さが伝わったのかしら?」
「冗談だろ、こう見えて俺は、信用を担保に金を稼いで生きてきたんだぜ?」
「ろくでもないわね、婚約は早まったかしら」
冗談を言いながら、ホルンは軽く顔を撫でる。少なくとも女性には人気の顔だ、そんな、見ただけで逃げるような強面ではない筈だが案外、田舎では都会と勝手が違うということなのかもしれない。
それに、自分の立場は今のところ伯爵令嬢の婚約者だ。いきなり現れて歓迎できるほど、支度が整っていなかったのかもしれない。
「店員くらいはいるだろう、入ろうぜ」
「そうね。ごめんくださいな」
「いらっしゃ……っ!?」
「おっと、勘弁してくれ」
店主の再演よろしく身を固くした年若い女性店員に、慌ててホルンは両手を挙げた。「どうか落ち着いてくれ、僕たちは昼食を食べに来ただけなんだ」
少なくとも料理を作ってから逃げ出してくれ、そんな祈りが届いたのか、少女はぎくしゃくとした動きながらも頷き、無人の店内を指し示した。
「ど、どうぞ……まだ、その、シチューは仕込み中ですが……」
「軽いものでも何でも構わないわ、朝食を食べそびれてしまったの」
「で、でしたら……昨夜の串焼きが残っておりますので、焼きましょうか? それと、黒パンですがご用意できます、お、御嬢様」
「有り難う、とても助かるわ」
「飲み物は何かあるかな、茶か、エールでも」
「え、エールなら、ごよ、用意できます」
「素晴らしいね、頼むよ」
がくがくと壊れた玩具のように激しく頷くと、少女は厨房へと消えていった。
その不自然な歩き方を眺めながら、ホルンはやれやれとばかりに軽く、首を振る。
「随分と緊張していたな」
「まあ、あれだけ若いと代替わりも経験していないでしょうしね。都会への憧れもあるでしょうし、突然現れた主人というのは警戒されるものよ」
ミザロッソは気にも留めず、入り口から程近いテーブル席に座る。
その仕草には他人への無関心が自然に含まれていた。あまりにも自然すぎて、それが全く嫌みでないくらいだ。
「そんなもんかねぇ」
貴族の典型を見せつけられたホルンは、肩を竦めながらもそれに倣う。「何て言うか、そういう感じじゃあなかったけど……っと?」
バタバタガタンという、騒々しさの手軽な演目が迫る。
音だけで判断するなら三人。それも、ごろつきよりも喧嘩慣れしていなそうな足音だ。
ステッキを何気無く手元に引き寄せながら、ホルンはゆっくりと、出来るだけ優雅な動作で振り返った。
「……何事かな」
予想通り三人、現れた中年の村人たちにホルンは冷ややかな目を向ける。「僕たちは、その」
「ほら見ろ、やっぱりだ!!」
そう叫んだのは、酒場の主人らしき肥満気味の男性だ――先行して逃げ出した彼は、自ら呼び寄せた援軍たちに大袈裟な身振りで力説している。
二三杯引っ掛けたのかと思うくらいに頬を紅潮させながらの熱弁は、誰の目にも明らかな戯言だったが――この場に限っては真逆の説得力を持っていた。
何しろ三人の目の前には、証拠が存在していたのだから。
一人が、ホルンの上着を指差しながら残る二人に叫ぶ。「このジャケット! 伯爵様が着ていた燕尾服だろう?」
一人が、ホルンの手元を見ながら飛び上がらんばかりに狂喜する。「あのステッキ! 伯爵様が良く振るっていらした!!」
そして一人が、ホルンの前で膝をついた。「そのお顔! 伯爵様と同じ、正しく聖人の顔立ちじゃ」
「ということは……」
「ということ、ですよね……」
「と、いうことじゃろう」
三者三様各々の方法で感情の爆発を表現した後、彼らは揃って顔を見合わせる。
ひそひそとこそこそと、している側には数秒なれどされる側にとっては居たたまれない時間の内緒話を経て、三人は、一斉にホルンの前に跪いてその手を確りと握り締めた。
「森に妙なもんが出るのです!」
「庭先の畑が、どうも調子が……妙でして」
「村には色んな問題が溢れておりまして……どうぞ、お力添えを……」
「「「《《伯爵様のように》、よろしくお願いします!!」」」
彼らは異なる作法で、しかし同様の思いを、願いを込めてホルンを見上げている。
その真摯さは全く曇りなく、そして疑いがない尊い祈りが籠っている――それは殉教者のごとき様だ。
裏切られたことがないから、裏切られることを想定せず、裏切りを恐れずに無防備な信頼を向けることが出来るのだろう。
その、無辜なる願いを前にして。
無防備なる信頼を前にして。
ホルンは、言った。何もかも、貴族の演技さえも忘れて感情の赴くままに短く、こう言った。
「…………はあ?」
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