第10話二人と宴
宴、という行為は酷く人間らしい行為だ。
日頃質素倹約を旨とする厳格な者たちも、そうでなければ成り立たないような貧しい村であっても、あらゆる浪費が称賛される。
なけなしの薪に火を灯し、肉も魚もパンもじゃが芋も、乏しい保存食さえ差し出されるそれは、酒を飲む前から正しく狂乱だ。寧ろ、饗応の支度をしている最中こそが何より、人々に『宴』という言葉を強く理解させるものかもしれない。
皿を磨き、並べ。
肉を切り串に刺し、骨を野菜と共に煮込む。酢漬けにした魚は一口大に切って、或いはそのままパン生地に挟んで焼き上げる。
積み上げられた酒樽と立ち上るパン窯の煙。
目で見て耳で聞き、鼻で香る御馳走の気配。明日以降を忘れるために、我を忘れるために、気にしないために気にせず集められた楽しみの山々を前に、しかし、村人たちの表情にはどこか決定的な
「……遅いな」
老御者の呟いた一言こそ、その原因を如実に物語っていた。
そう、宴の支度は順調で、沈みかけた太陽の後から迫る夜の気配に、『その時』が近付いている事を誰もが理解できている。
審判の時、或いは、決着の時。
パンは既に焼き上がり、スープの大釜は火から下ろされ、串焼きなどは脂の焼ける香ばしい匂いと滴る肉汁が火に弾ける軽快な音で、開幕を急かしてばかりいる。
支度は充分。あとは、そう、幕が開くのを待つばかりだ。
だが――来ない。
久方ぶりの挑戦者、それも、確かに御嬢様の面影のある『お嬢様』を見たとき誰もが、大きさに差こそあれ今度こそはと期待した。
だが、来ない。
日が半ば以上沈み、そろそろ松明を灯さなければならない頃合いになったというのにまだ、二人は戻っては来なかった。
「……まあ、こんなもんかもな」
誰かがぽつり、呟く。
短い言葉には感情こそ控えめだが、その分諦念が色濃く込められている――期待し、裏切られ、それを三回も繰り返せば誰であれ耐性が身に付く。
絶望に耐えるのではなく、希望に耐える力。所詮酸っぱい葡萄さ、と嘯く狐のように、小利口で小賢しい思考回路。そもそも裏切られることを当たり前に想定し、ほら見たことかと過去の自分に指を指す。
「このまま残念会じゃな、いつも通り」
「そうねぇ、いつも通り。また同じことってだけよね」
二人が逃げたのか、それとも失敗したのか、それは解らないが。
戻ってこないということは『違う』ということだ――それだけだ。
気を取り直した村人たちは、苦笑しながらそれぞれに酒を注ぎ始める。礼を示す相手がいないのだから、手酌で構うまいとばかりに、それは乱雑な仕草だった。
誰も、期待していなかった。
誰も期待していないと、誰もが言い訳していた。
だから。
「…………あら」
その登場は、いっそ劇的でさえあった。まるで――狙い済ましていたかのように。
悠然と、自然と、気負わない仕草で。
優雅に、泰然と、気取ったタイミングで。
「失礼、少しばかり遅れてしまったかしら?」
「……やれやれ」
ありとあらゆる村人から乾杯とワインを勧められているミザロッソから離れ、ホルンは冷静に周囲の様子を観察し、安堵の息を溢した。
ミザロッソの登場は、予想通り熱狂的に受け入れられたようだった。
予想通りだ――相手を待たせるならギリギリまで待たせる、そうすることで高まった期待は、例え下がっても直ぐに燃え上がらせることが出来る。
もう来ないだろう、そう油断した瞬間に彼らの目の前でじゃじゃーんと登場してやれば、一度落ちた反動で更に高く強く、喜びは舞い上がるものなのだ。
とはいえ、予定通りとは口が裂けても言えないということくらいは、ホルンだって解っていた。
試験突破の時間は正しく紙一重で、あとほんの数歩分でも遅れていれば自分達は、仲良く土の下。しかもそこから村まで、ミザロッソを背負って移動するのは本当に際どいタイミングだった。
(結果として、偶然上手くいったというところだな……)
間に合ったばかりか最高の演出となったことは素直に喜ばしい。
もし仮に全てが順調で、もっと早い時間に何事もなく戻ってきたとしたら、これほどの歓待は受けられなかっただろう。寧ろ、本当に試験を正しく超えたのかと疑われた可能性さえあったのだから、ある意味これしかない結末に辿り着いたと言えるかもしれない。
余裕がないのは、二度と御免だが。
「失礼します、旦那様」
控えめな呼び掛けに、直ぐ様紳士の仮面を被る。「なんだい、ケテル?」
「お食事をお持ちしました。あまり召し上がっておられない御様子でしたので」
そう言って彼女が差し出した皿には、湯気を立てる野菜のスープと豚肉の串焼き、それからニシンが盛られている。
『ミザリィと応援者の集い』を邪魔しないよう隅の方でゴブレットを弄んでいたホルンにとって、黄金と同じくらい心から歓迎できる贈り物だった。
「これはありがたい、助かるよケテル」
肉にかぶり付きながら、ホルンは素直に礼を言う。「流石だね、実に気が利く」
「恐れ入ります」
適切な角度で御辞儀する彼女は、まるでメイドの鑑だった。取り敢えず首に巻かせたスカーフの下、痛々しい傷跡さえ見なければ。
「……傷は、平気なのか?」
辺りに、自分達に注目する視線がないことを確認してから恐る恐る、ホルンは尋ねた。
実際に動いている以上それは間抜けに思える問い掛けではあったが、例え解りきった答えであったとしても、本人の口から担保されるのはされないより安心できる。
当然、ケテルは頷いた。
「勿論です、旦那様。失礼な物言いとお感じになられるかもしれませんが、あの程度では問題ありません」
「そう、か……」
無機質なメイドの声に、何処か取り繕うような調子が混じる。「ご安心下さい、旦那様の攻撃は実に手慣れてらして、熟練の技で御座いました」
「あぁ、まぁ……」
貴族的には、否定するべきか。いや、とホルンは即決した。「……訓練の賜物かな、自信はあったが、実績を得られて嬉しいよ」
嘘ではないが、真実でもない答えをホルンは選ぶ。それが、一番真実から遠ざかる。
訓練はした――親兄弟の無い子供の時分で貧困街に放り込まれたら、身を守る術は相手を殺す技術だけだった。
自信もある、【
嘘は、実績の部分だけだ。
「……旦那様。ケテルは、クロック家最高のメイドであると自負しております」
だが結局、ホルンの対応は中途半端で当たり障りの無い無難な言い訳に過ぎなかった。
地味で無難な嘘は、基本的に吐くだけ損すると相場が決まっている――そしてこの場合も、結論は一緒だった。
「察しは良く、気が利くのです。ですから、旦那様、どうか――正直にお成り下さい」
ケテルの真剣な眼差しは、ホルンの仮面を貫いている。「貴方は何者ですか?」
「それで、何て答えたの?」
果てしない盛り上がりを見せていた宴からやっと解放され、乗り込んだ馬車の中で、けれどもホルンは解放されなかった。
氷の視線を無遠慮に放つミザロッソは、少なくとも外見は平静そのもの。随分と呑まされていたように見えたが、大丈夫なのだろうか。
「アルコールくらいどうにでもなるのっ! 良いから、さっさと答えなさい。まさかアンタ……ぶちまけたわけじゃあないでしょうね?」
「落ち着けよ、ミザリィ。外に聞こえるぜ?」酒を飲んだ老人から引き継いで、ケテルは御者席だ。聞こえないとは思うが、リスクはある。
対して、ミザロッソは冷静さを失っていた。「信じられない、女に甘いとは解ってたけど、そこまで見境無いわけ? あんな
「……へえ?」
しまった、という様子でミザロッソが口を押さえたが、残念ながら後の祭りだった。
既に矢は放たれ、ホルンの下に届いている。
「勿論、喋りはしないさ。俺の過去を匂わせて、信頼はなくとも妥協を引き出したよ。だが、どうも新しい単語が出てきたな? まぎあねっと? どういう意味だそれは」
「それは……っ?!」
「一応言っておくが」
ミザロッソの首に添えられたホルンの右手には、いつの間にか黒鉄のナイフが握られている。刃の鋭さは、ミザロッソも自分の目で確認済みだ。「既に
試練の洞窟で感じた違和感を、流石にホルンは忘れていない。
ミザリィはあの洞窟の中身を、随分と詳しく知っていた。そもそもの開き方だって準備万端、必要な道具と段取りは確り把握していた。
そして、最後。
最後の部屋で、彼女はほとんど遅滞なく順調に行動していた。いわば最終試験の問題と解法を、予め知っていたかのようだった。
「貴族の後継者を選ぶ試験だ、その内容は門外不出とみて間違いない。単なる事前調査で手に入れられる情報じゃあ、無いだろう」
ミザロッソは知り過ぎている。
試験の最中に相方に疑問を投げ掛けるのは愚策であろうと黙っていたが――こうして関門を突破した以上、もう遠慮は要らない。
「答えてくれ、ミザリィ。『まぎあねっと』とやらは何だ、お前は一体何者で、ここに何をしに来たんだ?」
「……アンタには、関係ないでしょ」
「あるね」
「無いわよ、私の個人的な事情なんだから」
「いいや、あるね。俺の報酬はアンタ次第なんだ。契約にない事情が仕事の妨げになるんなら、せめて教えといて貰わないと困る」
ホルンは冷静に、ミザロッソは憎々しげに、互いに互いを見詰めあう。その熱量だけは肩書き通りだが、込められている感情は婚約者同士が向け合うものではない。結婚して三年もすれば、こういう感情を向け合うようになるかもしれないが。
「……本当に、関係無いのよ」
先に折れたのは、ミザロッソの方だった。
目を伏せため息を吐くと、指先でそっとナイフを押し退ける。ホルンも抵抗せず、ナイフを引くと手品のように袖口に仕舞い込んだ。
「もちろん、問題もないわ。アンタに頼んだ通りの仕事をアンタがしてくれれば、報酬はきっちりと払う。配分は山分け、間違いなく」
「……確か、金は半分。宝は一つずつ順番に選んでいって分ける、不動産は処分が難しいし、取り分には含まない、だったな?」
「えぇ。問題ない、アンタも私も欲しいものを手に入れる。それでお仕舞い、それだけ」
信じるかしら、と投げ付けられた挑戦的な視線を、ホルンは一先ず受け取った。
信じるとも、と頷いて見せる――何となくだが改めて条件を見直せば、彼女の望みが解るような気がした。
多分、そうなのだ。
彼女は、本気でミザロッソ・クロックになるつもりだ。
必要なことを話し終えた二人を乗せて、静かな馬車は夜道を進む。
その行く手にはぼんやりと、雲の切れ間に月が浮かんでいた。
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