第50話 シルクハットと少年

―――教員用宿舎13。

その日、篝霧也は外出しておりそこには如月月夜とアイリスしかいなかった。

飲み相手がいない如月は酒の飲めないアイリスに話し相手をしてもらっていた。


「ねぇアイリス、あなたの人工知能は人間の脳並みの性能を持っているみたいよぉ?」


「はい、そのように作られていると聞いております」


「ならもしかしたら誰かを愛する事も出来るのかもしれないわねぇ~」


「如月先生といい篠舞那月さんといい、同じような事を述べるのですね」


「え?那月ちゃんに会ったんだ?いつの間に」


「つい先日、篝先生を訪ねていらっしゃった際に」


ワイングラスに入っている赤ワインを片手に少し回して見せたあとそれを上品に口に添えて一口だけ飲み込んだ如月は、妖艶な笑みを浮かべながらそのグラスをテーブルの上に置いた。


「あの子が恋愛の話をねぇ~。年頃の女の子はやっぱり恋に生きるものだから楽しいでしょうね」


「恋とはとても素晴らしいものだと那月さんは言ってました」


「へ~、意外と情熱的じゃない」


「人は恋をするとその人しか見えなくなり、その人の為なら何でもしてあげたくなると。その気持ちはとても言葉では言い表せない程のものだと教えてくれました」


「ふふふ、確かにそれは間違ってないわ。でもね、あまりに情熱的な恋は時に自分を焦がしてしまう事もあるのよ。あの子はまだそんな経験はないでしょうけれど」


「如月先生にはあるのでしょうか?」


「·····そうねぇ、遠い昔にね」


その時、アイリスが何かを感知した時の僅かな間隔を如月は見逃さなかった。

その様子を見た如月は目を細め問う。


「何かあった?」


「はい、区画内に侵入者がいます」


「場所は?」


「学生寮からおよそ200メートル。寮の方へ近付いているようです。侵入者は二人」


「二人か·····」


「学生寮に向かっているようですが、学生ではありません。監視カメラを避けている、または意図的に映らなくしている点を考慮すると危険人物である可能性が考えられます」


如月はグラスのワインを一気に飲み干してそのグラスを雨の降る屋外へと捨てる。

ワイングラスは雨に晒されるのと同時に水になり消えていった。

そのまま立ち上がった如月は傘を片手に外へと向かう。

その後に続くアイリスは傘を持たずに降りしきる雨の中へと走り出した。


「はぁ、あまり濡れたくはないのだけれど」


「私は先に現場へ向かい、相手の動向を伺います」


歩いている如月をあっという間に置き去りにしてアイリスは一人、猛スピードで目標地点へと向かう。

アイリスがその場所に辿り着くまでに要した時間は15秒。


「ねぇキリアン、絶対大丈夫って言ったじゃんよ!もうバレてんじゃん!」


「え~、おっかしいなぁ。監視カメラには映ってないはずなんだけどなぁ」


アイリスの視点カメラが捉えたのはシルクハットに丸メガネ、全身黒のコートに身を包んだ怪しげな男と、その男の肩にすら届かないくらいの背丈しかない少年。

シルクハットの男は片手にステッキを、少年はその体躯に不釣り合いな、身長と同等のサイズの大きな風車を背負っている。


「しかもなんか情報にないヤツだけど、どーなってんだよ!?」


「んな事言われてもなぁ。戦場では想定外の事は起きるもんさ。ま、よくあるって事だな」


「はぁ~?それ言い訳?」


「まぁ気にするなよルイス。想定外だけど別に問題はない」


「まぁ、それは言えてるね」


アイリスはその二人の情報を読み取る。

その顔立ち、体型、身体的特徴からデータベース内に一致するものを検索していた。

しかしそのデータベースに照合するものは見つからない。


「あなた方はこの島の人間ではありませんね?」


飛行機の乗客リストからこの二人と同じ顔を割り出したアイリスは、一致した人物の名前を読み上げる。


「リック・マーキュリー、ライアン・ノーマン」


その名前を割り出したアイリスだったが、先程二人の会話で話していた名前とは異なっており、それが偽名だという事はもはや明白であった。


「こりゃすごい、飛行機の乗客名簿でも見たのか?でもそれじゃあもしかして俺たちその時から見張られてたのかぁ?」


「そりゃないでしょ。見張られてたら本名もバレてるはずだし」


「それもそうだなぁ」


二人の会話から情報を察しているが、アイリスのアクセスするデータベースにはこの二人の情報がヒットする事はなかった。


「その場所から動かないで下さい。あなた方の目的はなんですか?」


「お嬢さん、あまり手荒な真似はしたくないんだ。そのまま何もせず、俺たちを見逃した方が身の為だよ?」


シルクハットの男は不敵な笑みを浮かべながらそんな言葉を口にするが、もちろんアイリスはその提案に乗る事はない。


「それは脅迫ですね。ならばこちらも対等の手段を行使させていただきます」


アイリスがその手を開くと、服の袖からあっという間に拳銃が飛び出し、無駄な動きは一切なくその銃をシルクハットの男へと向ける。


「警告です。あなた方から敵意を検知しています。これ以上私の警告に従わないのであれば、実力を持ってあなた方を排除します」


「おおっと、これはこれは·····ただのハウスメイドかと思えば、裏の顔はスイーパーだったか。いやこの場合はバウンサーかな」


アイリスの目はもう既に見切っていた。

彼らに投降の意思は微塵もないと。


「投降率1%、逃走率1%、攻撃の可能性95%、魔術士確率100%、危険度B、2体迎撃成功率30%、予想ダメージ20%」


「なんだかすごい計算してるみたいだけど、僕達の危険度がBってナメられてるよね」


少年は背中の風車を軽々と持ち上げ、それを自らの前に構える。


「交渉成功率0%。殲滅します」


次の瞬間、アイリスのもう片方の手にも拳銃が現れ、そして間髪入れず、少しの躊躇いもなくその引き金を引いた。

雨音の響く屋外に、乾いた銃声が響き渡った。

引き金が引かれるのと同時に2人は素早い身のこなしでそれぞれ左右に広がり銃弾を回避する。


しかしアイリスはその回避方向を予想し、さらに2発その行く手に銃弾を放った。

少年に向かった銃弾はその風車に当たり弾け、シルクハットの男は魔術を使用し地面の水を吹き上がらせて弾丸の威力を相殺する。

吹き上がった水が消える瞬間を狙い銃を構えたままのアイリス、少年へ向けた銃はそのまま連続で4発放たれるが、その全てを風車が受け止めて貫通もしない。


水が落下し終えるまさにその刹那、アイリスが放つその弾丸は空中の水滴を弾き飛ばして目標へ向かって一直線に飛んでいく。

だが水が消えたその場所にはもうシルクハットの男の姿はなく、銃弾は地面を抉り停止する。

視界から消えた男の行方を目線を動かして探すアイリス。


アイリスが次にその男の姿を捉えたのは僅か0.5秒後。

空中を舞い、今まさにアイリスに向けて攻撃を行おうと急降下している姿だった。

だが男の攻撃よりもアイリスが銃口を向ける方がさらに速い。

アイリスが引き金を引いた瞬間、彼女はすぐに自分の攻撃の無意味さに気付いた。


その目が見る熱センサーではその男にからだ。

人間であればもちろん体に熱を帯びている、つまり今撃ったは人間ではない。

銃弾がそれの体を貫通すると共に、それは液化し空中で形を失って水となった。


「残念、偽物でした」


背後からの声に反応する前に、アイリスの体を氷の槍が貫く。

シルクハットの男は口元に笑みを浮かべて余裕の勝利を確信していたが、次の瞬間にその表情が一変する。

服を引き裂いてアイリスの背中が開き、そこから青い炎と共に熱が噴射される。

雨など無視して周辺に熱が噴射されたが、シルクハットの男は超反応と魔術を駆使してそれをなんとか防ぎきっていた。


再び距離をとった男は想定外の展開にも関わらず不気味な笑みを絶やす事はない。


「バウンサーではあるようだが、まさかカラクリの類とは思わなかったよ」


「随分と派手に暴れてるわねぇ?その辺にしておいてくれるかしら?」


そこでようやく如月が加勢に入る。

シルクハットの男は如月の姿を見てようやく頭を抱えた。


「2対1か、分が悪いね。でもそっちの姉ちゃんは最高にセクシーで興奮する」


「如月先生、もう1人の侵入者が学生寮の方へ向かっています」


「アイリス、もう1人を追って。ここは私が何とかするわ」


「了解致しました」


如月の判断は正しい。

自分よりもアイリスの方が速く動く事が可能で、何より目の前の相手が上級魔術士である事を考慮すればアイリスには分が悪い。

アイリスはあくまでアンドロイドであり、魔術を使う事が出来ないので相手の攻撃に対処出来ない場合があるからだ。


「俺が黙って行かせるとでも思ったのかい?」


シルクハットの男の周りに次々と彼の姿形をコピーした水人形が姿を現す。

その数は10体で、それぞれが違う動きを見せる。


「1体多数の戦闘は何度も経験があるんでね、その辺の魔術士と一緒にしてもらっちゃ困るよ」

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