第11話二人、城。

 クロック家の所有する領土は首都から見ると酷く南寄りで、港を有する別の貴族領と国王領との間に存在している。


 地形としては深い森林、それと湖。

 領地の北端は険しい山脈で、谷間を走る山脈列車を除けば通行は便利とは言い難い。その、頼りの列車でも冬場は、線路の凍結と積雪によって頻繁に遮断されてしまう。

 その上目立った資源産出の見込みもなく、唯一豊富にある木材も蒸気機関最盛期ならば兎も角、今ではそれほど重要視される代物ではない。一応山脈では鉄が採れるようだが、質も量も大したものではない。


 総じて言えば、辺境の枯渇地帯。

 だからこそホルンたちは、首都の目も遠いこの地に目を付けたわけだが――その分、リスクに見合う程度のリターンしか望み得ないだろうと考えていた。


 ところが現実としては、リスクが想定を越えつつある。

 少なくとも当初としては、大岩に追い掛けられることなどホルンは想定していなかった。それはまあ、多少証明の儀式はあるものだろうとは思っていたが、それだってミザロッソがこなすのだろうと高をくくっていた。

 軽く見ていた。侮りは意気揚々とホルンにしっぺ返しを食らわして、遍歴の不死者に絶望を教えつつある。


 人生の真理だ、リターンには見合うリスクがあるが、リスクを負ったからといって見合うリターンは保証されない。

 馬車に揺られる間、骨折り損のくたびれもうけ、という言葉がホルンの頭には何度も鳴り響いていた。


 だからこそ。


「御待たせ致しました御嬢様、そして、旦那様。に到着致しました」


 ケテルに促されるまま馬車を降りたホルンは、その偉容に正直圧倒されていた。

 これだけの田舎なら城と言っても、精々が大きめの館程度だろうという予想は見事に裏切られた形である――これまで見たどの城よりもクロック城は大きく、そして異様だった。


 茸の原木のようだと、ホルンは思った。普通の城に比べて、塔がやけに多いのである。

 尖塔から更に小型の尖塔が生えている場所さえある。繁盛しているバーの店員が芸術的な方式で、グラスを、信じられないほど大量に運ぶのを見たことがあるが、イメージとしては正しくそれである。


「…………」


 こりゃあすごいな、と呟こうとしたホルンは、続いて降りたミザロッソの横顔に慌てて感嘆を呑み込んだ。

 思い出した。

 今の自分は北方の大貴族、グレンフィデック家の次男坊だ。この程度の規模見慣れていますとばかりに、余裕の笑みを浮かべて見せる必要がある。


「いかがでしょうか、旦那様?」

 タイミングを見計らったようにケテルが尋ねる。「勿論、御身のご実家には及ばないでしょうけれど」

「いやいや、中々のものだよ。独特な形状だ、率直に驚いている」


 余裕とは、相手を認めて誉めることだ。貶して貶めることは自分の格を高めはしない。

 こんなものだろうかと、答えを求めてミザロッソを見る。が、彼女はホルンには目もくれない。ただ鋭く、強く。睨み殺しそうな視線を城にぶつけているだけだ。


「御嬢様は――」

「……私の実家よ、六歳で離れたとはいえ、忘れられるものじゃないわ」


 ケテルに答えた時にはその憎悪も鳴りを潜め、肩を竦めながらも涼しげな微笑さえ浮かべていた。だが――。


「……もう夜も遅いわ、出来れば早く休みたいけれど、そうもいかないわよね」

「申し訳ありません、御嬢様」

「ん、そうなのかい?」


 城に着いたのだ、城に。ベッドだろうがソファーだろうが、好きに寝れるのではないか?

 ミザロッソから返ってきたのは、呆れと侮蔑に満ちた視線だった――要するにお決まりの前菜だ。


「同期した記録によれば、旦那様。先代クロック伯が亡くなったのは今から三年程前になります」

「あぁ、僕もそう聞いている」

「……そして、村人は森の半分より奥には入れません」

 それが、と問い返すホルンにケテルは無表情のまま答える。「詰まり――お二人は三年ぶりの来訪者ということです。それまでの間、この城に管理者は不在だったのです……まあ」


 入れば解りますよと、いまいちピンと来ていない様子のホルンにケテルは付け加えた。

 それから、細かい彫刻の施された門に両手を添えると、軽々と押し開ける。

 時間の流れに置いていかれた蝶番がけたたましく目覚めの歌を叫び、鼻につくかび臭い空気があふれ出る。


 そうか、と漸くホルンは気が付いた――

 ケテルは一瞬だけ苦笑を浮かべた、気づくのが遅いのではありませんかと言うように。

 とはいえそうは言わず、彼女は、開け放たれた扉の前で振り返ると優雅な仕草で一礼すると、こう言った。


「ようこそ、そしてお帰りなさいませ、新たなる主たち。先ずは、掃除からお願いします」









 主役も退席し、宴は終わりに近付いていた――基本的に娯楽の乏しい村だ、新たな主の登場は村人を熱狂させるのに充分な話題だったが、酒を浴びるほど飲んで吐く寸前まで食えば流石に色褪せる。

 そういう意味では、の退場は実に完璧なタイミングだった。燃え広がった情動が鎮火し始めるその寸前で、颯爽と立ち去ったのだから。


「……ふん、流石に鼻が利くな」

「ほうほう、そうですか?」

「っ!!」


 呟いた老御者に応じたのは、彼が最も聞きたくない声を放つ、彼が最も見たくない顔。心の底から楽しそうな声の癖に、笑顔を表面に貼り付けた顔だ。

 世界で最も信頼され敬愛される衣装を纏った神の僕は、肉汁の滴る骨付き肉を片手に、きょろきょろと辺りを見回している。


「あれ、もしかして宴ってもう、終わっちゃいましたか?」

「たった今な」

 名残を惜しむ気持ちは、老御者の裡から消え失せている。「ここにはもう、お前を楽しませるものは何もない」

「そうみたいですね」


 まばらな人影も、覚束無い足取りで家路に就いている。片付けのように面倒な、何もかもを明日の自分に投げ付けて。

 彼らは眠るだろう、そしてこいつは、人々の穏やかな眠りに祈りを捧げることに喜びを見出だすタイプではない。


 逆にだからこそ、老御者は首を傾げる。こいつは、お楽しみを見逃す迂闊者だったか?


「……お前、お嬢様には会ったのか?」

「『お嬢様』、ですか。ふふふ、いえいえ、残念ながら」

 少しも残念でなさそうに言うと、残念な表情を浮かべる。「シスター・マドレーヌに用事を言いつけられてしましまして」


 シスター、あの老婆。こいつの扱いを良く心得ている。良くも悪くも義務に拘るのは、こいつの特徴だ。

 乱雑な仕草で肉を頬張りながら、行儀悪く喋る神父から、老人は嫌そうに距離をとった。


「だから急いで用事を終わらせたんですけどね、間に合うかなと期待したんですが」

「それは、残念だったな」

 カップに残っていたワインを一息に飲み干すと、老人は久し振りに爽快な気分で笑った。「二人は既に城に向かった。まあ、そろそろベッドに入っているだろうな」









「ベッドは何処だ……」


 落ち葉を退かし、腐りかけた床板を踏み抜かないよう注意しながら、ホルンは呻く。

 どちらかと言えば体力に自信はある方だが、今日一日の騒動を思い起こせば柔らかい、暖かなベッドに横たわりたいというのは贅沢な願いではないだろう。


「寝室は三階となっております」

 無慈悲にも、ケテルが告げる。「階段をのは少々骨だと思われます」

「……食堂で寝るしかなさそうね」


 比較的無事な玄関ホールから頑として動かないミザロッソが、自分のトランクに腰掛けながら優雅なため息をつく。

 手伝え、と言いたいところだが、ここは名目上彼女の城で側にいるのは彼女のメイドだ。ケテルが作業している以上、その主人にまで労働を課すのは貴族的マナー違反である。

 ……幸い、戦闘中の言葉遣いは闘争の興奮ゆえと誤認して貰えている。間も無く終わるとはいえ、ここからは貴族らしさを全面に押し出そうと決めているホルンとしては、余計なことは言えない。


「毛布くらいなら見付からないかしら」

「どうかな……それにあったとしても、まともな状態とは思えないが」


 足元の絨毯は半分以上が朽ち果て、残った部分もじっとりと湿っている。

 天井が崩れているわけではなさそうだが、窓ガラスは尽く割れている。雨風が滞在したのは短い時間ではなさそうだ。


 布は腐りやすい。せめて水に晒されていなければ無事かもしれないが、埃まみれの未来は避けられないだろう。


「別に構わないわ」

 快適とは縁遠い報告に、ミザロッソは軽く頷いた。「埃くらい叩けば何ともない、そういうのには慣れてるから」

「おいおい」

……」


 貴族のお嬢様の仮面はどうした、そう言おうとしたホルンに先んじて、ケテルがやや大袈裟な声をあげる。

 彼女は器用に無事な足場を通って、自分の主人の下へ駆け寄るとひざまずく。


「十五年と、お聞きしております。心身ともに磨り減らすような放浪生活の御苦労、お察しします」


 そうか、とホルンはを思い出した。

 ミザロッソ・クロックは単なる貴族令嬢ではない――彼女は不幸な事故にあった。六歳の頃ボートが転覆し、行方不明となったのである。

 徹底的な捜索の甲斐もなくその行方は手がかりさえ知れず。村人も、彼女の父である先代クロック伯爵も、その生存を絶望視していた。


 ……これは内緒だが。

 クロック伯爵は失意の中にあっても冷静であった。娘の生存を信じながらも弁護士に命じ、もし自身が死んでから五年、或いはこの事故から二十年が経過した時点で、爵位と領土の返還を行うよう遺言を記していた。

 その遺言状の写しが出回ったことが、村に偽お嬢様が大挙する原因となったのである。


 ともかく、ミザロッソ・クロックは影さえ残さず行方不明。

 表舞台から完全に姿を消し、蛇の道を知る蛇にも見付けられなかった六歳の少女だ。生き延びるには奇跡がダース単位で必要となるだろうことは想像に難くないし、例え生存していても真っ当な生活を送っている訳もないだろう。


 だから、ミザロッソ・クロックの経歴はこうだ――運良く、或いは運悪く湖から流れ着いた先は隣の領土で、彼女を見付けたのは旅商人の一団。

 事故のショックで記憶を失っていた彼女は彼らと共に町へ出て、危うく売り飛ばされそうになるところをどうにか逃亡。それから白馬の騎士、ホルン・と運命的な出会いを果たすまで十年間、文字通り泥水を啜るような生活を送っていた――という涙涙のお話だ。


 だから、彼女が貴族的教育を受けたのは六歳までの間と、グレンフィデックと出会った後の五年間だけ。

 多少なら、常識外れの行動も許されるのである――こうした場面での図太さも。


「……もう済んだ話よ、ケテル。今ではどれもが、必要な試練だったと思えるわ」

 悲劇のヒロインらしい暗い笑みを浮かべながら、ミザロッソは寛容にケテルを立たせる。「過去の全てが私の今を創っているの、そして今の私を、私は嫌いと思っていないわ」

「なんとご立派なことでしょう。間違いなく貴女様は、歴代の誰より強いクロック伯爵となるでしょう」

「ありがとう、ケテル。……貴方もそれで良いかしら、ホルン。生粋の貴族である貴方には、不愉快な一夜となるでしょうけれど……」

「構わないよ、僕も幼い頃、狩りの途中落ち葉にくるまって寝たものだ」

 それに、とホルンはウインクして見せる。「君の隣なら、何処だって僕には天国だよ」

「げほっ!!」


 思わず咳き込んだ彼女に満足して、ホルンは城内の探索を再開する。

 肉体的な疲労とあの、微かに赤面した顔を思い出しながらなら、埃だらけの毛布でも快適に眠れるだろう。

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