第7話二人、罠、またしても

「やれやれ、何だったんだ全く……」


 倒れ伏したメイド服を見下ろして、ホルンは戦闘の余熱を吐き出すように、大きく熱い息を吐いた。


 そうして、動かなくなったメイド服を改めて見ると、外見に嫌な事実を突き付けられる。


 少女と女性の間くらいだろうか。

 酒場で見掛けたら声をかけるかどうか迷う、幼さの残る美しい顔立ち。とはいえ首から下の肉付きはホルンの好みとは残念ながら大きく異なり、寧ろ痩せぎすと言っても差し支えないような体格である。

 これが、どうにか対抗できた相手の身体とは思えない。単純な膂力りょりょくもそうだが、ナイフと鍔迫り合った筈の腕など、まるで食べ終えたターキーレッグだ。


「良し、やっぱり出口は向こうに……どうかしたの、ホルン?」

 最初に入った部屋を探索していたミザロッソは、黙って死体を見下ろす相棒に不審な眼を向けた。「……貴方はもっと、部分が好きなのかと思ってたけれど」

「そうじゃない、そうじゃないさ。ただ――って話さ」


 見下ろす右手には、未だに感触がこびりついている――女の首を斬り裂いた時の思い出が、爪に入った土塊つちくれみたいに深く、不快に残っているのだ。


 自分でも苦々しく思える感傷だった。

 無抵抗な訳じゃあなく、一進一退のギリギリの闘争の結果だとはいっても。

 女を殺したというその手応えが、いつまでも染み付いて酷く不愉快だっただけ。


 対して仮初めの婚約者様は、辛辣だった。


「馬鹿みたい、こうしなきゃアンタはもう一回死んでた。アンタ言ってたでしょう? 『甦るけど死にたくない』って」

「……そりゃあそうさ。死ぬのは痛いし、怖いもんだ。だが」

「けど。何よ、初めてって訳でも無い癖に」

 それから、ミザロッソは嫌そうに付け加える。「それにその……あのままだともしかしたら、本当に低い、無視しても良いような可能性だけれど。もしかしてもしかすると、私もそう、ちょっとだけ、危なかったかもしれないわ。その……まあ、小指の爪の甘皮分くらいには、私を助けたとも、その、言えるんじゃないかしら?」

「…………」

「……何よ」


 驚いてるのさ、とは流石に言えなかった。

 出会って二週間、今回の茶番のために色々と無茶なことをさせられたが――こんな風に、気遣いを受ける機会は一度もなかったし。

 そっぽを向いて頬を紅潮させるようなことも、当然ながら無かった。


「……ありがとよ、愛しの婚約者my queen。お陰で少しは気分が晴れた」

 構える斜を取り戻して、ホルンはシニカルな笑みを浮かべた。「ま、幸いに臨時収入の当てもあるしな。哀れな彼女の墓は、精々奮発するとするさ」

「ふん……まぁ、私も花くらいは飾るわ。こんなところで、ずっと眠らされていたんだもの……せめて、そのくらい……」

「……ふふ」

「ちょっと。本当に豪華な墓を建てるくらいの収入を得たいのなら、その、馬鹿みたいな面に生暖かい目付きを添えて私に向けるのを止めなさい、今すぐに」

「はいはい」

「ちょっと! 良いこと? 私は本気よ、私を軽んじるとどうなるか、きっちりと教えてあげましょうかっ?!」

「解った解った」


 くすくすと笑いながら、ホルンは取り敢えず、メイド服の傍らにしゃがみ込んだ。

 墓所の建立はともかく、遺体くらいは持ち帰ってやるべきだろう。このまま放置したとして、腐らない林檎と同じ末路を辿らせるのは忍びないし。


「……向こうのタンス、全部に入ってるのかな?」

「……少なくとも、文字の刻まれた十個には入ってる筈。見て」

 ミザロッソは、本棚から抜き取った古い本の一ページを開き、ホルンに示す。「『継承の儀の事。隠されし禁断の扉を潜り、並ぶ棺より名の有る物を選べ。王冠、理解、知恵、美、峻厳、慈悲、栄光、勝利、基礎、そして王国。いずれかの使徒が、汝の生を助け死を看取るであろう』……貴方が開けたのは、この内の『王冠ケテル』の棺よ」

「…………」

「今はどうにも出来ない。村人にはどうにか誤魔化すにしても、本には『選べ』とあるわ。何人も連れ帰ったら、を付けられるかもしれない」

「……そうだな、全く……くそったれだ」


 選べ、と来たか。

 十の棺、十の従者。ただただ貴族様の気分で選んでいただけるのを待つためだけに、こんな、魔女曰く生命の無い洞窟に押し込められて、何年も、何十年も、何百年も、もしかしたら一生眠ったままだなんて。

 人生を掛けて仕えられて光栄で御座います、ご主人様、ってか。あぁ、全くdamn it


「……ホルン」

「解ってるさ、巡り巡って貴族に足枷嵌められるなら、このくらい堪えてやるさ」

 だが、とホルンは、メイドを背負いながら歯を剥き出した。「


 ミザロッソの視線を無視して、ホルンは彼女の見付けた出口へと歩き出す。

 その背に背負ったが、やけに軽く重く感じられた。









「出口までは一本道なのか?」


 気に入ってた昔ながらのカンテラは、岩の罠に放り投げてしまった。

 と言うより自分の荷物を全て放り投げてしまったホルンは、仕方がなくミザロッソのトランクを持ち、背中に死体を背負っている。


 幸い、隠し通路は壁面に光源が仕込まれていて、歩く分には不自由はない。

 だが、例えば致死性の罠があるかもしれないなら、警戒するには不安な明るさでもあった。あらゆる罠には予兆があり、わけてもこうした、

 挑戦者の実力を試すための迷宮ならば、注意していれば回避できる可能性は高い。


「今更情報源は気にしないが、ここの事も調べてるんだろ。どうなんだよ、こっから先、ドキドキわくわくのアトラクションは残ってるのか?」


 先に立ったミザロッソは、辺りの壁や床を慎重に見詰めながら肩を竦める。


「そうね、良い知らせと悪い知らせがあると言ったら?」

「先ずは良い方だろ、お約束だ」

「簡単よ、私は地図を持ってて、後はただただ前に進むだけだと保証できるわ」

「成る程ね」

 ホルンは頷いた。「良いお知らせだ。それで?」

「地図にはこう書いてあるわ。『汝の選んだ従者が、道を切り開くだろう』」


 思わず、肩越しに背中の荷物を見た。

 昔々のお伽噺じゃあるまいし、灰色髪の眠り姫は目覚めることなどあり得ないだろう。王子様さえ居ないのだから。


「あー、このお嬢さんをれば良い訳じゃない、よな?」

「選んだ従者『が』道を切り開くのよ? 従者『で』切り開く訳じゃないわ」

「……問題は、かだ」


 可能性は二つある――従者が例えば傘であり、この先降り注ぐ雨から身を守ってくれるという可能性が一つ。


 この場合は問題ない。

 困難ではあるが、ずぶ濡れになる覚悟さえあれば突破は不可能じゃないだろう。途中何度か、ホルンが犠牲になれば良いだけだ。


 問題は、もう一つの可能性だった場合。彼女が文字通りの『鍵』だった場合だ。

 最後のドアを開ける手段を、もしも従者のみが知っているとしたら。それどころか、それこそお伽噺だが、彼女が手を翳すとワーオ、道が開けるとか。

 そうだった場合、お手上げである。


 傘か、鍵か。

 それが問題だ。


「……最悪の手段が一つだけある」

 を背負い直しながらホルンは嫌そうに言った。「戻れば良い。次の一人を選んで、今度こそどうにか御近づきになるんだ」


 その場合。


 あぁ、その場合。

 この荷物は置いていく羽目になるだろう――そうして自分達は、新たな彼女と笑いながら手に手を取り合って外へと出ていく。

 最初の一人哀れなケテルなど、居なかったかのように。


「……そんな顔するくらいなら、提案するの止めてくれる?」

 ホルンの提案に、ミザロッソは心底からの侮蔑を返してくれた。「こう言えば良いの? 『良いのよそんなことしなくても、大丈夫、私と貴方ならどんな困難も乗り越えられるわ』って? 私はアンタの保護者じゃないの」

「悪かったよ、ちょっと、優しくしてもらいたかったのさ」

「あぁそう気持ち悪いわ」

「全くだな、で、じゃあどうする?」


 安全を確認したのか、ミザロッソは歩みを再開する。

 そうして数秒押し黙り、それから、お預けを食らうホルンを振り返った。


「……私はアンタとは違う。必要で可能なら戻って次を用意するわ、まるで貴族みたいにね」

「だとしたら道が違うぜ、戻るんなら前に進んじゃダメだろ」

「必要じゃないから、やらないの」

「はあ?」


 ホルンの困惑をわざとらしく鼻で笑い、それから、ミザロッソは大袈裟な仕草で完璧に調整された天使の笑顔を投げ掛ける。

 さあおいでと手を招く、美しすぎる悪魔のように。


「彼女を捨てるくらいなら。?」


 ――あぁ、くそ。


 何でまた神様ってやつは、こんな性格にこんな姿形を与えたんだろうか。

 ホルンに出来たことは、ただぎくしゃくと唇を歪めて見せることだけだった。


「……ちょっと、あざとすぎるな」

「あら」

 無理矢理ひねり出した皮肉を、ミザロッソは楽しそうに吹き飛ばした。「やる気が出たようで、何よりだわ」

「言ってろ」


 熱くなってきた頬の色を隠すために、ホルンは大股でミザロッソを追い越して数歩進み、


 


 ……自分の足が、何かを踏んだことに気が付いた。


「…………」

「戻るのは必要がないからだと言ったけれど」


 聞き覚えのある轟音が、背中から迫ってくる。足元を揺らす地響きのおまけ付きで。


「戻れるのなら、もっと慎重な相手にプロポーズするわ」


 ため息代わりの皮肉めいた言葉に返せるような屁理屈の持ち合わせは勿論なくて。

 黙ったまま彼女を小脇に抱えると、ホルンは全力で走り出した。

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