第13話二人、話。
「御嬢様、旦那様」
結局連れ立って戻ったホルンとミザロッソの姿を見たケテルが浮かべた笑みは、常の微笑よりは多少安堵しているように見えた。
浴場での会話から、未来の主人夫婦の間に愛情がないのではと不安だったのだろう。政略結婚は貴族に付き物とはいえ、仕える身としては仲睦まじい方が色々と都合の良いものである。
「お湯加減は如何でしたか? お着替えも、サイズが合ったようで何よりです。あ、時代遅れであることはご容赦ください。何しろ先代は、歴史的な服装を好んでおられましたので……お二人の服の裁縫技術は解析しましたので、御命令とあらば仕立て直し致しますが……」
「お、落ち着いてケテル」
微笑んだままの、変化に乏しい表情なので解り難いが、どうやら相当嬉しかったらしい。
淡々とした口調はそのまま早口で捲し立てるケテルを、ミザロッソは苦笑混じりに制する。
これが人間ではないだなんて、全く思えない。
「失礼しました、つい」
表情こそ変えずに片手で口を押さえる様は、中々にシュールだった。「すべきことに優先順位を付けておりましたので」
「その辺りは任せるわ、私もこの人も、廃墟を住める城にする方法には詳しくないもの」
「畏れ入ります。では、特に重要と思われる部分以外はケテルの裁量で判断しても?」
「任せるわ、良いわよねホルン?」
「勿論だ」
寧ろ、指示を要求されても困る。「因みに、今現在最も優先していることは何かな?」
出来ればまともな寝室の確保であって欲しいが、そもそも掃除がどこまで終わっているのか解らない。
ケテルに任せて爆睡していた身としては、あまり口を出せることでもない。貴族の城であれば寝室は当然上階だろうし、となると階段を掃除し終えてから部屋に移ることになるから、侵攻目標としては大分後になるだろう。
ホルンの内心を察したのか、ケテルは申し訳なさそうに肩を下げる。
「先代もお使いになられていた寝室は四階に御座いますが、生憎、未だ二階までしか掃除は済んでおりません。御使用には今暫くの猶予を頂ければと……」
「構わないわ、着替えが確保できただけでも充分よ」
「そうだね、着替えには驚いたよ」
濃い緑色のズボンにシャツ、ジャケットという簡素な組み合わせはケテルの言う通りやや、時代遅れの型ではあるが随分と清潔で、シャツなど糊がしっかりと利いている。
昨日の惨状からこれだけの物が見付かったのは、最早奇跡に近いだろう。
「恐れ入ります。衣装部屋には幸い、封印が残っておりましたので」
「封印?」
「機密保持の一環です」
「ふむ……君の実家は、中々に防犯意識が高いね」
ホルンは冗談めかして、ミザロッソに水を向ける。「財宝を溜め込む竜のようだ」
「あら。誰だって鍵は掛けるでしょう? それがちょっと大袈裟なだけよ、我が家は」
ホルンに向けられた弾けるような笑顔には、余計なことを言うな、と書いてある。
書いてあるだけだ、言われてなければ従う義理はない。
「財政状況というのは大事なことだよ、我が婚約者。今回は君の家に私が入ることになるから持参金を考えないのは解るがね、だからといって金庫の中身を見もしない、とはいかない」
そうだろう、と言えば、彼女は頷くしかない。
何しろこれは間違うことなく正論だ。
貴族同士の婚約には家の事情が大きく絡む――家柄や血筋といったことは勿論だが、実のところそんな、後から書類でどうとでも捏造できる問題などよりも余程重要な問題がやはり、金だ。
相手の家がどれ程の財産を持っているか。それによって持参金の額は変わるし、自由にできる割合も変動するのだ。そも結婚式の費用だって、どちらがどれだけ持つか決めなくてはならない。
……勿論。
ミザロッソの婚約は遺産獲得のための方便に過ぎないし、ホルンはグレンフィデック家と知り合いでさえない。
両家の話し合いだとか金銭面の打ち合わせなんて正しく無用の長物。何しろ、本当には結婚しないのだから。
だが、考えなくて良い事ではない。
相手を騙すには自分を騙すことだ。自分が本当に結婚するのなら何をするか。どんなことが気になって、何を用意しなくてはならないのか。なりきらなくては、いずれ何処かでボロが出る。
「旦那様の仰る通りです、御嬢様」
当然、ケテルは賛同する。「本日中には書斎までの道程を確保できるでしょう、そこで帳簿をご覧になり、決めるべきです」
「……そうね。ごめんなさい、考えが足りなかったわ」
「帳簿の件もだけどもう一つ、教えて欲しいことがあるんだが」
「ケテルのことですね?」
まあ、予想していたのだろう。
少なくともホルンは完全な部外者であるし、ミザロッソ・クロックにしても実家を離れたのは六歳の頃だ。そのあと十五年生死不明となれば、御家の事情など知らなくて当然。
「【マギアネット】という単語は聞いたよ」
ホルンは手近な椅子を引き、腰を下ろす。手短な話ではないだろう。「君がそうなのか?」
「……御嬢様?」
「構わないわ、私も聞きたい」
「畏まりました」
ミザロッソのために椅子を引いたケテルは、静かに微笑む。
「では、先ずは紅茶でもお入れ致しましょう。少々、長い話になりますので」
ウェッジウッドに注がれた夕焼け色の液体は、芳醇な香りを孕んだ湯気を放つ。
砂糖もミルクも勿体無く思えるような香りを味わう余裕もなく、一息で飲み干すと、ミザロッソがため息を吐いた。
「喉が乾いてたんだ、仕方がないだろう?」
「気が回らず、申し訳ありません」
何故かケテルが頭を下げる。「お目覚めになられた時点で、水の一杯もご用意するべきでした」
「……貴女には、その必要はないの?」
「はい……いいえ。全く必要ない訳ではありませんが、人間ほどの頻度や量を必要とするわけではありません――カップ一杯の水であれば、一月ほどはもつでしょう」
余程のダメージが無ければですが、というケテルの首からは傷が跡形もなく消え失せている。繋がっているのが不思議なくらいの傷だったというのに、今では、その記憶が不自然な側である。
再生したのか、それとも修復したのか。
「【魔導人形】と言っていたが。詰まり君はその、所謂からくり人形というやつなのか?」
「歯車を組み合わせて人のように動く機械ですね? はい、あれと良く似ております。違いがあるとすれば原材料と、ネジを巻く必要がないことくらいでしょうか」
それよりもっと大きな違いがあるように、ホルンには思えた。
だって、人形は喋らない。動くかもしれないがそれは一定のパターンで、歯車を組んだ時点で決められてしまう。
「だが君は話すし、さっきなどは自分自身の裁量で判断すると言っていた。人形にそんなことは不可能だと思うが……」
「そこは、原材料の問題です。例えば歯車だって数を増やし複雑に組み合わせれば、動きだって幅広くなるでしょう。それに、通常人形にはないパーツも、ケテルには組み込まれていますので」
「原材料……魔法使いの何か特殊な道具とかなのか?」
少なくとも名前に【
「それは――」
「少なくとも、動力には使われていると思う」
一瞬答えに詰まるケテルを遮るように、ミザロッソが口を挟んだ。
叡智を湛える星碧の瞳が、値踏みするようにケテルを観察している。彼女の痩せぎすな体の奥に、何が眠っているのか、赤髪の魔女には筒抜けらしい。
「【竜玉の紅】、かしら。それだけ濃厚な魔石は久し振りに見るわね。そこに込められた神秘が、貴女のダージリンってわけね」
「魔石? 魔石機関の燃料か」
貴重品だな、と嘯くと、骨董品よとミザロッソが断じた。
「列車を動かしたり、井戸や上下水道でも構わない。この規模の魔石をインフラで運用するならともかく、個人の従者に使うだなんて、贅沢すぎて目眩がしてくるわ」
「ご安心下さい、コストに見合う成果をお約束致します」
「確かに、彼女は優秀だと思うが」
「そういう問題じゃあないの。そうね……例えるならこれは、モナリザを焚き火にくべて暖をとるようなものなの。魔石そのものが貴重過ぎて、釣り合うかどうか論ずるまでもないような話なのよ」
世界に二つとない美術品を引き合いに出して、ミザロッソはその蛮行に憎しみを投げた。「制作者は何を考えていたのかしら」
多分、とホルンは思った。
ケテルのような存在を量産した者の考えは解る――残された文章によれば彼女らは軍として運用されていた。
力強く、素早く、更にあれだけの耐久力を持った軍隊であれば、
そしてそうではなく、ケテルを最初に造った誰かの考えも何となく、解る。
これだけの魔力量があればヒトの
素材の価値も、稀少性も、倫理道徳経済観念ありとあらゆる社会的感性の全てを無視するだろう――『汝、神の御技を体験せん』とは、何とも抗い難い誘惑である。
「事実、この国が今の形を保っていられるのももしかしたら、彼女らのお陰かもしれない。そう考えたら魔石くらい、安いものさ」
滅んでしまえば、財宝も意味がない。
納得しきれないのか渋面を浮かべるミザロッソのカップに、ケテルが静かに紅茶を注ぐ。そういう意味ではこれは、随分と贅沢な紅茶と言えなくもない。
「『かつて大戦でも活躍した非常に貴重な人形兵器にして極めて有能なメイド』、君の自己紹介はこんなところかな?」
「概ねその通りです、『クロック家に忠誠を誓う』という一文を付け加えていただければ完璧でしょうか」
「詰まり、ミザロッソの忠実な従僕か」
「いいえ」
悪くない、と頷きかけたホルンの言葉にケテルは首を振る。「クロック家に、です」
「……何だか、嫌な予感がしてきたんだが」
わざわざ訂正するケテルの口振りには何か、厄介事を匂わせるような気配が混じっている。単純に熱心な
何かがある、未だ、自分達の知らないクロック家のルールという奴が。
「どういうこと、ケテル? 私の記憶が確かなら、洞窟の試練を越えた私はもう、クロック家の当主として認められる。貴女がクロック家に仕えるのなら同時に、私に仕えることになるのではなくて?」
「『はい』、そして『いいえ』とケテルは解答しなくてはなりません。御嬢様、御嬢様の仰ったことは半分だけ正確ですが、半分は不正確となっております」
「家に上げて貰えたから、受け入れられているとばかり思っていたよ」
「本来はそうなのですが。今回に限り例外的な措置が取られることになってしまいました」
「ははあ、成る程。遺言状だな?」
仰る通りですと、ケテルは深々と頭を下げ。どういうことよと、ミザロッソは顔をしかめた。
「半分とは詰まり、『試練を越えれば跡取りとして認められる』、『認められたら従う』のは正解。それなのに半分間違っていて、更に今回限りということは、詰まりそういうことだろう。先代クロック伯爵、君のお父上が遺言状を使って例外的に何か、追加の試験を用意したんだろうね」
「どうして、そんな真似を……」
「それは勿論君のせいだろう」
故クロック伯爵の身になってみれば簡単な話だ、聡明だった彼は自分の娘が行方不明になった後、冷静な悲観と共に奇跡の生還を祈っていた筈である。
その、親ならば誰もが抱く希望はしかし、伯爵の持つ知恵と、地位に対する責任感によって水を差されることになる――もし。
もし本当に娘が帰ってきたときにどうするべきか、という疑問だ。
消えた娘は未だ幼く、正当な伯爵令嬢としての教育は勿論、【
一軍として戦争さえ可能な人形群を所有するに当たって、全くの素人に何を期待できるだろうか。精々が悪用しないで欲しいという程度で、それでさえ守られるかどうかは絶望的だ。
ならば、どうする。
洞窟の試練は能力だけは証明してくれるだろう――だが、その人物の魂が果たして重荷に似合う善良さを持っているかは、岩は測ってはくれない。
「だから、伯爵は用意したんだろうね。能力だけではなく、クロック家を背負うに相応しい精神を持ち合わせているかどうかを調べる、特別な機会を」
「先代がどのようなお考えであったか、ケテルごときには解りませんが」
表情を微笑みから変えないまま、人形は鷹揚に肩を竦めた。「少なくとも結果としては旦那様の予想された通りです」
「試験の内容は?」
「ケテルには知らされておりません、ただ、これを渡すことをケテルたちは誰もが命じられています」
灰色のメイドが差し出した、酷く古びた羊皮紙の巻物。
その結び目からは、やはり厄介事の気配が濃厚に漂ってきていた。
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